第21話 言い訳とお知らせ
馬借の青年、
アオは『よく戻った』と、笑顔で受け入れはしてくれたが、その後は『秋に入る少し前には戻ると言ったのに』だとか、『もう風も冷たくなってきておるぞ』とか、『このまま木の葉が落ちるまで来なかったら、どうしてやろうかと思った』やら、少し怖い事まで言い出している。
宗近はそんなアオの寂しかったという主張を聞きながら、入った社の雰囲気が随分と変わった事に気がつく。
まずカビ臭さや埃臭さがなくなった。それだけでなく、身体に纏わりついて来た、湿気も感じない。
そして前なら踏み抜きそうだった床も、今は軋む音すらない。
「……本当に綺麗になったんだな」
「うむ。床はあなたがここを立ってからしばらくした時に、天狗が人を連れてきて直していった」
「は? 天狗??」
「なんじゃ、知らぬのか? 最初に人を集めた時にもおったじゃろ。ほれ、なんとゆうたか……便利屋? じゃったか?」
そういえば、初めてこの雨ノ宮神社を綺麗にすると言って集まった時、やたらと力持ちな大男の便利屋がいたが、本当に天狗だったのか。
「他にも、そこらに置いてある炭は薬屋の男が持ってきた。これで臭いと湿気がなくなると言っておった。それに、あの男が教え込んで、何人かの子どもがここに通っては草を取っていく」
「ほー。道理で境内も綺麗なわけだ」
「子どもらは秋に生える薬草を覚えて、薬屋の男の元へ持って行っているようじゃぞ。秋の草じゃ」
どうにも、目の前の少女神は、宗近が約束通り、秋に入る前に戻ってこなかった事が不服のようだ。
本来の行程なら、宣言通りに秋に入る少し前にこの港町へ戻ってこられるはずだった。
それが出来なかったのには、二つほど理由があるのだが、それを話すより前に、まだ少し拗ねている目の前の、雨の神様のご機嫌を取る方が大切だ。
目論見通り、アオの青い瞳が手のひらの物に釘付けになる。
「なんじゃこれは」
「キャンディー……まぁ飴玉だ」
「これが、飴じゃと?! 飾り玉の様な色ではないか。……食べられるのか?」
「大丈夫、大丈夫。食べられるから。ひとまず一個口に入れてみなよ」
アオはいろんな角度から手に乗せられた、色とりどりな飴を眺めると、一つを口に入れる。
その甘さに、顔が一段と明るくなる。
甘いと、伝えようとしたいのだが、アオにとってその一粒は大きかったのだ。喋れず、むしろ口から飴が出ないように手で押さていなければいけない。
宗近はそんな様子がつい、面白くて笑ってしまう。すかさず睨まれるが、アオは何も言えないし、手はもらったもう一つの飴玉と、口を抑えているので両方とも塞がっていて、何もできない。
宗近はどうにか笑いを抑えながらも、本殿の奥の物置から布団を持ってくる許可を取って、蝋燭を片手に物置へと行った。
〇
床も綺麗になったのだから、布団を並べて置く必要もないのだが、アオは宗近からの話を聞きたいし、宗近もアオに話をしなければならない事がある。
必然的に本殿の中央。本来のアオが居るべき場所の目の前に、二組の布団を並べる。
布団はカビ臭くなく、本来の柔らかさを少しだけ取り戻していた。
「こりゃあ、極楽だなぁ」
旅の間は、町や村に立ち寄らない限り、布団の上で横になる事なんてない。それだって、こんな上等な綿で出来ている代物じゃない。
野宿をする時は、常にすぐ立ち上がれるように、アカの腹に寄り添って寝ている。
そんな宗近からすれば、物置から運んできた布団は例え少し平たくても、最高の寝具だ。
ゴロリと布団へ寝転がった宗近を見て、アオはクスリと笑う。口の中の飴がようやくなくなったのか、手を下ろして、宗近の側へ寄る。
「若い娘たちが、時折来ては日に当ててくれているのでな。まぁその分、願いも多い」
「願い? 新しい着物が欲しいとか?」
「最近は、
「そうか。
神無月に出雲へ出向いた神が縁結びを行なう。という話は、宗近も聞いた事がある。
神々が本来の居場所を留守にするため、“神の無い月”。と呼ぶと、人々は言う。逆に出雲の人々は、神々が集まるので、
そこで宗近は気がついた。もう少し遅く到着していたら、アオは留守だったかも知れないと。
「……すまん。もう少しで、アオ様が留守の時に帰ってくるところだった」
「本当じゃ。もう少しであなたを迎える事なく、留守にしておったかも知れんぞ?」
アオはプイと顔を背けて口を尖らせた。と、思ったが、すぐに宗近の方へ向き直ると、少し寂しそうな顔で真実を告げる。
「……昔ならば、出雲へ出向いておったろう。じゃが、前にも言った通り。わたしの力は弱っておる。今は少しずつ戻っておるが、それでも少しじゃ。一柱きりで、出雲まで出向くことは出来んじゃろう」
「……他の神様が迎えに来たりはしないのかい?」
アオは首を横に振る。
「わたしは元人間。それも、贄でしかなかっただけの存在。それを御使い様のご好意と、
