第19話 ミチさんのお盆休み

 港町に居を構える茶屋、大豆田屋。

 日頃、朝から晩まで、食事を求める客足が絶えない茶屋だが、休みの時期には店はきちんと閉めて、従業員を労る。

 それが、前店主の頃からの習わしだ。

 暦は葉月はづき(八月)。

 夏、真っ盛りの中旬頃に、日の本の国では、先祖の霊が逝ってしまった所から帰ってくると言う。

 生きている人間は、それを迎える為に家で待つ。

 いつからか、家で先祖の霊を待つ頃には、人々は仕事を休み、家にいるようになった。

 茶屋の住み込み女中、ミチもそんな盆の時期は、店でくるくると働きまわる事はなく、住んでいる大豆田おおまめだ家の世話をするだけで済んでしまう。

 それどころか、今日も朝食を作り終えて、掃除も洗濯も終わらせてしまい、手持ち無沙汰になって、精霊馬しょうりょうまを作っていたら、この家の女主人に止められる。

「ミチさん。お盆でも、毎日うちの食事を作ってくれて、お掃除もしてくれて、なんならお洗濯もしてくれて、とても助かっているわ。でもね、今はね、お盆休みなのよ」

「はい。ですからこうやって、精霊馬を……」

 続けようとした所で、女主人が深いため息を吐く。

「だからね、お休みをして欲しいのよ」

「お休み……」

 お休みと言われても、ミチはこの家に住んで働いている女中だ。先祖のために帰る場所も、先祖を待つ家もこの大豆田の家で、特別どこかへ行く必要もない。

 休みであっても、家にいると、ついつい習慣付いている癖で、家事に手を出してしまう。

 どうしたものか、と考えている間に、ミチの手はまた無意識に動いてしまって、いつの間にやらきゅうりの馬も、なすの牛も出来上がっていた。

「あらあら、嫌だわ。つい動いてしまって……」

「もう、ミチさんったら」

 ほほと、女二人が笑う部屋にやって来たのは、ようやく腰の調子が良くなって来て、動けるようになってきた大豆田家の現当主。大豆田おおまめだ次郎じろうだ。

「随分と賑やかだなぁ」

「賑やかですけど、困っているんですよ。ミチさんったら、ちっとも休んでくれないのだから」

「そんな事ありませんよ。お店がない分、いつもよりはゆっくりさせていただいていますもの」

「そう言って、朝食の用意も、掃除も洗濯もして、手持ち無沙汰だからって精霊馬をこさえてしまったんですよ」

「まぁまぁ、多喜二たきじさんもミヨさんも帰ってくるのはここだから、ミチさんが精霊馬を作ってもいいじゃないか」

 そう。ミチの父母も、この大豆田の家に住んで働いていた。

 父、多喜二は二十年程前に、母、ミヨはその五年後に、先祖たちの元へ逝ってしまった。

 二人の葬儀は前当主の大旦那様の計らいで、大豆田の家で行ってもらい、墓も大豆田の家がお世話になっているお寺に置いてもらった。

 その大旦那様も、十年程前に亡くなった。大奥様はもっと前に亡くなっている。

 だから、ミチが大豆田の家で精霊馬を作っても、旦那様も奥様であるトワも嫌な顔はしない。

 だが、それはさて置いて、トワはミチに休んで欲しいらしい。

「とにかく。ミチさんは今日と明日、絶対にお休みして頂戴」

「でも、この後のお昼ご飯に、夕飯に……明日だって、掃除も洗濯もどうするんですか?」

 ミチは大豆田の家が心配なのだ。

 トワは、掃除と洗濯は一応できるが、料理はあまり得意ではないので、嫁いできたばかりの時は何度か店中の者がえらい目にあった。

 旦那様だって、腰を痛めてからようやく回復したばかりなのに、無理をさせるわけにはいかない。

 そんな問いに応えたのは、旦那様でも、奥様でもなく、ひょこっと顔を出した、若い住み込み女中のミドリだった。

「私、料理スルヨ。掃除モ、洗濯モ、出来ル」

 ミドリはミチの前で座ると、ミチの両手を優しく取った。

「ミチサン。イツモ沢山働イテル。ダカラ、私モ、ミチサンニ、休ンデ貰イタイヨ」

「ミドリちゃん……」

「ミチサンニ、教エテ貰ッタ事、チャント出来ル。見テ欲シイ。ダカラ、オ休ミ、シテ?」

 ミドリが、緑の混ざる目元を潤ませて、ミチに語りかける。

 それを見ていたトワも旦那様も、うんうんと首を縦に振る。


 ミチは苦笑いをしながら、息を吐く。


 「わかりました。今日と明日、お休みさせていただきます」


 〇


 家の者達の圧に負けて、休む事を決めたはいいが、住まわせてもらっている部屋に戻っても、やる事がない。

 繕い物も、自分の持ち物の分は昨日、暇に任せているうちに終わってしまったし、新作の蒸し饅頭を作る前に、集まっている男たちから聞いたおかずの作り方の書き付けの整理も、もう終わっている。

