第30話 神等去出祭

 出雲へ集まった神々は、七日かけて神儀りを行い。

 七日目の夕刻に、出雲を離れ、各々の居るべき場所へと帰って行く。

 出雲大社では、神々が去る日に“神等去出祭からさでさい”を行い、神々を見送る。

 神々は出立の準備を整える。


 〇


 アオもまた、その準備を整えていた。

 結局、誰の名も刻むことのなかった木札を、まっさらなまま大国主大神様へお返しするために、駆け込みで縁結びの木札を持ち寄る神々の並ぶ列の後ろで待つ。

《愛し子よ。木札を返すのか?》

「はい。祈ってくれた娘らの内、五人の名は、相手の木札に刻みましたし、その他の縁に関しては、断られましたので、木札をお返ししようと」

 本当は、若旦那とミドリの名を滑り込みでも刻めないかと思っていたのだが、やはりこの二名は神々からの反発が強く、滑り込みでも刻めなかった。

「御使い様は、どなたかの縁を結ばれたのですか?」

《我も今年は良い物がなかったのでな。返すために、ここにおる》

「そうですか。残年ですね」

《何、我はここ最近、毎年返しておる。特別、珍しいことではないわ》

 アオと御使い様は神々の長い行列に目をやる。

 行列にいる神々の手に握られた木札には、人の名前が刻まれている物が多い。

「今年は、駆け込みが多いですね」

《うむ。……戦があると予期されれば、なるべく縁を結んで、子を持ってもらわねば、人が減ってしまうからな。皆、駆け込んでおるのだろう》

「……戦か。嫌なものですね」

 神儀りでは、人が予めそれと知る事の出来ない事柄について話し合う。

 その中には、戦の話も出る。

 次の年、この日の本の国は戦をする。

 ずっと昔のように、日の本の国の中で争うのではなく。外の国と争うのだと言う。

 外の国と争うのは、日の本の国で戦場へ出ると決めた者たちだけだ。

 彼らの命が安全だとは言い切れない。だからこそ、神々は彼らのその先に繋がる命を与えるために、縁を結ぼうと必死になる。

《愛し子よ。本当に、刻まなくて良いのか?》

「おそらく、わたしの土地の者は大丈夫でしょう。皆、海と共に暮らすことに精一杯で、戦場へ出る者はおりませぬ。……ただ」

《なんじゃ?》

「頼まれていた者たちの名を、刻むことができなかったのが、少し、心残りです。一応わたしの管轄内に住む人間たちなのですが、病弱な男と、外の国から逃げて来た娘ですので、皆、断るのです」

《ふむ……。ならば、その二人の名、両方を愛し子の木札に刻めばよいのではないか?》

 そうだ。

 若旦那も、外の国の娘とはいえミドリも、アオの管理する土地に住むものだ。アオが自分の手で、アオの木札に二人の名を刻んでしまえばよかったのだ。

 だが、御使い様の名案を、今年アオは使うわけにはいかなかった。

「残念ながら、二人には身分の差があるのです。大きな差ではありませんが、今年、身分差を理由に縁結びを反対したわたしが、それを木札に刻んで、良しとするわけには行きませぬ」

《それは……そうじゃな。今年の愛し子は、やめておくべきだろう》

「えぇ。ですから、わたしの分は、このままお返しいたします」

《うむ。ちなみに、愛し子よ。その二人の名はわかるか?》

「二人の名、ですか? ……確か、男の方は大豆田一茶、娘の方はこちらではミドリと呼ばれているようです」

《そうか、そうか。来年こそは、縁が結べるとよいな》

 アオは少し、返答に困った。

 来年も、アオはまた出雲へ出向くことができるのだろうか。

 絶対に出向くことができるとは、言えないはずだ。けれど、御使い様を悲しませたくはなかった。

「……はい。来年も、もし出雲へ出向かうときは、また御使い様のお力をお借りできれば嬉しいです」

《うむ! 来年も我に任せておくがいい!》

 御使い様が嬉しさのあまり、身体をくねらせようとするので、アオは慌てて止めた。

 神々の並ぶ列の中で御使い様が暴れてしまえば、夕刻の出立に間に合わなくなってしまう。

 それは、さすがのアオも避けたかった。


 〇


 申の正刻十六時の少し前、四半時三十分にも満たない時間。

 アオは、再び御使い様の背、ではなく頭に乗っていた。

 出立する場所には、踏み台が用意されていたので、アオは誰の助けもなくとも乗れた。

「御使い様、帰りは、ゆっくり帰りましょう」

《良いのか? あの人間が、愛し子の帰りを待っているのではないのか?》

「良いのです。宗近は、秋に入る少し前に来ると約束したのに、秋が過ぎるまで来なかったのですよ。わたしはその間ずっと待っていたのです。ですから、今度はわたしが待たせてやるのです」

