第17話 よく働く美丈夫の風来さん

 天狗てんぐは、山の神だと言う人間がいる。

 鬱蒼うっそうと茂った枝を広げる木々が乱立し、獣が跋扈ばっこし、険しい山岳の地形を自在に歩ける人間が少ないからこそ、山は神の土地と見なされ、そこに住まうとされている天狗は神だと言うようになったという。


 天狗は、妖怪だと言う人間がいる。

 人間とは違う力を持ち、風を自在に操る羽団扇はねうちわを持ってからっ風を吹かせたり、山を歩いていると突然、石を降らせてくる。時に、赤い顔と長く高い鼻を持ち、羽が生えていて、空を自在に飛べるのだから、天狗は妖怪に違いないと、言う人間がいる。


 山裾の港町に住む天狗は、そのどちらも正しいとは思っていない。

 天狗は、天狗であり。神でもなければ、妖怪でもない。だがしかし、人間でもない。

 天狗という存在なのだから、それだけを誇って生きればいいと思っている。

 

 だが、その考えは天狗の中でも異端だった。

 

 父も兄弟も、その門下の天狗たちも、自分たちは人ならざるモノたちであり、人からはうやまわれ、畏怖いふされて当然である。神としてあがめられるのは悪い気がしない。妖怪だと恐れられるのもまた一興いっきょう。と考えていた。

 日の本の国で、一番高い山に住む天狗たちは、その地位に胡坐あぐらをかいて、鼻を高々と天へ向ける。

 誰が言ったのか、人間たちはこのように自慢が高じて、慢心した人間の事を「天狗になる」と言う。

 

 いやはや、面白い。


 山裾の港町に住む天狗は、人間の中に紛れて、生活することを選んだ。

 それが彼の誇りを保つための方法でもあったし、常に向上心を持って頑張っている人間たちと暮らすのは、山にある木の上でふんぞり返って座っているよりも楽しかった。

 山裾の港町に住む天狗は、自らの氏を天具てんぐと称して、名も風来ふうらいと名乗ることにして、その有り余る人ならざるモノの力を人間たちのために使うために、便利屋を開いた。

 なんやかんやと言いつつ、彼も天狗。人間に頼られ、何かを教えるのが好きなのだ。

 

 〇

 

 その日、便利屋の天具てんぐ風来ふうらいは雨漏りが酷いという長屋ながやの屋根の修繕をしに来ていた。

 雨漏り修理もできるという話は、ひと月ほど前に行った、山の中の神社修繕の催し物のおかけで、瞬く間に町中に広がった。

 おかげで雨が多い季節の中で訪れる、たまの晴れ間に、雨漏りがした家からの依頼がひっきりなしにくる。

 あの時、あの神社に訪れた男たちに修繕の仕方を教えたはずなのだが、どうにもこの町の男たちは仕事が休みの日には、重い腰を上げたがらない。

 女たちも、家の男に頼むよりも、風来に頼む方が綺麗で丁寧だからと、お呼びがかかる。

 風来が呼ばれる理由はそれだけではないのだが、風来としては、懐が暖かくなるのでありがたいし、女たちに良くしてもらっても悪い気がしないので、あっちへこっちへと修繕へ向かう。

 その日最後の屋根を修理した時には、長くなってきている日も暮れて来ていた。

ばぁさん。修理終わったよ」

「おやまぁ、やっぱり風来さんに頼むと早いねぇ」

「そうかい?」

「板も道具も全部一人で担いで上がっているのに、身軽なのが不思議ねぇ。本当に天狗なんじゃないかい?」

「そう。俺は、本当に天狗なのさ」

 風来がそう伝えても、町の人間はカラカラと笑うだけ。

「こんな美丈夫びじょうぶな働き者が、天狗なもんかね! 全く、風来さんは面白い冗談を言うもんだ」

 人間は、天狗というものはだいたい、鼻が長く高く、険しく眉間を寄せて、赤ら顔をしていると思っているようだが、それはただ自分達の思ったようにいかなかった天狗が、怒って顔を真っ赤にしていたところを見られただけに違いない。

 鼻が長く高いのも、常に人間を見下ろしているから、見上げている方からは長く高く見えるんだろう。

 だから風来は、人間とはなんら変わりない顔形をしているし、別に顔も赤くはない。むしろ、美丈夫イケメンであると女、男に関わらずよく言われるので、自分でも言うようになった。