 何かないかと、部屋を見渡しても、あるのは手習いにと、大旦那様からもらった本の他は特に何もなし。文机を開けて、奥の方に手を入れてみても、出て来たのは古い千代紙だけだった。

「流石に、もう千代紙で喜ぶ歳じゃないわ」

 けれど、ミチはその千代紙を大切に仕舞い込む。

 これは幼い頃、大奥様が気を利かせて、ミチにくれた物だからだ。


 〇


 ミチは生まれた時から、大豆田家に住んでいる。

 大豆田の家で働いていた下男げなんだった父と針子はりこをしていた母が一緒になって、ミチは生まれた。

 ミチが生まれる少し前に、大豆田の家で今の旦那様である、次郎が生まれたので、ミチの母は最初、乳母として、大豆田の家に住むようになったのだ。

 

 ミチと次郎は、乳兄妹だったのだ。


 同じ頃に生まれ、同じ乳を分け合ったミチと次郎は、一緒に大きくなった。

 幼い頃は、毎日、港町を駆けて、時には海へ飛び込んで、時には山の中にある神社へ行った。一緒に食事を取って、好き嫌いのあるおかずやおやつ、おもちゃもいろんなものを分け合った。

 千代紙はその頃、大奥様から貰った物で、大奥様は見本で鶴を作ってくれた。

 ミチが綺麗に鶴を折ると、大奥様は『手先が器用だ』と褒めてくれた。

 けれど、まだ身分差について周りの目が厳しい時代。

 例え、乳を分け合ったとしても、同じ頃に生まれて、育って、いろんなものを分け合ったとしても、ミチと次郎は、使用人と主人。

 それはどれだけ時が進んでも変わらなかった。

 分別がつくような年頃になると、ミチも段々と分かってくる。どんなに望んでも、次郎の隣には同じように立てないのだと。

 それでも少女の時分には、夢を見たものだ。


 次郎は、次男で跡取りではない。

 もしかしたら、女中の娘の自分にも、隣に立つ日が来るんじゃないかと。


 〇


 大豆田の家でじっとしていても、どうにも身体がむずむずして来てしまうミチは、昼食の後、家の外へ出ることにした。

 向かう先は、最近綺麗にしたばかりの雨ノ宮神社。幼い頃と娘時代に良く通った神社へ向かう事にした。

 家を出る前に、次の茶屋を担う予定の若旦那から、お供えのための甘い饅頭を持たされた。

 さらに道中小腹が空いたら摘める様にと、ミドリが小さい饅頭の入った包みを渡してきた。

 持たされたお土産を手に、ミチは山へ向かう道を進む。

 途中、同じように神社へ向かおうとする港町の子ども達と一緒になる。

「お饅頭屋さんのおばさんも、今日は神社に行くの?」

「俺たち、近道知ってるよ!」

「すっごく早く辿り着くんだよ!」

 子どもたちはきゃいきゃいと嬉しそうに、近道だと言う道を行く。

 その道に覚えがあるミチは、懐かしさで、思わず笑顔になる。

 子どもたちと一緒に神社に着くと、意外にも子どもたちは、鳥居の前でちゃんとお辞儀をして、社の前まで進むと、二度お辞儀をして、二回手を打って、もう一度頭を下げる。

「だってちゃんとしないと、神様に怒られちゃうんだって、河津のあんちゃんが言ってたの」

「ちゃんとしてから取ってきた草じゃないと、買わないって言うの」

「前に、ちゃんとしないで取った草持って行ったら、後ですごい怒られてさ。俺、神様よりも河津のあんちゃんの方が怖いよ」

 河津のあんちゃんと言うのは、おそらく薬屋の河津さんの息子さんだろう。河津さんは何故か勘が良くて、こちらが気が付いていない様な事によく気がつく。

 不思議な家族だが、河津さんの作る薬はよく効くので、港町でお世話なっていない人はいないだろう。

 大豆田の若旦那は、特に、本当に小さい頃からよくお世話なっている。

 ミチも子どもたちに習って、きちんと礼をしてから、若旦那に持たされた饅頭を供えるために、社の中へ入る。

 子どもたちは、境内で遊ぶのに夢中で、社へ入ろうとは思わないようだ。

 社の中は、前に蒸し饅頭の試食会を開いた時よりも綺麗になっていた。カビや埃の臭いもほとんどなくなっていて、床もこの間、便利屋の風来さんの誘いで男たちが直したことで、歩いていても、危ないと思うところがない。

