第23話 来客
雨上がりの港町。
漁師も、買い付けに来た商人も、荷卸しに来た人間も、あらゆる人たちが行き交う港の中。
何やら騒ぎになって、人が足を止める場所が一ヶ所。
アカを休めるために、身体一つで働いていた馬借の青年、馬飼宗近も、その騒ぎに思わず首を突っ込んだ。
突っ込んだすぐ横に、見知った漁師が居たので声を掛ける。
「親父さん。何かあったのかい?」
「あぁ、あんたか。久しぶりだな。今日は馬なしなんだな」
「一昨日、着いたばかりなもんで。馬も休ませてやらないと。で、この騒ぎは一体?」
「なんでも、妙な魚が網に掛かったらしいんだ。誰も見た事がない魚だから、ちょっとした騒ぎになってんだ」
「ほー」
職業柄、珍しい物は見たり聞いたりしておくと、後々何かと便利だ。
宗近は人の群れをかき分けて、網に掛かったという、妙な魚を見ることにした。
「しっかし、なんだろうね。この長い魚は」
「タチウオじゃないのかい? 銀色だし、あれは長い魚だろ?」
「それにしたって、目がデカすぎるだろう」
「タチウオにこんな赤いヒレはないだろう」
タチウオに似た銀色の長い魚だが、目が大きく、赤いヒレがある。
宗近はその特徴を、最近、どこかで聞いた気がする。
『全てを見通せそうなほど大きな目をしておって、白銀の身体に、真っ赤なたてがみが大変美しい姿のお方じゃ』
(……いや、まさかな)
そう思いながら、宗近はどんどん人をかき分けて行って、ようやくその魚に対面した。
魚は、身体もだが、目も口も大きく、白銀の身体に黒いまだら模様がキラキラと輝く、身体だけならば美しい魚だった。
陸地に揚げられたせいか、苦しそうに口をハクハクと動かしている。そして、口が動くたびに、宗近の頭の中に、何かが聞こえるのだ。
《人間め……。
「……」
宗近は信じたくなかった。
意地でも信じたくなかった。
そうこうしているうちに、漁師たちはこの魚をどうするかを話し合っている。
「どうするよ。とりあえず捌いてみるか?」
「フグみたいに、毒があったらどうするんだい。やめとけ、やめとけ」
「こんなギョロ目じゃあ、店に置いたら客が逃げちまうよ」
「このまま丸干しにして、河津の息子にでもやるか?」
「魚って、薬になるのか?」
それが聞こえていたらしい。魚が勢いよく、長い身体をビタンビタンと、のたうち回らせながら、訴える。
《や、やめろ! 我は海神様の使いぞ! こんなところの人間に用はない! 山の、山の上の神社まで行かねばっ……!》
宗近は額に手を当てて、天を仰ぐ。
「……すいません。その魚、俺が買い取ってもいいでしょうか?」
〇
荷車に大きな盥が乗っている。上には蓋をして、重石もしている。
中にいる大物が暴れるからだ。
アカは、今日は休みのはずだったのに、と少し不満気に宗近の方をチラチラと見る。
「……すまん。アカ。後で蜂蜜やるから、な?」
それでも不服そうに鼻を鳴らすので、帰ったらできる限り綺麗にしてやろうと思う。
いっそ温泉のお湯を少しもらって拭いてやれば、もっと毛並みが綺麗になるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、目的地にたどり着いた。
雨ノ宮神社である。
大人も子どもも、まだ午前中で忙しいのか、境内には誰もいなかった。
宗近は鳥居で一礼してから、いつものように
振り返ると一昨日の晩、会った時と同じように、アオが立っていた。
「宗近か? どうしたのじゃ? あなたは、仕事で数日は忙しいと言っておったと思うのじゃが……」
「本来は忙しいんだが……。ちょいとひと騒ぎあってな。たぶん、アオ様のお客様だと思って、急いで連れて来たんだ」
「わたしに、客?」
宗近はぐっと力を入れて、荷車に乗せていた盥を降ろすと、重石と蓋を取る。
中に居た大物は、宗近に飛び掛からんばかりに跳ねた。
《不敬な人間め! 我をこんなところに閉じ込めおって! 何をする気だ!》
「御使い様?!」
陽の光でいつも以上に輝く青い瞳が、驚きで大きく見開かれる。
《おぉ、お前は、我が
「御使い様、どうしてこんなところに? それに、お姿も小さくなられて、どうなさったのですか」
《何、本来の姿で愛し子に会いに来ると、海が荒れるじゃろう? だから、こうして他の依り代を借り受けて来たのだ。これなら、愛し子の守る港を荒らさずにすむ》
「それは、嬉しい事ですが……。何故、宗近に運ばれて?」
《……それは、じゃな》
御使い様が言いよどむ先を、宗近が説明する。
「漁師の網に掛かっちまったらしい。妙な魚が揚がったって、ちょっとした騒ぎになっていたから、覗いて見たら、海神様の御使いで、山の上の神社に用事があるって聞こえたもんで。アオ様のお客様かと思って、連れて来た」
「そうか……。ありがとう、宗近」
陶磁器の様な頬を桃色に染めて、アオが笑う。
その笑顔に、宗近は胸の方が暖かくなる。
「……アオ様のためだから、俺はどうってことないさ。それより、アカを褒めてやってください。今日は本当は休みのはずだったんだが、さすがに、水の入った盥を、俺一人で担いで持って来るのは難しくてな。アカに手伝ってもらったんだ」
