第1話 何の為に

 誰もが自分のために生きている。それが重なり合って強固な存在となり、社会は構成されている。人は集団が基本だ。自覚しなくとも、いつも誰かが誰かを支えている_____。


 五月七日。僕はこの公園にぽつりと立つ。そして雨の中ただひたすらに俯き制服を雨水で濡らした。

 空気が、混ざり物だらけの雨が臭い。湿気が気持ち悪く身体に絡みつく。糸を引くような、伸びるような不快感。ときに水が掻き消す不快と形容したそれは、しかし僕にとって馴染み深かった。その泥中のような雰囲気が好きだった。一人で静かになれて、冷たくて涼しくて、過ぎて行く風が体を突き抜け、自己の存在を否定しているようで。

 俯きながら歩く。その癖に何も気にしない。水溜りも雑草も気にしない。踏み抜く。爆ぜるように水が散り、草がぐしゃりと折れ曲がる。通り過ぎてから振り返り、そんな小さな惨状を自分は見つめた。

 _____小さな水面に澱む茶色と空から突く多くの雨粒。死んだように横になった草は雨で涙を流して見えた......。

 「殺した」

 僕がやった。

 涙を流して見えた?

 「........」

 なんてことはなかった。しかし一枚の落葉よりも小さいその同情はひどく醜かった。殺しただと?白々しいのだ。寒気がする。軽く恐怖を覚えた。


 なんてことはなかった。毎日食べる肉も野菜も、なんてことはない。自然の中で殺される虫や動植物、いつもどこかで死んでいる人もなんてことはない。全部変わらない。

 じゃあ誰に何を思ってやるべきなのだろう?

 何も変わらない筈なのに個人の価値観はそれに差をつける。それが歪んでいるとも知らずに構わず高らかに声をあげる。何故そんな恥ずかしいことが平然とできるのか。恥も外聞もないのか。

 誰かが言った。動物を殺して可哀想。そうかもしれない。しかしそう語った彼は植物を食べる。植物は声がしないから良いのか?それも変わらぬ命だ。それを平然と摘み取って良いとは気が狂っている。

 誰かが言った。復讐は何も生まない。あるのはただ虚しさだけ。ならばいいのか?そいつがのうのうと生きていて。死んだ人の為じゃない。無限に続く自己の内にある怨嗟を斬る為にこそ、人は人を殺し、帳尻を合わせねばならないのではないか?

 結局自分にとってそれらの結論などどうでもいいことであるけれど、言えることとしてはみんな何かに同情しているということ。そして同情それが、個人の価値観がそれに差をつけ争いを生み、倫理は秩序として時にその均衡を引っ張りあい、釣り合わせ、世界はできているということだ。

 その中で何が淘汰されるかなんて分からない。理解しようがない。ただ分かるのは、そんな中生まれる同情程僕にとって癇に触ることはないと言うことだ。そしてその心理は自分にまで牙を剥き、僕はこうして感傷に浸っているしかないのだ。

 頭のおかしいこの行動が僕を癒し、そして苛む。存在の否定こそが自分の居場所だ。いない方がいいということ.....。ここまで拗らせた面倒臭い奴はいない方がいいのである。人の世には不要でしかないのだ。


 そこは大きな公園で、石のタイルで道が舗装されていた。舗装された際からは土の地面もあって少し離れれば木が植えられている。公園の真ん中には噴水があり、そこから西方向へといけば端っこに東屋と池がある。

 誰もいない、夜になりかけの時間帯。日があれば夕がおちるギリギリの時間帯。僕は帰ることにした。


 「......」

 帰り道はある程度西方向ではあるけれど、ここに来たのは気まぐれだった。

 気の落ちた自分は、。だから、こんな惨めな姿誰にも見れらたくない。目線は嫌いであった。

 しかし東屋の方へ行くと、そこに一人屋根の下、椅子に座って両膝に握り込んだ拳をおき今にも泣きそだしそうな少女がいた。

 黒く、切り揃えられたショートカット。赤いリボンと黒いセーラー服。その黒という彼女に多くある要素は、夜の近い世界では、濃く見えて同時にとても重く見えた。それは空気感を含めての話であり、彼女自身がとても哀しげだったから、そんな想いが増幅して感じれたのだ____。

 _____俯き肩を震わせていた。遠目で見えないだけで実はもう泣いているのではとも思ったほど、哀しげに見えた。


 彼女の見た目が僕の眼に焼き付いた。


 僕はその感覚を自覚できた。

 “言うなれば自分は惚れたのだ“

 何に惹かれたのだろう?分からない。それこそ同情かもしれない。人は自分に似た人間を好きになると聞いたことがある。それは見た目ではなく中身の話で、その論理を信用するならば、僕は彼女に自分を重ねていたのかもしれない。一人で泣きたいと語るその姿に自分を重ねてしまったのかもしれない。しかし、そこのところどうなのか、思考をいくら巡らせたところで結論はでなかった。

 「帰ろう」

 何故か自分はそう呟いて、”東屋へ歩いて行った“。


 分かっている。自分がどこまで愚かであるか。同情が嫌いな癖に同情して、興味が湧いたなど愚以外の何ものでもない。けれど、少し.....少しだけ、僕は今、首を突っ込みたい気分だった。何もない僕の生活に厄介ごとというスパイスをかけたかったんだ。そんな気分だったんだ。何にも興味はなく、無意味に生きている自分に、そんなモノが一つでもあれば、少しは退屈が凌げるのではないか。もしかしたらこれにより警察に捕まったり、それにより自分の両親が僕と一緒に、相手の親に謝りに行くことになったり、そんなこともあるかもしれない。それでも一つ贅沢というものをしてみたかった。だから誰も許してくれなくとも自分は彼女に声をかけてみることにした。何か面白い事があれば良いなと願って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る