第2話 時の魔法使い
「あ、あの....」
自分の声にびくりと小さな肩を震わせてから、ゆっくりとその女性が顔を上げた。
「.....?」
その顔の色は困惑であった。無理もない。一人で泣いていたら、いきなりずぶ濡れの男子高校生に声を掛けられたのだ。泣き叫んでも良いレベルでその状況は異常であった。
「どうかしましたか?」
取り敢えず言葉を繋げるため、曖昧に伺いを投げかけた。それはどう声をかけるか迷った末に出た、逃げ腰な言葉だ。対人経験の少なさが露呈している。
一方、
「あっ!いや...これは別に...!」
彼女はあたふたしていた。そして落ち着くためか暫く口籠もり、深呼吸をしていた。
急かしても仕様がないので自分はただそれを見つめていた。そんな中で色々分かった事があった。まずこの人は僕と同じ高校の生徒であった。というのも胸ポケットについている校章がうちの学校のものだったからである。そしてそれは黄色のものであり、つまりは彼女が一年生であることを表していた。
それだけじゃない。気付いたことは他にも一つあってそれは_____。
「(やはり....泣いていたんだ)」
彼女の頬には一筋の線があった。ゆらゆらとしたその線は水気によってできたもので濡れていた。涙で間違い無いだろう。雨のせいかと思ったけれど、他の部位が濡れた形跡はない。雨は強い、だから水の付着した跡が絶対的にないと言えば嘘になる。だが、目立った液体の跡は他になく、そんな中で外的要因により、顔に雫がついて落ちるように皮膚の上を伝っていったとは考え難かった。
一体何があったのだろう。材料のない考えに意味などない。そう思って自分は感じた疑問を心の中で必要以上に追うことはせず、別のできることを探す。
「(.....!)」
いいことを思いついたと思い。すぐに実行する。自分はポケットからテッシュを取り出して、彼女に差し伸ばす。
「どうか拭いてく_____」
_______そして僕はその時気付いた。それは異様に重かった。ポケットテッシュにしてはほんの少しであるが重量を感じる。そして何よりもいつも触るものよりもひんやりとしていた。
なんでだろうと考えれば、当たり前だ。”それは濡れていたのだった“。まるでコンビニのおしぼりのように。
「......」
____雨音が聞こえる.......。
僕の手に刺さる彼女の視線が痛い。そんな目線を向けている彼女の顔は微妙とも真顔とも残念そうともとれるような、とれないような顔であり、それが余計に僕の心にダメージを与え、とても辛い。
「(雨に打たれていたのだから....当たり前....か)」
その人から伺える微妙な表情と、そこを支配したそれ故の空気感。自分は喋れるはずもなく、只沈黙を通した。存在意義がこの世のどんなものよりなくなってしまった濡れ濡れのティッシュよりも、僕はこの瞬間惨めであったと思う。何もできるはずがなかった。道化になることすら白々しく思える。誤魔化すことすら愚の骨頂である___。
「ふふふ....。面白いですね、先輩」
柔らかそうでぷくりとした唇にまげた人差し指をおき、もう片手は腹へとあてがわれ、彼女の目は細くなって短い前髪の隙間から、葉のヴェールがつくる暗い空の木漏れ日の如く煌めいている。口の両端は僅かに吊り上がり、その口は閉じて行って、一つの線となった。
その不適な微笑みに自分は目を点にして、少し後ずさる。
「....」
笑ってくれた方がマシだとは思っていた。失敗はほっぽているままが一番悪い状況であるからだ。その結末が静寂であるなら、自分はきっと耐えられない。僕は分かっていた。同情が嫌いな僕は知っていたのだ。しかしそれ以外にも一つ分かる事がある。それは、どちらに転んでも僕は不快感を覚えるはずというものである。
「泣いてませんから...、先輩。私がなく訳がないですから...。それより拭いてください。」
そう言って横に置いていた真っ黒で小さな、学校用のであろう鞄から、彼女はタオルを出して自分へと手渡した。
「どういう....。いえ、ありがとうございます」
受けとった白くふわふわの布を髪にあてがいながら、疑問を口に出そうとしたが飲み込み、先に感謝を述べた僕。
聞きたいことが色々出来てしまった。こんなつもりで声をかけたわけではないのに。そう思って自分は直ぐに言葉を継ぐ。口ぶり的に____
「えっと...。どこかで会ったことありますか?」
何故か少し、彼女が顎に手を当て考えて、間が空く。そして口を開く。
「いえ、初対面ですよ。先輩とは。だから___」
笑顔はそのまま、いやむしろ、先ほどよりも笑みを屈託を混ぜて言う。そしてそのままいきなり彼女は人差し指を僕に差して言葉を繋ぐ。
「____自己紹介をします。私は”時の魔法使い”」
「はぁ...」
とてつもなく珍紛漢紛だったもので、ついいつもは出さないような間の抜けた声が漏れてしまう。
それを見て自称魔法使いは、ハリセンボンになったみたいに口をぷくーと膨らませる。そして指を真っ直ぐと僕に向けたまま立ち上がる。
「ひどいです、先輩!まさか私をホラ吹きとでも思ってるんですね。あ、また白けたような顔で!」
「(なぜ信じると思ったのだろう)」
そう思った僕は彼女に指をさされた。
「ならばいいでしょう!!ここは私が一つリアルなイリュージョンを見せてあげましょう!」
と言った。
滅茶苦茶痛い。初対面にこれはおかしいだろう。それに
それよりも、である。先ほど以上に僕は彼女が気になってきた。具体的な理由は分からない。興が乗ったと言えばそれまでであるが、自分はどこかで突っかかっているものを感じてしまった。
それは只、心の内から生じた小さな想いだった。誰れかがいなくなった。何もしなければ。それが宿命と言う逃れようのない現実であったとして、最善を努めるべきでなかったか。誰かにかかわり、誰かを傷付け、口から無用な失敗をこぼす。己のが詰めの甘さが起こした現実に、絶望で向き合うのは違うのではないか。心だけでも踊れる救いが、もしかしたらそこにあるのではないか____。
気を落とした僕にとってそれはたった一本の光明なのかも知れない。ならばすがるも、それで破滅するも同じことではないか。
そうだ、寧ろ好都合だ。ここにきた理由を考えれば、僕にとってそれは不思議なくらいにできすぎていた。だから、選ぶべきことも一つのみ。
「じゃあ、お願いしてもいいですか。イリュージョン、見てみたいです。退屈はない方がいいですから」
僕は心の高揚を隠すためにいつもと変わらぬふうを装って言った。
「良い答えです。先輩____」
すると彼女は先程見せた様な、他人を笑うようなものでなく、心底から、屈託のない笑顔を自分に向けた。眩しい、それは。だからその輝きはこんな自分に、少し重荷であるように思えた___。
「__そこで提案なのですが___」
___同時に、こうも考える。どういう、感情、なのだろう...と。この魔法使いの素敵な笑顔はなにゆえなのか、と_____。
いや、やめよう。ここまできたのだから。雑念を切り捨て、彼女に向き合うのだ。
全ては見るだけ。だから、僕にできることは彼女の言葉をよく聞くことだけ。そしてどんな結果になろうと笑ってやるのだ。同情するだけで終わらず、慰めるだけで終わらず、最善の犠牲で済むように選択するのである。
彼女が新たな話をしようと口を開かんとする。
きっとそれは希望だ。笑顔への偉大なる一歩だ。僕にとって幸福への道だ__。
「____先輩、死んでみませんか?」
「え?」
先輩、死んでみませんか? 染田 正宗 @someda890
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