宗近には、神の規則や序列などわからない。
だからアオが言うなら、それが神の規則で、序列で、現実なのだろう。
「何、若い娘たちの願いが叶うように、毎晩、海神様と
「……そうかい」
どんなに宗近が働きかけようとも、手が届かないところはある。
それは仕事でも、生活でも、なんにでも当てはまる。
今回はそれが、人間と神の間の隔たりであっただけだ。
「何故、あなたがそんなに悔しそうな顔をする?」
「……意外と、何もしてやれないんだなって、思ってしまっただけさ」
「……あなたは良くやってくれた。お陰で、わたしも境内まで出られる事がさっきわかった」
行灯の灯りに照らされたアオの陶磁器のような白い顔が、優しげに笑う。
「それに出雲へ行っても、面白い事など。そんなにはないぞ? 昔、初めての時は、御使い様の背に乗って行ったが、神が集まりすぎて、一緒に来た御使い様と一緒に、海よりも息苦しいことこの上ない、と話した程じゃ」
そうクスクスとアオは笑う。
「御使い様って、竜なんだっけ?」
「そうじゃよ。全てを見通せそうなほど大きな目をしておって、白銀の身体に、真っ赤なたてがみが大変美しい姿のお方じゃ。……またお会いしたいが、御使い様が来ると、少し海が荒れてしまうから、そう簡単に来てはくれんじゃろう」
「……そうか。なかなか難しいんだな」
「じゃから、お主が来なくて、どれほど待ち侘びた事か」
話がまた、宗近が来るのが遅かったと言う方向へ戻って行く。
よほど、寂しかったとみえる。
「でも、ここにも人が来るようになったはずでしょう? アオ様もそこまで寂しくなかったのでは?」
「さ、寂しいなどとは、言うておらんじゃろ! そもそも、人が来ても、わたしの姿が見える者は薬屋の男か天狗だけであったし。わたしの名を知っておる者は! ……名を、呼んでくれる者は、宗近しかおらぬ」
毎朝、たった一柱きり。
自分の名を自分で言うことが。
誰も自分の名を呼んでくれないことが。
呼んでくれるはずの相手が呼んでくれない事が。
どれほど、虚しく。
長い時間だったか。
「……つまりはやっぱり、寂しかったんじゃないか」
「そんな幼児のようなことは言っておらん!」
「はいはい」
宗近は思わずにやけてしまう顔で、むくれているアオをあしらう。
「そもそも、あなたが来るのが遅かったのが悪いのじゃ! 秋に入る少し前と言っておきながら、もう秋も深まっているではないか!」
「あー、それはすまなんだ。一応、理由はあるんだ」
宗近は身体を起こすと、アオにきちんと向き直る。
「この神社を最初に綺麗にした時に蒸し饅頭を配ったでしょう? アオ様にも渡したやつ」
「ぬ? そうじゃな。黄金の餡が美味であったやつじゃな」
「芋餡な。その材料を仕入れていたら、思ったよりも多くの町と村を回ることになってしまって、それで遅くなったのが一つ」
新しい味の蒸し饅頭の中身は、だいたいが山の幸だ。だが一つの町、村で仕入れられる量にも限りはあるし、立ち寄った場所で欲しがられたら、卸すこともある。
そうして仕入れては、卸し、を繰り返して、予定の数量を揃えようとしたところ、宗近が思ったよりも時間がかかってしまったのだ。
「一つ、と言うことは、まだあるのか?」
「あぁ。もう一つは、今年はこの港町で年を越そうと思っているんだ」
アカと共に郷里を出て以来、そこで年を越したいとあまり思わなくなった。
それでも心配する家族から、組みする営業所のある場所へ、『帰ってこないか?』と打診する電報が毎年入るので、一昨年は帰った。
だが今年は、旅程が少し狂ったことも理由の一つではあるが、この神社で待つ寂しがりな少女神と年を越したいと、思った。
だから、宗近は本来の予定数よりも多めに物を仕入れて、年を越せるようにしなければならなかった。
「この後、営業所に戻ろうとしたら冬が来ちまう。雪が降ったら、どんなにアカが慣れていて、強い馬でも、山道を行くのは難しいし、野宿なんてしたら、凍え死んじまう。だから、今年はここで年を越す。そのために物も仕入れたし、方々へ言って回っていたら、遅くなっちまった」
「……つまり、年を越して、雪が降らなくなるまで、あなたはここに居るんだな?」
「そうだな。溶けてきたら出るかも知れんが、雪が降る限りは港町に身を置かせてもらうように頼むつもりだ」
「ということは、これからしばらくはここに居るんだな?」
「あぁ、せっかくだから出来る限り、アオ様のところへ顔を出しに来るよ」
「そうか……」
アオの陶磁器のような白い頬が、薄く、紅をはたいたように色付く。
「それは……それは、とても嬉しいぞ。宗近」
その日一番の笑顔がそこにあった。
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