 ミチは真っ直ぐに拝殿を抜けて、本殿へ入り、神様が御座す所へ向かう。

 神様である丸い鏡の横に置いてある、空の盃を綺麗に拭ってから、お供物の饅頭を乗せて、ミチは手を合わせる。

 少女の頃の願いが叶わなかったけれど、そのおかげで、今を楽しく生きていると、感謝を伝えるために。

 ミチはしばらく、神様の前で手を合わせていた。


 〇


 十五の少女だったミチは、淡い夢を抱いて毎日、仕事終わりに雨ノ宮神社を参っていた。

 もし、神無月かんなづき(十月)の時に、出雲へ行くのならば、自分と次郎を縁付かせて欲しい、と。

 跡取りではない次男だからこそ、ほんの少しの希望があるのではないかと、夢を見た。


 その直後だ。


 大豆田次郎を跡継ぎにすると言う話は、当人にとっても、当時、大豆田の家で働いていた者達にとっても、急な話だった。

 本来は、長男である大豆田太郎が跡を継ぐはずだったのだ。

 だが、太郎は素行が悪いところがあり、特に酒が入ると、手がつけられないようになってしまうところがあった。

 お金にもあまりしっかりしておらず、どこかでツケを作っては、大豆田家に金を払えと言いにきた者は数知れず。

 どこにそんな金を使っているのかと思えば、女遊びに使っているとわかった時、大旦那様は、長男である太郎を跡継ぎから外し、大豆田の家から出すと、次男の次郎を跡継ぎとして据える事に決めた。

 それを喜ぶ者がほとんどの大豆田家で、喜びきれなかったのは、ミチと次郎だけだった。

 次郎は、跡取りとして成長して行き、ミチは、それを支える大豆田の家の住み込み女中として働くしかなかった。

 そして、ミチも次郎も十八になった年の霜月しもつき(十一月)、次郎の元に、商家の娘、トワが嫁いで来た。


 十五の少女の願いは、叶わなかったのだ。


 〇


 神社の境内に生えている木々が、風で揺れる。その音を聞きながら、社から出たミチはゆっくりと休憩をする。

 ミドリに持たされたお土産を開く。丸く綺麗な饅頭の他に、巾着を絞るように上へ向けて絞っている饅頭が混ざっている。

 巾着の方が珍しいので、そちらから口に入れると、中からゴロゴロとした具が出てきた。噛んでいると、出汁を吸っているのか、じわじわと旨味が口の中に溢れてくる。

 いま出している饅頭に、こんな味のものはなかったから、きっとミドリが作り出した新しい味なのだろう。

 持たされたお土産から、育て、面倒を見てきた二人のことを思うと、顔が綻ぶ。

「立派になったわね。坊ちゃんも、ミドリちゃんも」


 〇


 次郎にトワが嫁いだ事で、ミチの次郎の隣に立つと言う夢は絶対に叶わないものとなった。

 これで、トワが嫌なら人間であったなら、ミチだって、思いっきり嫌えただろう。


 トワは一生懸命だった。


 大豆田家にも大豆田屋にも慣れようと、一生懸命に動く嫁だった。不器用ながらも、掃除をすることも、洗濯をすることもいとわず、とにかく一生懸命に働く。

 

 その姿を、その努力を、ミチは嫌いになれなかった。


 ミチは手を出さずにいられなかった。

 大豆田の家と店での規則を教え、掃除のコツを教え、洗濯しながら話をし、料理は手助けした。

 いつからか、ミチは次郎だけではなく、トワの事も支える女中になった。

 二人を支えるのに一生懸命になったミチは、ご縁をいくつか逃したが、それでいいと思った。

 大豆田の家を出て行くようなご縁は、ミチの望むところではなかったからだ。

 トワが嫁いでから三年で、今の若旦那、一茶が生まれた。

 トワの慣れない子育てを積極的に手伝ったのは、ミチだった。

 おしめを変え、着替えを手伝い、汗疹あせもができればトワと二人して粉をはたいてやり、熱が出れば、交代で看病した。

 気が付けば、一茶の世話にかかり切りで、ミチは婚期を完全に逃した。

 けれど、そんなことも気にならないくらい、ミチは一茶の世話を焼いていた。


 ミチにとっても、一茶は大切な一人息子になった。


 そんな一茶はよく熱を出す子どもだった。

 何度か、危ないところまで行ったこともある。

 その度に、トワも次郎も、そしてミチも山の中の神社へ駆け込んだ。

 

