第27話 出雲
出雲の民たちは、知っている。
強い風が吹き、海が荒れ始めた。
これは神々が、日の本の国にいる神々が、出雲大社へと続く道の入り口である、西方の浜に集まり出しているのだと。
出雲の民たちは、慣れていた。
神々を出迎えるための神事の準備。
そして、神々の会議の邪魔をしてはならないから、静かに謹んで暮らすのだと。
普段は走り回って遊んでいる子どもですら、この時期には静かになる。
出雲の民たちは、太古の昔からわかっていた。
この季節は、出雲へ神々をお迎えするのだと。
出雲の民たちは、神々をお迎えする季節の暦をこのようにいう。
〇
御使い様とアオが出雲の山を越えた時には、もう日が落ちている頃だった。
あと
それまでに、目的地の西方に浜へ辿り着くように、御使い様は急いでいた。
「御使い様! こんなに急がれて大丈夫なのですか?」
《問題ない! むしろ、もっと急がねば間に合わぬ! 愛し子よ、振りほどかれぬように、しっかり掴まっているのじゃぞ!》
御使い様はそう言うと、より一層激しく身をくねらせて先を急ぐ。
アオは文字通り、振りほどかれぬ様に、御使い様の頭にある一番立派な
〇
浜ではもう、出迎えの準備が整っていた。
日の本の国の八百万の神々は、すでに浜に着いているモノばかり。
皆一様に、己が主人としている神の元へ固まって集まる。
海の神霊である
空に白銀の衣のようなものが、その身をくねらせ、やって来たのを見つけた海神は、満足気に顎にたくわえた髭を撫でる。
「ようやく着いたか」
白銀の身体は、真っ直ぐに海神の元へ飛んできて、その傍らへ出来る限りゆったりと舞い降りる。
《海神様、貴方様の使いと、その愛し子が今、馳せ参じました》
「リュウグウよ。そしてその愛し子よ。よく我の側へ来た。歓迎しよう」
《ありがたき、幸せ》
海神はその使いの頭にある一番立派な鰭にしがみついている、幼児のような神を手ずから降ろしてやる。
その小さな神は、海神が自身に手を貸した事に驚いて、青いガラス玉のような瞳を丸くする。
「海神様!? あの、ありがとうございます! わざわざ、わたしなどに手を貸してくださって」
「よいよい。リュウグウの愛し子は、我らよりも小さいからな。このくらい、大した事ない。……それよりも、よくぞ、出雲まで来た。リュウグウの愛し子よ。何十年振りだろうか。息災であったか?」
「はい。……人が再び、わたしの社を参拝する様になったことで、力が少し戻りました。まだ万全ではありませぬが、今年は出雲へ御使い様のお力をお借りして、馳せ参じることが出来ました。海神様、御使い様、本当にありがとうございます」
使いの頭から降ろしてやろうと、触れた時から感じている存在感の変わり様については、これから先、大社へ向かう道中にでも聞けば良いだろう。
「リュウグウの愛し子よ。本当に、急いで来たのだな。髪や着物が乱れておる。大社へ出発する神事の前に、整えておきなさい。チヌ姫はおるか? この愛し子に、鏡を貸してやれ」
黒い着物の日本髪を結った女の姿をしたモノが、両手に鏡を抱えて、アオの側へやってくる。
《どうぞそのまま、身支度を整えなさいませ》
「はい」
鏡を見ながら、身支度を整え直すアオの周りがざわめきだす。
「アレが、リュウグウの愛し子か」
「元は人だったという」
「それも、贄として沈められた人間だったと言うぞ」
「最近見なかったから、消えてしまったと思っておったのだが」
「元が賤しい人間だから、しぶといのだろうよ」
「あのようなモノの為に、鏡を持たなければならぬとは、チヌ姫様もお可哀想に……」
何十年振りかの、アオに向けられる、陰にも隠れていない、陰口の数々。
もう慣れたと思っていたが、久しぶりだからだろうか、その言葉たちに少しずつ、身体が強張って行く。
その陰口を絶ったのは、白銀の尾で海面を叩いた、リュウグウと呼ばれる使いだった。
巨体の尾が海面を叩いたことで、少しばかり荒波が立つ。
《貴様ら、我が愛し子の事について、何ぞ否があるか》
波が引くのと同時に、コソコソと聞こえていた言葉が引いていき、水を打ったように静かになる。
それを待っていたかの様に、海神は側に控えるモノ達に声をかける。
「皆のモノ。
わぁっと、浜に集まる八百万の神々が湧き上がり、先導する
神々の行列が始まる。
〇
アオは巨体の御使い様と共に後から付いて行こうと思っていたのだが、海神様が大きな手でアオを側に寄せたので、御使い様とは離れて神迎の道を行く事になった。
