第29話 一柱ということ

 神儀りも終盤。

 次の年の人の縁もほとんど全て、決まりきった。

 明日の夕刻、神々は出雲を再び離れ、各々の居るべき場所へと帰って行く。

 出雲を立つ前の最後の夜。

 基本的にまた来年、出雲へ集まるまで、他の神々とは会えない。

 今宵の宴は、出雲へ集まった神々が催す今年最後の宴。

 神々は別れを惜しみながらも、飲めや、歌えや、の大騒ぎ。

 だが、その騒ぎが人の元へ届くことはない。


 〇


 アオは騒がしい宴の場から少し離れた、静かな場所で手に残った木札を見る。

 木札には、誰の名も刻まれていない。

 アオに良縁を祈った若い娘たちの内、無事に良縁を大国主大神様へ頼むことができたのは、五人となった。

 その五人の名は、相手の氏神の木札に名を刻んだ。

 若旦那とミドリの名は、結局刻むこともなく。

 昨日、議題に上がった大浦瑠璃の名も刻むことはなく。

 宗近の名も、刻まれることはなかった。


 これでいい。


 良縁を祈った若い娘五人もの名が、大国主大神様の元へ渡ったのだ。

 それを喜ばずして、何ができよう。

 アオの今年の出雲での役割は、これで終わったのだ。

 あとはまた、御使い様の背、というより頭に乗り、自らの任された社へ帰るだけだ。

 帰りは、ゆっくりでいいと御使い様にお伝えしよう。

 行きのように、振りほどかれんばかりの早さの御使い様にしがみつくのは、いくら神のアオとて疲れる。

 待つ者はいるが、先に待たされたのはアオの方だ。出雲からの帰りぐらい、待たせたとて良いだろう。

 待たせた相手は、ようやく帰って来たアオを見て何というだろう。ずっと待っていたアオのように、怒るだろうか。

 いや、あの男は、宗近は、そんなことで怒ったりはしない。心配はしても、怒る事はきっとない。

 もしかしたら、とてもいい笑顔で、なんなら愛馬のアカと共に待っているかもしれない。


 毎日、毎日、西の空を眺めて。


 その姿を想像して、アオは思わず笑みが漏れた。


 〇


《何やら楽しそうだの。愛し子よ》

「御使い様」

 御使い様は、その大きな白銀の身体をくねらせて、アオの側へやって来た。

「御使い様。このような閑散とした場に居て良いのですか?」

《愛し子こそ、このような寂しい場所におってはつまらぬだろう。海神様の御側へ参らぬのか?》

「……わたしが、あちらへ向かっても良い顔はされませんから」

 どんなに海神様から神格を分け与えられたとて、その御使い様に愛されているとて、アオは贄であっただけの人間。高名な天神様とは違うし、必要とされて生まれた氏神たちとも異なる。

 そのような神々とその御使い様の居る場に近寄ると、どうしても良い顔はされない。

「それに、あまり騒がしいのは得意ではございませぬ。このように静かなところで、落ち着いて宴を楽しむ方が、良いのです」

《そうか……。確かに、あちらはなかなか騒がしい。それに、我が少し動くだけで大騒ぎだ。愛し子よ、我もしばらくここに居させておくれ》

「御使い様さえ構わなければ、是非に」

 御使い様は長い身体を布団のように折り畳んで、アオの側に落ち着く。

 アオはその身体に、初めて出会った時のように、そっと寄りかかる。

 ひんやりとした身体が、宴の方から漏れてくる熱を冷ましてくれるようだった。

《……愛し子よ。昨日は驚いたぞ。あのように、他の神が相談していた縁を止めようとするなど、今までなかったであろう?》

 その問いかけは、少し咎めるような声だった。

「……身分差の大きい縁は、上手く行きません。御使い様もわかっておるでしょう? あの小娘はまだ若い。鏡だからというだけで、何も考えずに御神体へ触れようとするような浅慮の持ち主です。相手の男との年齢差を考えても、上手くいかないと思います。そんな縁を良しとするわけには、いかないと思ったまでです」


 それは言い訳に過ぎない事を、アオは、本当はわかっていた。

 それでも、言い訳を使ってでも、アオはあの縁をよしとしたくなかった。


《愛し子よ。それだけではなかろう?》

「……何故、そう思うのです?」

《愛し子は最初、あの娘の縁に関して、話し合っていた氏神たちに任せようと言っておったであろう。なのに、あの人間。宗近の名を聞いた途端に、急に意見を変えたであろう》

「……あの縁は結ぶべきではないと、さすがに思わざるを得なかったためです」

《愛し子よ。そんなにあの人間が、大切か?》

 御使い様の言うあの人間とは、もちろん宗近の事だ。

 もちろん。アオにとって、宗近は大切な人間だ。

 自らに名を付した者。自らを見ることができる者。自らと言葉を交わすことができる者。

 アオに深く関わる人間なのだから、大切な存在であることは、事実だ。

 だが、御使い様が言わんとしたい事は、おそらく別にあるように感じられた。

「……それは、どういう意味でしょうか?」

《人間と人間の身分違いの縁など、人間同士がどうとでもしよう。そのくらい、愛し子もわかっているはずじゃ。だが、人と人ならざるモノとの縁はそうはいかぬ。それが人と神ならば、なおさらじゃ。人間と人間の身分差どころの話ではない。格、そのモノが違いすぎる》

「嫌ですね、御使い様。それでは、まるでわたしが、宗近に懸想けそうしているようではありませぬか」

《ようではなく、そうであろう》


 御使い様の言葉は、アオに刺さる。


「……何故、そう思われるのです?」

《では何故、あの人間から名を受けた? 何故、あの人間が社へ出入りする事を許す? 何故、あの人間の名が出た時に、木札に名を刻むのは愛し子ではないというのに、反対したのだ?》

「それは……」

 アオは答えられない。

 その答えを答えてしまえば、アオは自分の持っている思いを、認めなければならないのだから。

《愛し子よ。我ら人ならざるモノは、本来、人と深く関わるべきではないのだ。人と神とて、本来は相容れぬモノ同士。深く関わる事は、お互いの為に絶対にならぬ》

「……わたしは」

《愛し子よ。今年はいい。だが次の年も、その先も、あの人間が縁結びの議題に上がらないとは限らない。それに、あの人間が常に愛し子の側にいるとも限らない》


 そうだ。


 宗近は、本来アオの土地の人間ではない。

 木札に名を刻むのは、アオではなく、昨日悩んでいたが、それでも名を刻もうとした女神だ。

 それに宗近は馬に乗って、常に移動しながら商売をして生きている。

 その商いをこの先もずっと続けていくのかは、わからない。だが、その道を辞めるにしても、常にアオの側に居るとは言えない。


 それ以前に、宗近は人間で、アオは神。


 宗近は生きていて、いつか必ず、死を迎える。

 アオは、存在をしている。

 いつか消えるかもしれないが、それは、宗近が死んでも、それより先の事になるはずなのだ。

 それらは全て、アオにも、御使い様にも、海神様であろうとも、どうしようもできない亊なのだ。

《……愛し子よ。言いたくはないが、自身の心の在り方に、整理をきちんとつけなさい。あの人間が居なくなる前に》


 アオは御使い様の言葉に、何も返せなかった。


 宴は続いている。

 一柱の神が黙り込もうとも、その喧騒は止まない。

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