第20話 秋の訪れ
その日もまた、夜が明ける。
朝日が山の木々の隙間から入り込んで、休んでいた鳥たちが目を覚ます。
人はまだ寝ているだろう。
ひんやりとした空気が社の中に入ってくる。
その空気の揺らぎと共に、不意に姿を現すのは一人の少女に見えるモノ。
社に住まう者の証なのか、巫女装束を身に纏った少女は、僅かに入った陽の光に照らされた陶磁器の様な白い顔をしていて、ゆっくりと開いた
薄紅の小さな口が、今日も同じ言葉を吐く。
「わたしの名はアオ。この雨ノ宮神社の神として、旅行く宗近とその愛馬アカの道中に、悪しき者なく、穢れもないように、毎日祈るモノなり」
麓に港町を持つ、山の中。
小さな神社の雨の神。
アオは今日も、一人の青年と、その愛馬の無事を祈り、そして、再びこの社に訪れるのを待っていた。
〇
まだ残暑の厳しい昼日中、社の外が何やら騒がしい。
アオは姿を現して、人間離れした力で社の屋根へ上がる。
少し前は、姿を現すことすら苦しかったのに、とある馬を連れた青年と、それを良しとした山裾の住人たちが、荒れ果てた神社を整えたことで、アオは神としての力を取り戻しつつあった。
今では、社の屋根に上がって、やって来た人々を見守る事も容易になった。
アオが神社の入り口である鳥居の辺りに目をやると、くしゃくしゃの縮れ髪をした大人の男が、子どもたちを先導してやって来ていた。
男の名は、河津。薬屋をやっていて、感が強く、アオのような人ならざるモノ達を見る事ができる男だ。
子どもたちは、よく、神社の境内を遊び場にして、駆け回っている子達だった。
彼らは、鳥居の前で一礼をすると、参道を進み、社の前で、二礼、二拍手、一礼する。
このように、人々が神に礼を尽くしてくれる事で、アオはこの神社の神としての力を日に日に取り戻しているのだ。
これを最初に提案した青年にも、習慣付けてくれたこの男にも、アオは感謝している。
挨拶が終わったところで、薬屋の男は子どもたちに今日、神社へやってきた目的を説明する。
「よし。いいかお前ら。季節はもう秋になる! 今までお前らが採っていた薬草も、そろそろ採れなくなる。だから、秋に採れる薬草を教える。前みたいに覚えろ!」
子どもたちはざわざわと騒ぎつつも、薬屋に教えられる薬草を覚えようと、皆一生懸命になっている。
その様子を見ながら、アオは気がついた。
「そうか、もう秋になるのか……」
近頃、朝の空気が澄んでいる様に感じていたが、気のせいでは無かったようだ。
次は、秋に入る少し前には来ると言っていた青年は、まだやって来ない。
アオは小さく、ため息を吐いた。
〇
薬草を採るだけ採った子どもたちと薬屋は、日が暮れる前に帰って行く。
陽が傾き、夕陽が山を赤く染める頃。
神社には、若い娘たちがやって来る。
彼女たちの最近の願いは、ほとんど同じだった。
『どうか私に、良いご縁を』
神社に縁を求める若い娘、時折青年がやって来るようになった。
神無月に、神々は出雲へ出向く。
そこで行われる事は、次の年に向けた話し合いだ。
大まかな天候、豊作かどうかなどもあるが、神々が一番楽しみにしているのは、“縁結び”の話だ。
人と人を結びつける縁。
誰と誰を結ぼうか。
出来うる限りの良縁を。
時にいたずらな縁を。
神々はこれを年に一度の楽しみとして、出雲へ集う。
今よりずっと昔。アオも何度か自らの力で出雲へ出向いた事がある。
雨を司る神の一柱として。
海神様の御使いの愛し子として。
この辺り一帯の雨と、耕作の出来を他の神々と話し合い、人の縁の行く末を見守ったり、時にはいたずらに結ばれようとする縁を止めようとした。
けれど、今は。
「今年も無理じゃろうな……出雲へ出向く事は」
日に日に力を取り戻しつつあるとは言え、昔のような力はまだ無く。
姿を現して、社の周辺へ出向く事は出来ても、まだ境内まで向かう事は出来ない。