 天狗であることを特別隠さずとも、誰も彼もが、風来が本当に天狗であることは信じない。

 薬屋の主人と、二番目の息子は、本当の事だと気がついているようだが、その事で直接とやかく言われたことも、町中に言いふらされたこともない。何も言わないのが、彼らの処世術なのだろう。

 依頼料をちょっとおまけしてもらった風来は、その懐具合から、ある場所でそこにいる男たちに酒でもおごってやろうと思った。

 風来が向かう先は、港町一番の茶屋。

 先日の神社修復の催しの一番の功労者が居るところだ。


 〇


 港町一番の茶屋は、その夜も盛り上がっていた。

 あの日、神社を掃除、修繕した人間達には、茶屋の新作蒸し饅頭のお試しが振る舞われた。

 そしてそのお試しの饅頭の中から、良く食われた饅頭が実際に商品として販売されている。

 あの時食べた饅頭の味が忘れられない人間たちや、噂に聞いた人間たちが茶屋に押しかけるようになったのだ。

 港町には珍しく、魚ではなく、肉の入った蒸し饅頭を用意する茶屋は、魚料理に飽きた男たちの晩酌の場所として、もってこいの場所になっている。

 新しい味の蒸し饅頭も、夜に出すものは、酒に合わせて塩辛いものを出している。それも海で採れるものよりも、山で採れるものを入れているので、より一層、珍しい物に引かれる人間は喜んで注文している。