神々が通る道には丁寧に
ありとあらゆる神々がその上を滑る様に通る。
その脇を、神事を行う宮司達や出雲の人々が同じように行列を成し、参拝に向かっている。
だいたいの大人たちに、神々の姿は見えていない。見えていたとしても、見えないフリをしているのかもしれない。
だが、小さな子どもには見えているようで、時折、家の窓から行列を凝視している子どもを見かける。
そんな子どもたちの姿に、クスリとアオは笑みを溢す。
「楽しいか、リュウグウの愛し子よ」
海神様は立派な黒い顎髭を撫でながら、アオに話しかける。
「はい。久しぶりですので、楽しみにしておりました」
「それは何よりだ」
行列はゆっくりと進むので、海神様が一歩進む間に、アオが少し歩けばいい。
そんな時間が、目的地である出雲大社まで続く。
「ところで、リュウグウの愛し子よ。そなた、以前と様子が違うな」
「そうでございますか?」
アオの姿は、ずっと昔、海に沈められた時から変わらないはずだが、もしかしたらここまでやって来る途中、御使い様の早さに耐えられなくて、何かを無くしているかもしれない。
アオは慌てて自分の身なりを今一度確認する。
その様子に、海神様がおかしそうに笑う。
「違う、違う。姿形の事ではない。そなた自身について、言ったのだ」
「わたし自身、ですか?」
「あぁ。そなた、名が付いたな?」
その言葉に、そうだったと、アオは思い出した。
ずっと昔に、初めて海神様に出会った頃から、アオに名は、神としての名は無かったのだ。
リュウグウの愛し子。
それがアオの通り名で、どんな神でも皆そう呼ぶ。
それが今では、“アオ”という名がある。
神になってから、与えられた名だ。
名があれば、それまで曖昧だった存在が、強固になる。
海神様からすれば、様変わりしたにも等しいのだろう。
「……申し訳ございません。勝手に名を得てしまいました」
そうそう合間見える存在ではないが、アオの主人であり、神格を分け与えてくれたのは、海神様だ。
そのお方の許可もなく、勝手に名を得てしまった事を、咎められるとアオは思った。
だが、海神様はそんな事、まるで気にしていなかった。
「よいよい。我が名を与えてしまえば、そなたの願いに反して、海に縛り付ける事となる。そんな事をしては、リュウグウが暴れ出してしまう。流石の我も、あやつを止めるのには苦労するのだ」
海神様は、アオより、人間よりも大きいお方だが、御使い様はもっと大きい。
一度暴れられては確かに、海神様でも手を焼くのが、アオにも容易に想像できた。
「リュウグウの愛し子よ。あやつを大人しくさせておけるのは、そなたぐらいなモノだ。頼りにしておるぞ」
「……はい。出来うる限り、頑張ります」
とは言え、本気で怒った御使い様を止めるのは、アオでも難しいのだ。
一番いいのは、誰にも御使い様を本気で怒らせる様なことを、言わないようにさせる事だろう。
特に、アオを悪しざまに言わなければ。
「ところで、リュウグウの愛し子よ。そなた、与えられた名は何と言うのだ? そこまでは、さすがの我でもわからぬ。教えてはくれぬか?」
アオはずっと上の方にある海神様の顔を見上げる。道を照らす提灯の灯りが、青い瞳を輝かせる。
「アオ。……わたしの瞳が、何よりも美しいと思った人間が、アオと名を付けてくれました」
「……そうか。……良い名だ」
海神様はそう言うと、また大きな手でアオの頭を優しく撫でた。
〇
神迎の道の終点は、
神々は、大社へ着くと、まず東西にある“
人の目にはただ一つの長い社に見えても、神々にとってそこは出雲で休む場所。
中は十分に広い。
アオは海神様が休む場所へと割り振られ、それからさらに、御使い様の身体が収まる大きな部屋に通される。
アオにしてみれば過分な部屋だが、海神様が、出雲にいる間は御使い様と共に居なさいと仰るので、大人しく収まる。
御使い様は部屋で二周半程して、ようやく収まった。
そして、翌日。
神々は、また移動する。
出雲大社より、西方にある別の社、“
そして昨晩、出雲へ訪れた全ての神々が、“上宮”に集まった時、大国主大神の一声で、それは始まる。
「では、今年も我らによる話し合いを始めよう」
これより始まるは、神の会議。
すなわち、
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