第28話 神議り
人が予め、それと知ることのできない事柄を、年に一度、八百万の神々が出雲へ出向いて、話し合って決める神事である。
翌年、人々の食う穀物・野菜がどれだけ採れるのか。
魚はどれほど揚がり、山野に生きる生き物がどれだけ人の腹を満たすのか。
天候をどのように動かすか。
人の善悪・邪正の審判を行い。
誰がいつ、どこで誰と出会い、縁を結ぶのか。
どのように命を終え、また得るのか。
全てを、人の知れぬところで決める事が、神儀りだ。
そしてこの神儀りで最も神々が、重視し、楽しみにしている議題がある。
出雲大社の主祭神である、
人と人との縁を結ぶこと。
とりわけ、男女の結びに関して、神々はそれを結ぶことを楽しみとしている。
神々は各々が手に木札を持って、話し合う。
誰それと彼それを結ぶのは、どうか。
この娘はどうか、あの若者はどうか、彼は、彼女は。
良縁が結ばれることもあれば、はたまたいたずらな縁も結ばれる。
結果は、神のみぞ知る限り。
〇
「さぁさぁ、誰と誰を結びましょう?」
「あの子とその子は? 素敵じゃない?」
「ダメよ。年が合わなさ過ぎるわ」
「やれやれ、
「まったくだ。もう少し落ち着いて、決めなければ厄介な事になると言うのに。ところでそやつは、一度離縁されておるだろう。また縁づかせて良いのか……」
「ならば、こちらの男を見てくれ、若いがいい男だ」
ワイワイ、ガヤガヤと、神々は互いに話し合う。
「ねぇ、この娘さんはどう? 今年、願いがたくさん来たのだけど」
「うーむ。まだ少し、若いなぁ……今年はなしだ」
「こっちの男は、誰か縁づかせられないのか? いい加減、誰かと縁を結ばせないと天涯孤独になってしまう」
「そうはいっても、年が行き過ぎているもの。若い娘じゃ駄目よ。……近くによしみのある女性か、仲のいい男はいないの?」
「ねぇ、この子を見てよ」
「あら、いいわ。この子は是非この若者と縁づかせましょう」
「じゃあ決まりね。私の木札に書くわ。あなたの木札にはまた別の子を書きましょう」
アオも手に御使い様の分の木札も持って、話し合いの傍らに参加する。
山裾の若い娘たちは、良縁をと望むが、その全てが必ずしも叶えられるわけではない。
それでも、できる限り叶えてやりたい。
それに、宗近から茶屋の若旦那とミドリという女中の縁の頼みも預かっている。
これもできるだけ応えてやりたい。
「リュウグウの愛し子。そちらで縁づかせたいものは、どれほど居る?」
「そうじゃの……何人かの若い娘たちが、わざわざ社に訪れてまで縁を望んでいる。そのうちの三人は、良い年頃で、一人は外への縁も厭わないようじゃった」
「では、我の方に年頃の男が一人おる。そやつとの縁を結ぼう」
「すまない。こちらの者の名はわたしが。木札をお借りしても?」
「あぁ、これだ。頼む」
アオは、別の山に住まう
そうすることで、その者の名が刻まれる。
「……できました。お返しする」
「あぁ、助かった。ありがとう」
氏神はそれを大国主大神様の元へ持って行く。
大国主大神様がそれを見て、どのように縁を作るかお決めになるのだ。
とりあえず、一人の良縁はかなえられよう。
アオは安堵の息を吐く。
〇
それから、しばらく他の若い娘との縁を結ぶために、木札に名を刻む。
残念ながら若旦那とミドリの縁の結果は芳しくない。
若旦那は、神々から見ても脆弱で、いつ死ぬかわからないので、避けられる。
ミドリは外の国の者なので、できれば触れたくないというのが、総評だった。
「あら、ナニかと思えば。元人間の氏神じゃない」
声を掛けられた方を見ると、妖艶な姿をした女神がアオを見下ろしていた。
おそらく稲荷神の近縁だろう。元狐とて、人に信仰されれば、それは神。耳と尾がなくとも、目の前にいるものは、女神だ。
「農耕を司る稲荷の神が、海と共に生きている民の氏神をしているわたしに、何の用か」
「特に用はないわ。私はね。でも、私の近くの氏神たちが、あんたの土地に住む娘の噂をしていたから、言っておいてあげようと思っただけよ」
「噂とは?」
「さぁ? そのくらいは、ご自分でお聞きになれば? あそこまで歩けない訳じゃないでしょう?」
嫌な微笑みが、アオに向けられる。
アオは、女神に一応頭を下げると、その噂になっていると言う場所へ歩いていった。
〇
そこに集まっていたのは、アオが見下ろす山裾の港町とは、まるで違う地域に住む氏神たちだった。
三柱の女神が集まっていて、女三人寄れば姦しいと言ったところだ
「……で、この大浦瑠璃って娘なのだけど」
「おおうら……」
アオはその名に聞き覚えがあった。
《なんじゃ愛し子よ。知っておる名か? 珍しいの》
「えぇ、大浦瑠璃という小娘……いえ、娘は、あろうことか、礼も断りも何もなくずかずかと社へ入って来て、いきなり御神体へ触ろうとしたのです」
《なんと不敬な……。そのような者の縁など、全て断ち切ってやろうぞ》
「……いえ、そこまでするほどでもありません。あちらにいらっしゃる氏神様たちへお任せしてしまいましょう」
アオは瑠璃の噂をしている氏神の一柱に、見覚えがあった。
ネコマの愛し子と呼ばれる彼女は、いたずらな縁を結ぶのが好きなのだ。
そして、大国主大神様もそれを良しとするので、おそらく、瑠璃の来年の縁は少しいたずらなものになるだろう。だからアオは、特別瑠璃の縁について、口を挟むことはしないことにした。