《なるほど、なるほど。それは、面白い! では、帰りはできる限りじっくりと、時間をかけて帰ってやろうぞ》

 御使い様の赤いたてがみのようなひれが、波立つ。

 これは、予想以上に帰るのに時間が掛かるかもしれない。

 アオは少しだけ宗近に謝った。

「リュウグウよ。そして、その愛し子よ」

「海神様」

 黒く美しい立派な髭をたくわえた男神は、御使い様とアオの元へやって来る。

「またしばらく、そなたらに会えなくなるからな。特に、リュウグウの愛し子には、今のままではまた次いつ会えるか、わからないからな。ここを離れる前に、顔を見ておきたかったのだ」

「それは、わざわざありがとうございます。御使い様の上に乗ったままで申し訳ございません」

「構わぬ、構わぬ。愛し子では、リュウグウの上に乗るのも一仕事であろう。我のためにわざわざ降りて、出立が遅れては、こちらが気になってしまう」

 海神様は、哬哬かかと笑う。

「ところで、リュウグウの愛し子よ。そなた、名を人間から与えられたと言っておったな」

「はい。アオと言う名です」

「その名は、気に入っておるのだな?」

「はい。わたしの瞳が元となった名ですから」

「そうか。そうであるよな」

 海神様は黒く立派な髭を撫でながら、アオに問う。

「アオよ。もし望むならば、我が名を与えよう。もちろん、アオという名のままで」

「それは」

 それは、海神様がアオを“アオ”と言う名の神にするという意味だ。

 海神様が名を与えるのだから、もちろん名を与えた人間の命による制約はなくなる。

 海神様は高名な神だ。たとえ、日の本の国の人間からの信仰がなくなっても、外の国で海の神が信仰されていれば、存在し得るだろう。

 だから海神様が名を与えれば、“アオ”と言う名が消えることは、この世から人間が消えない限り、半永久的にないだろう。

《海神様! お待ちください! それでは、我の愛し子は!》

「もちろん。我が名を与えるのだ。リュウグウの愛し子には、我の配下になってもらうことになる。我の配下になれば、今の山の中の社ではなく、我と共に、海の中に来てもらい、海の中からこれまで通り民を守ってもらうことになる」

 たとえ、神から名を与えられるとしても、御魂が体なのだから、名を与えられることに制約は起こる。

 名を受けたモノは、名を与えたモノに生殺与奪の権利を握られると言うこと。

 海神様から名を貰えば、当然、与えられたものは、海神様のモノとなる。

 白銀の巨大な身体を持つ、御使い様のように。

 御使い様は、海神様よりリュウグウの名を賜った。

 だから海神様の側、海の中が、リュウグウが見て回り守る場所であるし、それは他の側に使える神や、御使い様たちも同じだ。

 アオも海神様から名を受ければ、必然的に海の中へ行く事となる。

 たとえ社と御神体が山の中にあろうとも、アオは海の中から見守ることになる。

《いくら海神様とて、そればかりは許せませぬ!!》

 それに猛反対したのはアオではなく、御使い様だった。

 御使い様は、白銀の身体を激しくくねらせて、まるで蛇がかま首を持ち上げるように、頭を上げた。

 アオは振り落とされないように、御使い様の一番立派な鰭にしがみつく。

《愛し子を……。我の愛する子を! 再び、暗い海の底へ沈めるなど! 我は、海神様が何と言おうと、断固として許しませぬ!!》

 御使い様が今にも暴れ出しそうに、身体だけでなく、鰭を激しく動かす。

 いくら神々の休む社とはいえ、御使い様が本気で暴れ出せば、どうなるかわからない。

 出立の準備をしていた神々も慌てふためいて、御使い様のそばから離れる。

 アオは必死にしがみつきながらも、御使い様を落ち着かせなければと、口を動かす。

「み、み、御使い様! お、落ち着いてくださいませ! わたしが、落ちてしまいます!」

《おぉ、すまぬ。愛し子よ。大丈夫か? 落ちてはいないか?》

「は、はい。なんとか」

 アオの声が聞こえた御使い様は慌てて、身体を動かすのを止める。

 アオは、御使い様の頭の上でホッと息を吐くと、もう一度話しかける。

「御使い様、わたし、海神様とお話をしたいのです。頭を海神様の側まで下げてはいただけませぬか?」

《何?! まさか、愛し子。名を》

「いいえ。御使い様の考えているような返事はいたしませぬ。ですが、海神様にはきちんとお返事をしなければ、失礼になってしまいます。お願いします。海神様にお返事をするために、頭を下げてくださいませ」

