第6話 目覚め

 冷たい川の水に流されて意識は朦朧としていた。


 体はどんどんと冷たくなっていき、このまま死んじゃうんだろうな、とどこか他人事のように考えていた。


 そんな僕の体を誰かの大きな手が、川の水からすくい上げてくれたのを感じていた。


 …この大きな手は、…父さん?


 目を開けて確かめたいけれど、どうしても目を開ける事が出来なかった。


 そのうちに濡れた体が乾いていくような感覚に襲われた。


 どうしてだろう?


 タオルで拭かれているわけでもないのに、何故か体が乾いていった。


 そして何か温かいものが僕の体の中に送り込まれているような気がした。


 じんわりとした温かさに気持ちよくなっていると、誰かの小さな手が僕を大事そうに抱きかかえてくれた。

 

 ゆらゆらと体がゆれているので、どこかへ運ばれているのだという事がわかる。


 そのうちにまた別の人に抱き上げられたのがわかった。


 とってもいい匂いのする柔らかい感触にますます瞼が重くなる。


 ああ、凄く気持ちいい。


 ここって天国なのかな。


 今度は転生することもなく天国に来ちゃったんだろうな。


 そんな事を考えていると、不意にお腹が「くうぅー」と鳴った。


 あれ?


 天国に行ってもお腹は空くのか?


 すると鼻先に何かが押し付けられた。


 何だ。コレ?


 何だか生肉の匂いがするけど、こんなの僕は食べられないよ。


 くいっと鼻先を背けて薄っすらと目を開けると、そこには女の子の顔があった。


「あっ、目を開けたよ。このお肉、食べるかな?」


 茶色のロングヘアーに優しそうな茶色の瞳が僕を見ているが、その頭には獣の耳はなかった。


 人間だ!


 びっくりして飛び起きようとしたけれど、足に力が入らない。


 頭だけを後ろにのけ反らせて警戒心を露わにするのが精一杯だ。


「怖がらなくて大丈夫だよ。お肉は食べられないかな? だったらミルクをあげようか」


 女の子はそう言って一旦僕の前から姿を消すと、深いお皿にミルクを入れて持って来た。


 目の前に置かれたミルクをそっと舌で舐めてみる。


 うん、普通にミルクの味だ。


 多少の警戒心を残しつつお皿の中のミルクを舐めて飲み干した。


 少しは腹の足しになったかな。


「凄い! 全部飲めたね。お肉は食べる?」


 女の子は先程の生肉を僕に差し出してくるけど、僕は普通の狐じゃないから生肉なんて食べないよ。


 フイっと顔を反らすと女の子がちょっとがっかりしたような顔をした。


「リーズ。その子はまだ小さいからお肉は食べられないのかもしれないわよ」


 女の人の声がしてリーズと呼ばれた女の子はお肉を片付けに行った。


 小さいから食べられないんじゃなくて、生肉だから食べられないんだけどね。


 だが、流石にそれを告げるわけにはいかない。


 僕が獣人だと知られたらどんな扱いを受けるのかわかったもんじゃない。


 しばらくは普通の狐のふりをして様子を見よう。


 僕は辺りを見回してここが何処なのかを探る事にした。


 向こうの方で何やら調理をしているような音が聞こえるから、ここはダイニングの一角だろう。


 二人の会話からするともうじき夕食の時間のようだ。


「おっ。どうやら目を覚ましたようだな。何か食べさせたのか?」


 男の人の声が聞こえたかと思うと不意に大きな手に抱き上げられた。


 いかつい顔の男の人が僕を覗き込む。


 思わず叫びそうになって口を開けたけど、必死で声を抑えた。


 こんな大きな手じゃ僕なんて一瞬で捻り潰されそうだ。


 そんな恐怖に駆られているのに僕のお腹はまたも「くうぅー」と音を立てた。


 なんて空気を読まないお腹なんだ。


「お腹を空かせているみたいだぞ。何かないのか?」


 男の人(多分、リーズの父親だろう)が問いかけるとリーズが側に寄ってきた。


「お肉をあげようとしたけど食べなかったの。とりあえずミルクは飲んだよ」


「肉はまだ食べたことが無いかもな。パンはどうだ? あれなら柔らかいから食べられるかもしれないぞ」


 父親の提案にリーズは台所へパンを取りに行ったようだ。


 パンを手に戻って来ると、小さくちぎって僕の鼻先に差し出してきた。


 パクッ。


 リーズの手を噛まないようにバンを口に入れた。


 最初の一口を食べ終えると父親は僕の体を下に下ろした。


 リーズは先程のミルクが入っていたお皿にバンを小さくちぎって入れる。


 それを僕はガツガツと凄い勢いで食べ始める。


 あっと言う間にバンを平らげるとリーズはもう一つバンを持ってきてくれた。


 ちぎられたバンを食べ終えると、お皿にまたミルクを注いでくれた。


 それを飲み終えてようやくお腹が満たされたようだ。


 ペロリと口の周りを舐めるとリーズはそっと僕の頭を撫でてきた。


 ご馳走になったお礼を込めて僕はされるままになっている。


「お腹いっぱいになった? …それにしても鳴かないね。何でだろうね」


 えっ、鳴く?


 狐ってなんて鳴くんだっけ?


 童謡の歌詞には『コンコン』って書いてあったけど、それって正解なの?


 動物園で狐を見たことはあるけど、鳴き声までは知らないな。


 誰か僕に狐の鳴き方を教えてください。

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