するつもりだった。
「この娘、今年面白い縁の作り方をしているのよ。だから、貴女を呼んだの。だって、お相手の男性はそちらの担当でしょう?」
「あら、本当。あの土地から動かないのに、別の土地の者と縁を作るなんて、面白いわね」
「お相手が、わざわざこの土地に来るのよ。ね、面白いでしょう?」
「お相手の名前は……馬飼宗近。確かに、私の管轄だわ」
アオは耳に入って来た名に、足を止める。
「宗近……?」
馬飼という氏に、宗近という名の人間が、他にどれだけいるのか、アオは知らない。
だが、大浦瑠璃という娘との縁があり、わざわざ別の土地からやってくる男という特徴を持っているのは、宗近以外に考えづらい。
なおかつ、あの妖艶な女神が言ったことが本当ならば、大浦瑠璃は間違いなくアオの管轄する港町の娘だ。
つまり、今あの三柱が話しているのは、大浦瑠璃と馬飼宗近を縁づかせるか、どうかの相談なのだ。
「でも、違う土地に暮らしているし、馬を飼っている家の三男じゃない。大浦瑠璃って子は、いい身分の一人娘なのでしょう? それにまだ若いし、縁づかせるのは、早いのではなくて?」
「そうね。それに、身分差がある縁は続かないわよ?」
「あら、いいじゃない! いつの時代も、身分差のある恋は、人間たちが一喜一憂しながら、楽しむものじゃないの」
「それも、そうね。実際、その差をどうするかは、人間がどうにかすることだし……」
「ね、悪くないでしょう? 私たちは木札に名を書いてしまえば、いいだけなのだから」
宗近の管轄だと言っていた女神が、「確かにそうね」と呟いているのが聞こえた。
「馬飼宗近は、六年前に縁づかせなかったし、今回はいいかもしれないわね」
「でしょう! さぁさぁ、書いて……」
「待って!」
アオの口から、今まで出したことがないぐらいの大声が出る。
その声に、それまで和気あいあいと縁結びの相談をしていた神々が黙り込み、辺りがシンとなる。
その様子に、クスリと笑いを漏らしたのは、妖艶な女神だった。
三柱の内、いたずらな縁を結ぶのが好きなネコマの愛し子が、アオに話しかける。
「これは、これは。海神様から神格を分けていただいた、リュウグウの愛し子様。何を待っていただきたいのかしら?」
「……ネコマの愛し子。あなた方が今、相談されていた縁結びについて、考え直していただきたい」
「何故? 片方は貴女の管轄かもしれないけど、もう片方は違うはずよ?」
「だが、娘の方はわたしの管轄だ。わたしが木札に触れなければ、名は刻めないはずだ。それに、その娘はまだ若い。年頃とは言えない」
「でも、今話しているのは、次の年の話だわ。次の年になれば、年頃はいいはずよ?」
「その娘は、わたしの管轄を治める者の家の娘だ。下手に外へ出すわけにはいかない」
「娘はそうでも、男はそんなことないはずよ? だって三男だって言っていたもの。男の方がそちらへ向かえばいいだけの話では?」
「それにしても、身分差がある。娘は土地を治める身分。男は違うはずだ。身分差の大きい縁は、良いとは言えないはずだ」
「そんなの、人間の都合でしょう? わたしたち神が考えるべき事なのかしら?」
「人があずかり知らぬところで、話をしているのだから、わたしたち神が責任を持つべきだ。いたずらに縁を結んで、その先は知らぬなどと言ってばかりはいられまい」
「貴女、そこまでして、この娘を縁づかせたくないの? それとも……男の方かしら?」
「なっ」
「そこまでだ」
大きな男の声が、神々の居る間に広がる。
声の主はこの神議の主催と言える大神。大国主大神様だった。
「リュウグウの愛し子よ。ネコマの愛し子よ。そなたらが今話している縁については、我が預からせてもらおう」
「大国主大神様……」
「……」
大国主大神様は、そのまま縁の処置を伝える。
「リュウグウの愛し子の言う通り、娘の方はまだ若い。それに、今はリュウグウの愛し子の土地を治める家の娘だ。そう簡単に、別の土地の男と縁を結ばせるわけにはいくまい」
「では、大浦瑠璃と馬飼宗近との縁は結ばないと言うことですか?」
「今年は、それでよかろう。リュウグウの愛し子。だが、今年は、だ。ネコマの愛し子の言う通り、身分差の大きい縁を乗り越え、育むのもまた人間の良きところ。それに、その娘がいつまでも高い身分にいるとは限らぬ。だから、今年はやめておこう」
アオは、大国主大神様の「今年は」という言葉に不安を感じたが、大国主大神様に逆らえる神はいない。
アオも、ネコマの愛し子も、大人しく、その寛大と言える措置を受け入れることにした。
「……大国主大神様の言う通りにいたします」
「……私も、そのようにいたします」
頭を垂れる二柱の女神を確認して、大国主大神様は再び、その場にいる神々に声を掛ける。
「これで、この話は終いだ。皆、縁結びの相談を再開しよう」
ザワザワと、神々の声が戻って行く。
いつの間にやら、いたずらな縁を結びたがる女神は、また別の縁の相談を、違う女神としていた。
アオは少し息を吐くと、他の若い娘たちの縁を結びに、また他へ向かう。
その後ろを、心配そうに付いてくるのは、白銀の巨体の御使い様だけだった。
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