滴〜SIDUKU〜

立華 久々莉

~プロローグ~

 嬪宮ぴんぐんほん氏・ソンギョンは、薄れゆく意識の中、夫である世子せじゃのち恵宗けいそうの悲痛に満ちた顔、御医おい切羽せっぱゆがんだ顔、生まれたばかりの我が子の顔を急いで見せようとする焦るミン尚宮さんぐん、を無音むおんの世界で静かにながめていた。



先ほど生まれたばかりの我が子は、皇子おうじでも公主こうしゅでも将来を約束された存在である。



どちらの性別か、薄れゆく意識の中では確かめる術を持たずにいたが、元気に泣く姿を安堵あんどの気持ちで静かに眺めていた。



夫がなぜ涙と歪んだ悲痛ひつうな顔をしているのか、御医はなぜ切羽に満ちた顔で何かを叫んでいるのか、幼少期より共にあってくれたミン尚宮がなぜ必死に何かを呼び掛けようとしてくれているのか、嬪宮ホン氏・ソンギョンにはただ理解できずにいた。



理解できるのは、自分の枕元にいる人びとが自分へ、悲痛と切羽をぜた気持ちで何かをうったえていること、ただただそれだけであった。



薄れゆく意識の中では、目の前の出来事は、無音むおんであり、ただの静かな情景じょうけいに過ぎなかったのである。



その日嬪宮洪氏・ソンギョンは、妻である嬪宮を大切にいつくしむ世子・シムソと生まれたばかりの我が子・世孫せそんウンを残して、18年の人生を終えた。



生きた時間は短いと言えるが、生まれついた環境、周囲の人びとの思い、期待、羨望せんぼう嫉妬しっと憐憫れんびん、は一言では表すことのできない重い重いものであった。



これは嬪宮ホン氏・ソンギョンの物語である。

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