 風来が茶屋の暖簾のれんをくぐると、その先に待っていたのは、酒の入った湯飲みを片手に、昼間は港や町の店で働く、気のいい男たちだった。

「おや、風来さん! ここで会うたぁ久しぶりだな!」

「なんだい、今日は風来さんもここで晩酌かい?」

「おう! お前さんたちが住んでいる長屋の雨漏りを直した金でな!」

「ってこたぁ、今、風来さんの懐に入っているのは、俺たちの稼いだ金ってことだ」

「じゃあ、俺たちに酒を奢っても、元に戻るだけだな!」

「ったく、仕方ねぇな。お前ら! 一杯分だけ奢ってやる! 呑みてぇ奴はミチさんに声をかけろ!」

 風来の一声に店の男たちが湧く。

 ミチさんは、「あらあら、まぁまぁ」と言いながらも、注文を取って行くので、卓に着いた風来の注文を受けるのは、もう一人の若い女中、ミドリの方になった。

「風来サン。何ニスル?」

「おう、ミドリちゃん。相変わらず、綺麗な目だねえ。一つ欲しいもんだ」

「仕事ガデキナクナル。困ル。変、言ワナイデ、注文シテ」

「つれないねぇ。今日は菜っ葉漬けの饅頭と、いつもの酒を酒甕さけがめ一個分だ」

「……ヨク、オ金アルネ」

「俺は、だからな。何、あそこの男らに奢っていたら、酒甕一個分くらいすぐ空になるだろ? それに俺は天狗だ。酒をたくさん飲むもんなんだよ」

「フゥン……?」

 ミドリは怪訝そうに、緑の混ざった瞳を細めて厨へ戻って行った。

 それと入れ違いにやって来るのは、ここの茶屋の若旦那だった。

「おう、若旦那! 一杯どうだい?」

「いらっしゃい、風来さん。お気持ちだけ頂いておきます。俺はそんなに酒は強くないので……」

「情けねぇなぁ、男だろ?」

「すみません……」

 ここの若旦那は、どうにも弱い。酒だけでなく、身体も、時々意志も弱るので、少し心配になる。

 だが、それを補うだけ強い女たちが茶屋には勤めている。風来の前に、酒甕をドンと置いたミドリは、猫の様に上に上がっている目をキッと吊り上げて、風来を睨む。

「酒、無理強イ、ダメ。誰ガ、後始末スルト、思ッテル」

「悪ぃ、悪ぃ。もうしないから、な?」

 ミドリはフンと言わんばかりに、鼻を背けて仕事に戻る。

 どうにも、隣の国から来たという住み込み女中は、天狗の存在を笑いもしなければ、嬉しがりもしない。むしろ、店に来る厄介者として接してくる。

 風来は、酒甕の封を開けると早速、湯飲みを空にしている男たちへいで周る。

 周りつつ、彼らに声を掛ける。

「山の中の神社の様子は最近どうだい?」

「あぁ、最近は草取りに行くと、子どもたちが駄賃を貰えるからって、よくあそこまで行っているよ」

「おかげで、神社の境内はまだまだ綺麗なままらしい」

「貰った駄賃で買えるようにって、ミドリちゃんが小さい蒸し饅頭を作ってくれたんだろう? あれ、子どもたちだけじゃなくて、女たちにも喜ばれているよ」

「そうそう、おやつに丁度いいって」

 ミドリはその話を聞くと、風来には絶対に向けない笑った顔を男たちに向ける。

 その様子に男たちもデレデレと鼻の下を伸ばす。

 茶屋の若い女中は、晩酌に来る男たちの癒しだ。彼女がまだ幼い頃から、その働きを見守っていた男たちからすれば、ミドリは大切な娘の様な存在なのだ。

「境内が綺麗ならいいが、こないだは、あそこの屋根の雨漏りを直しただけだったろ?」

「そうだな」

「おかげで、俺たちの家の修理までしてもらってありがたいこった」

「でも、あのままじゃ、神社は完璧に綺麗とは言えないだろ?」

「確かに、床板がだいぶ弱っていたな」

「あれなら俺たちの長屋の方がマシだな」

 この間、綺麗にしに行った時に、誰も床板を踏み抜かなかったことが奇跡のように、雨ノ宮神社の床板は弱り切っていた。あれでは、いくら屋根を修繕したところで、上からではなく、下からの湿気が上がってきて、神社の中の湿気が減らない。

「だから、今度は床板の修繕をしたいんだが、みんな手伝ってくれるか?」

 本当なら、風来は天狗なので、一人で板を運んで、修繕することもできるのだが、一人きりで何かをするのは寂しい。そこで、茶屋に集まる男たちがまた手伝ってくれないかと声を掛けたのだが、反応は、かんばしくなかった。

「なんだい、みんなして黙りこくっちまって」

「いやぁ、こないだは手伝ったら饅頭も出たし、若旦那だけじゃなくて、地主さんが認めた程の事だったから、行ったが……」

「今回も何かすんのかい? どうだい若旦那」

「え? 俺ですか? いや、まぁ、やるなら蒸し饅頭の配達くらい……あ、でも馬借さんが居ないから、あそこまで運ぶのはなかなか骨が折れるか……町の馬借はやりたがらないだろうし……」

 町の人間は、お駄賃になるものがなければやらないと言う。若旦那も、馬借の青年が居なければ困ると言うし、地主さんのところへまた行くのかと呻きながら、胃を痛めている。

「なんだい、なんだい! 神様の家を修繕できるっていうせっかくの機会なのに、罰当たりだな」

「そう言われてもねぇ……」

「……今日奢ってやった分だとしても、動くつもりはないかい?」

「それは、そうだなぁ……」

「まぁ、風来さんには、俺たちもお世話になっているし……」

 奢りの話で人間たちは少し揺らいだ。それを見逃す風来ではなかった。

「よし、わかった! 手伝ったら、その日の晩は俺が全額持ってやる! それでどうだ!」

 男たちが沸き上がった。

「さっすが、風来さん!」

「よ、お大臣だいじん! 太っ腹!」

「ついでにで、天狗だ! 褒めるな、褒めるな」

 沸き上がった男たちの中で、一人、胃を抑えているのは若旦那だった。

「また地主さんに話に行くのか……」

「まぁまぁ、晩はこの店で取るから。そうすれば、ここも儲かって嬉しいこと尽くしだろ?」

「一体いくつの酒甕が必要になるのか……」

 若旦那は喜べばいいのか、受け入れていいのかわからない表情で、青い顔をしながら、胃を抑えていた。


 〇


 床板の修繕を提案してから、七日。

 雨が上がって、ようやく晴れ間が増えて来た頃に、風来たちと町の男たちは、床板にする大きめの板を担いで、神社へと続く山道を登っていた。

 茶屋の若旦那も、荷車に麦茶を入れた薬缶をいくつも乗せて後ろからミドリに押してもらって来ていた。

 今回の件は、わざわざ地主の家へ行く事もなく、最近よく通ってくる地主の娘さんに相談したところ、そのまま地主さんに話が伝わり、一度目の結果もよかったことからすんなりと許可が下りたらしい。