消えるしかなかった一柱は、辛うじてこの地への結び付きを強める事が出来たが、それだけなのだ。
せめてもの願いを、
〇
次の日も夜が明ける。
「わたしの名はアオ。この雨ノ宮神社の神として、旅行く宗近とその愛馬アカの道中に、悪しき者なく、穢れもないように、毎日祈るモノなり」
昼にまた子どもたちがやってきて、昨日覚えたばかりの薬草を集めていく。
薬草の名前を覚えた子どもが、地面に拙い字を書いて、種類ごとに分けて集めている。あの子は薬屋に憧れているのかもしれない。
アオはその子の成長を祈る。
その次の日の夜が明ける。
「わたしの名はアオ。この雨ノ宮神社の神として、旅行く宗近とその愛馬アカの道中に、悪しき者なく、穢れもないように、毎日祈るモノなり」
今日は便利屋の天狗が様子を見に来た。
自らを良く働く美丈夫と称する天狗は、自分と縁を結びたいと思っている若い娘は居ないかと問うので、そんなものは居ないと答える。
少し凹んだ様子を見せたが、
「まぁ、人間と人間じゃないモノが結ばれるのはあんまりいい事とは言えねぇよな」
と、少し寂しそうに言う。
その言葉に、アオの胸のあたりがチクリと傷んだ気がした。
また次の日も夜が明ける。
「わたしの名は……アオ。この雨ノ宮神社の神として……旅行く宗近と、その愛馬アカの道中に……悪しき者なく、穢れもない、ように毎日祈るモノなり」
その日の夕方は、若い娘がたくさん来た。
皆、どこから聞いたのか、甘い物を供え、アオへ、神へ祈る。
『どうか良縁がありますように』
アオは娘たちの供えていった甘い香りのする物を口にする。
だが、思ったより、あの時初めて食べた“こんぺいとう”のように、甘さは感じなかった。
その次の日も、次の日も、どれだけの夜明けを迎え、待っても、アオの待ち人は来ない。
「わたしの名は……アオ。この雨ノ宮神社の神として……旅行く……宗近と……その愛馬、アカの道中に……」
毎日、毎日、口にしていた言葉が途切れて行く。
社の中へ入ってくる空気は澄んだ秋の空気だ。
境内に生えている木の葉は色を変えつつある。
日が短くなり始め、子どもたちは前より境内に居てはくれなくなった。
娘たちも、暗闇を避けているのか、あまり来なくなった。
秋に入る少し前にはやって来ると言った青年は、アオの待ち人はまだ来ない。
アオは、姿を現すことをやめた。
〇
何日か経ったある日。
日が落ちて、子どもも若い娘も居ない夜。
鳥居の辺りから気配と、馬の声と足音が聞こえて来た。
アオは慌てて姿を現すと、急いで本殿を駆け、拝殿を抜け、そして。
境内へ出た。
その馬を繋いでいる背の高い青年。
青年は、しっかり手水舎に馬を繋ぐと、引いて来た荷車に掛けた布を留める縄がしっかりとかかっている事を確認してから、後ろを向く。
青年の黒い瞳とアオの宝石のような青い瞳が合う。
「……驚いたなぁ。外まで出れるようになったのか」
「……あぁ、あなたのおかげでな。人がきちんと神社へ来るようになった。皆、丁寧に参拝してくれるので、力が戻ってきたのじゃ」
「そいつぁ、よかった。入れ知恵した甲斐があったってもんだ。あ、そうだ。こいつが前、話していたアカだ。見てくれて、月明かりでも見事な赤い……」
「そんな事より、もっと言うべき事があるのではないか?」
アオはムッとして、口を尖らせてみせる。
その様子に苦笑した青年は、きちんとアオの前へ向き直ると、跪いて、その青い瞳と目線を合わせる。
「本当に、わたしは長い間待っておったのじゃぞ」
「それは、すまなんだ。……
その言葉に、アオは笑顔を咲かせる。
「よく戻ったぞ。宗近」
秋の夜。
中秋の名月とも言える、大きな満月の光が、一柱と一人と一頭を照らす。
待ち人は、神無月の少し前に間に合った。
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