《……愛し子が、そういうならば》

 御使い様は、渋々といった様子で、アオと海神様の目線が合う位置まで頭を下げる。

 アオの宝石の様な青い瞳と、海神様の黒曜石の様な瞳が合う。

「海神様、格別のご配慮。ありがとうございます。……ですが、このお話はお断りさせてください」

「ほぅ?」

 海神様の片眉が上がる。

「今のままでは、そなたの存在の命運は人間が握っているままだ。下手をすれば、また来年出雲へ来ることもできなくなるかも知れぬ。我が名を与えれば、そなたの存在は永遠と言えよう」

「それでも、わたしはこのお話をお受けするわけには行きませぬ」

「……リュウグウが反対しているからか?」

「いいえ、それだけではございませぬ」

 

 アオの青い瞳がキラリと光る。

 

「わたしは人間の贄でした。本来ならば、海に沈んだ時に死んで終わる存在でした。それが、御使い様と海神様のご厚意で、こんなに長い事、それも神として存在させていただきました。それだけで、もう十分なのでございます。ですから、名を与えた人間、宗近の死と共に消えるとしても、それでも構わない。人知れず消えるよりも、わたしを知っている宗近と共に消える方が良い。そう思い、宗近から名を受けました」


 アオはとびっきりの笑顔で、海神様に答える。


「それに、わたしのこの名は、宗近……。大切な人間、宗近からもらったからこそ、意味があるのです。旅をする宗近が、わたしの瞳の色は、どんなガラス玉よりも、宝石よりも、一等綺麗な青色をしている。と、言ってくれたからこそ、わたしは、アオと言う名を気に入りました。ですから、たとえ海神様からの格別のご配慮をいただいたとしても、わたしは、そのお話をお受けするわけにはいきませぬ」

「そうか」

 海神様は少しだけ残念そうに、笑うと、大きな手でアオの頭を撫でながら、哬哬と笑う。

「残念だ、残念だ。その美しい青い瞳を、我の側に置いて、いつでも見られると思ったのに」

「海神様ったら。わざわざわたしなどをお側に置かずとも、海も綺麗な青色をしているでしょうに」

「そなたの瞳の色と比べては、海が可哀そうだ」

 

 申の正刻の鐘がなる。

 

 神々は一斉に、本殿楼門の方を向く。

 海神様もそちらを向く。

 

「ではな。リュウグウ。そして、アオ。また来年、相見えるのを楽しみにしておるぞ!」

 

 本殿楼門の扉が三度叩かれながら、「お立ち~お立ち~」と唱えられる。

 出雲に集まった神々が、各々の居る場所への帰還の為に出立する合図だ。

 開かれた門から一番に飛び出したのは、白銀の身体をくねらせた御使い様だった。


 〇


 帰りは、ゆっくりでいいと言ったのに、御使い様はグングンと速度を上げて、空を駆ける。

 アオはまた振り落とされないように、必死に一番立派な髭にしがみつく。

《愛し子よ》

 その声は、とても、とても悲しそうな声だった。

「……どうなさいましたか? 御使い様」

《我は愛し子が消えるのは嫌じゃ。だが、愛し子を再び、暗い海の底に沈めるような目に合わせるのは、もっと嫌じゃ》

 それは、御使い様がアオに出会った時からの願いだった。

 もう二度と、この愛しい子の御魂を海の底へ沈めてなるものか。

 そう思い海神様に、あの土地神に、氏神になれるようにと働きかけたのだ。

《だから、アオよ。頼む。“アオ”として、長く居ておくれ。消えてしまってもいいなどと、言わないでおくれ》

 

 御使い様の願いをアオは聞いた。

 

「……わかりました。御使い様。だから、もう少しゆっくり帰りましょう。わたしが振り落とされてしまいます」

 白銀の身体は、風になびく絹の織物のように、ゆったりと、東の空へ飛んで行く。

 雨雲を巻き込んで、各地に雨を降らせながら。

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