 おかげで若旦那が胃を痛めて寝込む事もなくついて来ている。

 鳥居の前で、一度皆が止まり、礼をする。それから、社まで参道を使って進み、二礼二拍手一礼する。

 初めての時は慣れない所作に戸惑っていた町の人間たちも、あれから時折神社を参拝することがあるのか、動作に迷いがなくなっている。

 境内に持ってきた荷物を置いて、風来たちは社の扉を開けていく。

 やはり普段閉め切っているせいか、カビ臭さと湿気っぽさが抜けていない。

 風来はまず拝殿で一番弱っている床板の様子を見る。

 元々、神様の住処として作られた建物の板は、良い物を使っているらしく、雨漏りによって水溜りができて長い間放置されていた箇所以外は、まだまだ使えそうだった。

 風来は男たちを一番痛んでいる箇所に集めると、修繕の仕方を見せて教える。それから、二人か三人で一組にして、弱っているところをどんどん修繕するように指示した。

 男たちが、修繕に取り掛かる間に、風来は床板を確認するついでにこの神社の主に会うために、茶屋の若旦那から預かった蒸し饅頭を片手に本殿へ向かう。

 本殿は、神様が御座すところ以外の床板は傷んでいるが、一番大切なところは綺麗なままだった。

 よく見ると、至るところに炭が置かれているので、湿気も少ない。こんな器用な事を知っていて、なんだかんだやってしまうのは、薬屋の次男坊だろう。

 風来が蒸し饅頭を供えようと、祭壇を見た時に、その少女は現れていた。

 薄暗い本殿の中でも、光り輝くような白い肌に、ガラス玉の様に澄んだ青い瞳。ずっと昔に廃れたはずの引眉ひきまゆをして、巫女装束を身にまとうその姿は、明らかに町の人間ではない。

「お主。何者じゃ。わたしが見えるようじゃが、人ではないのじゃろう?」

「あぁ、俺は人じゃないさ。俺は天狗。今は、人に紛れて天具風来と名乗っている」

「天狗、じゃと? 山の神が、何故、海の民たちに紛れて暮らしておるのだ」

「あーそれ聞いちゃう? 聞いてみちゃう?」

「……」

 少女は非常に面倒な酔っ払いを見るような目で、風来を睨む。

 だが、風来はそんなことを気にしない。

「そもそも俺は天狗だが、それを鼻にかけて、神様だとか、妖怪だとか言ってふんぞり返って居たくない訳よ。人間たちの言う天狗になるっていうのになりたくなくてね」

「そうか」

 心底どうでもよさそうな返事が神から返って来るが、風来は止めない。

「俺は天狗だ。それだけを誇りに生きていたい。だが、他の天狗はそれを良しとしない。だから、あんなアホみたいな奴らの居る山から出て、海の近くで人に混ざって生活することにしたのさ。そしたら、案外上手く行ってな、良く働く、の風来さんとして有名になったわけだ」

「美丈夫と、自分で言うものなのか……?」

「みんな言うんだから、自分で言ってもいいだろう? ま、そんなこんなで、今日も人と一緒に、ここを綺麗にしに来たわけさ。屋根を綺麗にしても、床が傷んでいちゃ、あんたも困るだろ?」

「……そうか。それは助かった」

 少女神はようやく、しかめ面以外の顔を見せる。

 神と言うからには、それなりの力があるものだ。それは、勝手に人からそう崇められた天狗たちにもある。その力は、ある程度、自分たちの住処を守るためにも働くものだ。

 しかし、ここにはそれがない。そこまで弱り切っている。弱り切るほど人が来なかったのだとも言える。

 だから人の修繕が必要になるほど社も荒れたし、床板も神が御座すところ以外から痛み出していたのだ。

 鬱陶うっとうしい風来だが、それを拒めるほどこの少女神は強くない。

 好意はありがたく受け取って置く。

「そいや、あんた。一人の人間に入れ込んでいるだろ?」

「ぬ? なんの事だ?」

 少女神はピンと来ていないようだったが、風来は続けて助言をする。

「人間は可愛いさ。常に向上心があって、俺たちみたいな人間じゃないモノを頼ったり、縋ったりして、感謝もしてくれる。でも、そこに俺たちが深入りしたらダメだ。俺たちはどうあがいても、人間にはなれない。特にあんたは、神だ。信じる人間が居れば、いつまでも存在する事になる。それを忘れるなよ」

 風来はそれだけ言うと、供えるはずだった蒸し饅頭の内の一つを勝手に貰って口に入れる。

 それは、塩辛い餡が入っている物だった。

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