神学校へ9

「ズィーボルト様のご息女はどういった方なんだい」



 ズィーボルト一家とアデライデの姿がすっかり見えなくなってしまうと、俺はヘンリエッタについてハルトナーに聞き出す事にした。それは品位にかける不作法な行いだったかもしれないが、今後彼女と付き合ううえで必要な情報だったし、ハルトナーから特に咎めるような言葉もなかったためきっとモラルは侵しておらず、雑談の範疇にあったのだと思う。あるいは、彼自身がヘンリエッタについて好ましくない部分を見定めており、それを俺にも共有して互いの審美眼を確認しようと画策した可能性もあるけれど、それこそ野暮な話なわけであって語るようなものでもない。どちらにせよ、ハルトナーは俺の質問に対して即座に返答をくれたのであった。




「どういったもなにも終始あんな風さ。僕も昔の記憶を辿って彼女がどんな女性だったかの思い返してみたんだけれども、一分と違わずそのまま成長したようだよ」


「昔から、あぁいう貴族然とした立ち振る舞いだったというわけだね」


「あぁ、違うよロルフ。君は貴族を誤解している。もしかしたら、ルイーザさんが生まれたフィレンチではあぁいった態度がスタンダードなものなのかもしれないけれど、ジャマニではあんな具合に皮肉めいた話し方はしないよ。彼女は特別なのさ」


「特別か。いったい彼女は、君や君の知っている貴族となにが違うんだろう」


「さて、考えもつかないや。ただ悪い人間じゃないって事は確かだよ。さっき、一緒にぬいぐるみを作ったと言っただろう? 僕は不器用な質で、あんまり段取りがよくなかったんだけれど、彼女はそれを見て随分と骨を折ってくれたんだ。勿論、あの口調で嫌味ったらしく文句を言いながらだけれどね。“殿方は、剣は持てても針は扱えないんですのね。こんなにも小さいというのに”てな具合にさ」




 ハルトナーが披露したヘンリエッタの物真似はよく似ていて俺は口を開いて大きく笑った。彼女の幼少の頃なんて知るはずもなく、どのような喋り方をするのかも分からない。けれど、ハルトナーが昔と変わりないと言っていたのだから、さっきまで言葉を交わしていた彼女がそのままスケールダウンして、少しばかり言葉遣いが拙くなったようなものなのだろう。であれば想像に易く、確信めいた予想が俺の中で形作られていった。朱か白か、見た事もない高価な色合いの生地で作られた上等なドレスを纏って、ハルトナーを見下す彼女の姿が。“殿方は、剣は持てても針は扱えないんですのね。こんなにも小さいというのに”というセリフが。






「いい思い出じゃないか」



 慣れない皮肉を述べると、ハルトナーから「そうさ。取っつきにくいかもしれないけれど、僕の友人の一人だよ」と善良な返事をいただいて、自身の底の浅さが露呈した。サーカズムのセンスについては有していないと分かっていたのにつまらない発言をしたものだと後悔したし、今でも思い出しては身悶えする人生の恥部の一つとして記憶されている。







「お待たせいたしました。それでは参りましょうか」






 ヘンリエッタとアデライデが屋敷から出てきたのは一時間は経とうかという頃合いで、喋るのも遊ぶのも飽きてしまって、」昼寝でもする他ないね」なんてハルトナーと示し合わせていた最中だった。二人の格好はドレスから乗馬用のパンツスタイルに変わっていて、程よく肉付いた臀部がくっきりと浮き立っていた。




「わざわざ着替えたのかい」


「勿論でございます。土の上を歩くんですから、それなりの準備をしませんと。こちらにお伺いするにあたって、ブーツだって用意したんですからね」



 ヘンリエッタはじろりと俺の足元を見た。履き潰した革靴と泥の跳ねた裾周りについて、「不潔」と無言で抗議しているような視線だった。




「この辺りは自然が豊かだからね。確かに、ブーツを履いておいた方が怪我の防止にもいいかもしれない。野山を駆け巡る程じゃないけれどね」


「私とアデライデにとっては野山もここも遜色ございません。というより、違いが分からないと言った方が正しいかしら。ねぇハルトナー様。今になって不安になってきたのですけれど、ここには蛇や熊は出ないかしら。私、昔にお母さまに聞いた事があるんです。シュトルトガルドから出て、バーケンコルフの丘をずっと越えると、そこはもう人間が住めない野生の王国が築かれていて、先程申し上げました、熊や蛇が食い殺すために迷った人間を探していると。それを考えると、私はもう、恐ろしくって、倒れてしまいそうで」




 ヘンリエッタが本気でそんな事を言っていないのは、意地の悪い微笑と下手な台詞回しで十分に理解できた。どうも彼女に人を不快にさせないコミュニケーションは不可能なようで、友好関係を結べるのか大変不安になった。こういう相手にはエスプリを働かせて気の利いた返答をしなければいけないような気がしていたからだ。先に述べた通り俺は自身のサーカズムのセンスのなさを自覚しているし、無理をして絞り出してみても終生後悔するレベルの、程度の低い内容しかお出しできない。彼女が俺にそれを求めるのであれば、それはあまりに酷な事で、生き恥を晒し続ける刑罰と同様であった。



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