『どうか、坊ちゃんの穢れを祓ってください』

『まだ、そちらの世界へ連れて行かないでください』

『大切な二人の、大切な宝物を、どうか取り上げないでください』


 幸か不幸か、この願いは、確実に神様に聞き届けられたのか、一茶は今を生きている。


 〇


 ミドリから持たされた小ぶりな蒸し饅頭に気が付いた子どもたちが、わらわらと寄って来るので、ミチは子どもたちの手を綺麗にしてやってから、一人一つずつ選ばせる。

 きゃあきゃあ言いながら、楽しそうに蒸し饅頭を選んで食べる子どもたちを見ていると、大豆田家へ連れて来られたばかりのミドリを思い出す。


 〇

 

 ミドリは、八年前、ようやく一茶に手が掛からなくなってきた頃、急に旦那様が連れて来た子どもだった。

 雨の降る中、旦那様が差していたはずの傘を放りだしてまで、連れて帰ってきた子どもは、驚くほど服も肌も黒く汚れていて、肉が付いていない細すぎる手足が今にも折れてしまいそうだった。

 旦那様曰く、交易船に隠れて乗っていたらしく、怯え切って港で捕まっているところを引き取ったという。

 怯えている子どもには悪いが、汚れたままでは家に上げられない。ミチは有無を言わさず子どもの服を脱がせて、全身を丸洗いした。そこでようやく、連れてこられた子どもが女の子であるとわかった。

 汚れたお湯が綺麗になるまで洗った女の子の全身を綺麗に拭いて、着物は自分が娘だった頃に、着ていた物を着せてやった。髪をといて、整えてやろうとすると、顔をぎゅっと隠すので、後ろ髪だけお下げにしてやった。

 長い間きちんと食事をしていなかったであろう女の子のために、消化にいい粥を作って持って行ったら、夕飯前に食べることを禁止した饅頭をこっそりと分け合う坊ちゃん、一茶の姿があった。

 

 その姿に、幼い頃の自分と次郎の事を思い出した。


 そして、自分たちがそうであったように、ミチは若旦那と女の子を叱った。

 女の子には言葉が通じていなかったのだが、それがわかるのは随分と後の事だった。


 女の子をミドリと呼び出したのは、若旦那だった。

 本人が書いた名前が“緑”だったこと。日の本の国には珍しい、緑の混ざった瞳をしていたことで、その名前は大豆田家の人間たちに自然と浸透していった。

 本人も、自分の名前としてミドリと言うようになるのは、そう遠くないことだった。

 大豆田の家に慣れたミドリは、いつの間にかミチの手伝いを進んでするようになった。

 ミチはそんなミドリに、トワにした時と同じように、大豆田の家と店の規則を教え、掃除の仕方を叩き込み、洗濯をしながら言葉を教え、そして、料理を教えた。

 料理はトワ以上に飲み込みが早く、今や、ミチの知っている料理の全てはミドリも作れる。

 今日の食べた蒸し饅頭の中身を見るに、ミドリはミチ以上に料理が得意になったようだ。

「……若い子の成長は早いわね」

 サワサワと、夏の風が神社に植えられた木から伸びる枝葉を揺らす。

 日が暮れて来て、影が長く伸びているのを見たミチは、子どもたちにも声を掛けて港町へ帰ることにした。

 帰る前に、子どもたちはもう一度神社にお礼をする。神社で遊ばせてくれてありがとう、という感謝だそうだ。

 ミチも子どもたちと一緒に、神様に礼をするついでに、神無月にはまだ早いが、一つ願い事をした。


『どうか、大豆田の坊ちゃん……若旦那様とミドリちゃんに、いいご縁がありますように』

 

 子どもたちと一緒に、長く伸びた影を追いかけながら、ミチは港町の大豆田家へ帰る。

 その様子を、青い瞳が神社の屋根の上から眺めていた。

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