「そうか……。触っても、大丈夫か?」
「あぁ、アカは気性が良いから大丈夫だ。鼻筋の辺り。鼻の上の方を撫でられるのが好きだから、そこを撫でてやってくれ」
小さな白い花の様な手が、赤い毛を優しく撫でる。
「……ありがとう、アカ。御使い様を運んでくれて」
アカは気持ちよさそうに、目を閉じる。
《……ところで、愛し子よ。アオとはなんだ? それに、この人間は一体、何者だ?》
白銀の大物が、盥から顔を覗かせて問う。
その問いにこのまま外で答えるのは少々、いやだいぶ目立つ。
「とりあえず、本殿の中に入った方がいいんじゃないか?」
「そうじゃな。御使い様、是非、社の中へいらしてください。人々が綺麗にしてくれたのです!」
嬉しそうに本殿へ向かうアオの後を、宗近は御使い様の入った盥をまた力を入れて、本殿の中へ運ぶのだった。
〇
本殿の中央、アオの本体である御神体が置いてある祭壇の前に、宗近は盥を置く。
水が入っているうえに、普通の魚の体躯の何倍も大きい御使い様を運ぶには、いくら馬借として荷卸しに慣れている宗近とてキツいもので、置くときに思わず、ドスンと大きい音を立ててしまった。
その置き方が不服で、盥に入れられた御使い様はびちびちと跳ねる。
《おい人間! もっと丁寧に扱わぬか!》
「そう言われましても、水も入っていて重いんですよ……。あと、あんまり跳ねないでください。やっと綺麗になった床がまた水で湿気っちまいます」
宗近は飛び散った水をすぐに拭く。
塩水なので、後で真水を使って拭いた方がいいかもしれない。
いつもなら出してこない座布団を、アオが本殿に奥の物置から出してきた。
前回の虫干しの時にも見たが、ここの神社は座布団にも綿を使っている。
本当に、上等な物が集まっているというのに、何故あそこまで荒れていたのか、宗近にもわからない。
ちょこんと座布団に座ったアオは、何やらそういう置物に見えるなどと、少し失礼なことを考えつつ、宗近は座布団の上にあぐらをかく。
「それで、御使い様。どうなさったのですか?」
《うむ。最近、波に乗って、我が愛し子の調子が良くなったと聞いたのでな、様子を見に来たのだ。どうやら、境内まで出てこられる程度には良くなっているようだな》
「それは、わざわざありがとうございます。……わたしがここまで力を取り戻せたのは、ひとえに、そこにいる宗近のおかげにございます」
《ふむ。宗近というのは、我の声を聞き届け、ここまで運んだ人間。貴様で間違いないか?》
なんとも不遜な物言いに、普段温和な宗近も、若干腹が立つ。
「貴様って……まぁ、はい。そうです」
《お主、何者じゃ? 我が愛し子の姿も見え、会話もできる。その上、我の声も聞ける。ただの人間にしては、感が鋭すぎるのではないか?》
「そう言われましても、俺は自分の事は、ただの人間だと思っていますし。何でアオ様の姿や声を見聞きできて、そのうえ御使い様の声まで聞こえているのか、さっぱりなんですが」
「不思議なことに、宗近はわたしの事が見えますし、触れることもできます」
《なんじゃと?! 貴様! 我、愛し子に良からぬ事などしておるのではなかろうな?!》
御使い様は盥の中でバシャンバシャンと暴れる。その水を拭き取るより前に、宗近は立ち上がって反論をする。
「していません!! 神様に手を出すなんて、んなアホな事、一生しませんよ!」
「うむ。御使い様、宗近はわたしに何もしておりません。触れられた事は、ありますが、その程度です」
《ふむ。……ならば、おそらく我が愛し子に触れた事によって、本来の感がより鋭くなったことで、我の声も聞こえるのじゃろう》
「……なるほど。でもじゃあなんで、アオ様の姿が見聞きできるんだ?」
《愛し子や、この人間に何かしてやったのか?》
「何か……? ここ最近では、珍しいほどに礼儀の整った者だったから、布団を貸したぐらいかのう……」
《うむ。ならば、それが要因じゃろう。神の方から人に何かをしてやったから、眠っていた感が蘇ったのやもしれぬ》
「へぇ……」
あの日、雨宿りに立ち寄ったこの神社で、礼を尽くし、心を掛けたことで、宗近にはアオとの縁が出来たのだろう。
それが結果として、良かった事だったと、今の宗近は思っている。
《それはさておき、愛し子よ、アオとはなんじゃ》
「アオというのは、宗近が付けてくれた、わたしの今の名です」
《なんと……名じゃと……?》
御使い様の赤い鰭が、小刻みに震えている。
顔が魚なので、宗近にはそれがどういう感情の動きなのかまでは、わからなかった。
「何か、まずかったか?」
《……いや、今はいい。今は、な》
ちゃぷんと、少しだけ水が揺れた。
その水音だけが、社に響き渡った。
《それより、我が愛し子よ。我はそなたに用事があって、ここまで来たのじゃ》
御使い様が、再び盥の中でぴちゃぴちゃと跳ねる。
宗近はそれを片っ端から拭いて行く。
《愛し子よ。せっかく調子が戻ったのだ。今年は、我と共に出雲へ出向かぬか?》
「え?」
思わず口から声が出たのは、水を拭いていた宗近の方だった。
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