第15話 薬屋、河津航介が思うに。(後編)

 雨ノ宮神社の清掃と大豆田屋の新しい味の蒸し饅頭の試食会の日。

 神社を訪れた薬屋の河津航介は、人の多さに驚いた。

 結果的に、集まった人間は航介を含めて五十人。ほぼ、タダ働きの社会奉仕活動の催し物に、こんなにも人が集まるだなんて、航介は予想だにもしなかった。

(善人が集まったってか)

 漁港で働く男衆に混じって、便利屋の天狗が来ている。あいつがいれば、大体の力仕事はなんとでもなりそうだな、と思う。

 女、子どもたちも集まっていて、それとなく、騒がしい。騒々そうぞうしいのがあまり得意でない航介は、顔をしかめる。

「えー、皆さん。本日は、雨ノ宮神社の清掃と大豆田屋の新作蒸し饅頭の試食会にお集まりいただき、ありがとうございます」

「いいぞ! 若旦那!」

「頑張れ! 一茶の坊主!」

 男衆が、やんやと褒めそやす。茶屋の若旦那は照れ臭そうに、頬を赤らめてから咳払いをする。

「まず、神社に入る前に、神様へお邪魔いたします。との意を込めて、鳥居で一礼しましょう。それから、建物の前で、神様に訪問しましたと、ご挨拶のために、二度お辞儀をして、二回拍手、最後にもう一度礼をします」

 あんまり聞いたことのない作法に、航介だけでなく、集まった町の人間皆が首を傾げたり、それぞれに、話し合っている。ざわざわという声を抑えたのは、ひょろりとした若旦那ではなく、よく日に焼けた健康そうで体躯のいい青年だった。

「とりあえず、俺と若旦那がやるので、皆さん真似をしてみてください」

「まぁ、馬借の旦那がそういうなら」

「とりあえず真似して見ましょうか」

 航介にとってはあまり見覚えのない顔だったが、町の人間にとっては馴染みのある顔だったことで、皆、若旦那と馬借の青年の後に付いて真似をする。

 鳥居の前で、一礼。そこから参道を歩いて行って、拝殿の前で、二礼、二拍手、そして最後に一礼。

 神社の神様へ挨拶が終わると、茶屋の若旦那から今日の流れが言い渡される。

「まずは、境内の伸びすぎた木や、雑草を綺麗にしましょう。そうしないと、饅頭を振舞っても食べる場所がないでしょうから」

 若旦那の言葉に、女たちがクスクスと笑う。

「今日は、境内が綺麗になれば良いです。余力があれば、神社の奥に仕舞われている巻物や本、布団などを干していただければと思います。あ、そうだ。この辺りに生えている草の中に、薬になる物も生えているそうです。なので、薬草の区別は河津さんに聞いてください。それでは、皆さん始めましょう!」

 やられた。と、航介は思った。自分で採れる分だけでもいいかと思っていたのに、こんなに大々的に言われてしまえば、確実に抜いた草を見せに人が寄ってくることになる。

 現に、仕事の割り振りを行う男たちが、航介の名前を伝えて指示を出している。

「生えている草の中には薬草になるやつもあるらしいから、それは避けて欲しいそうだ。詳しくは河津の息子に聞け!」

 草取りを任された、女、子どもたちが航介を見る。

 航介はため息を吐くしかなかった。


 〇


 航介は草取りしながらも、神社の中に居るという、河童たちのお姫様が見えないかと建物の方へばかり顔を向けるが、どうにもお姫様は本当に境内まで出て来られないらしい。まるで見える様子がない。

(まぁ、神様とか、幽霊なんてもんは結構あやふやな存在だもんな)

 そんな失礼な事を考えていたばちが当たったのか、航介のところには次々と草を抜いた子どもたちが寄って来る。

「河津のあんちゃん。これは!?」

「それは、ただの草だ。使えん」

「あんちゃん、この草はー?」

「そいつは使える。集めてくれ」

「あんちゃん、あんちゃん! じゃあこれも?」

「馬鹿野郎、そいつはトリカブトだ! 毒がある! 今すぐ捨てて、手洗ってこい!!」

 こんな感じでひっきりなしに子どもたちが集まって来る。いちいち相手をしていると、航介自身の採集が進まない。

 航介はかがんでいた草むらから立ち上がって声を張る。

「草取り担当! 一旦俺のところに集合しろ!!」

 航介の声が聞き届いたようで、子どもが十人、若い娘さんたちが四、五人程集まって来た。それに釣られたのか、現場監督の様な事をしていた茶屋の若旦那と、何故か神社の中から馬借の青年が出て来た。

「いいか。これから、薬になる草を教える。それを覚えて、薬になるやつは神社の屋根の下に集めろ。それ以外は捨てろ」

 そう伝えると、あからさまに嫌そうな顔をするのは、子どもたちだ。

「なんだ、文句あんのか」

「だって、草抜くのだって大変なのに、なんで取っとくやつ覚えなきゃいけないの?」

「河津のあんちゃんのが詳しいんだから、あんちゃんに聞けばいいじゃん」

「覚えたって俺たちに何の得があんのさ」

(こんのクソガキども……!)

 と、言いたくなるのを航介はこらえる。

 怒鳴ったところでやってもらえなければ、こちらの採集に差し支える。航介は軽く息を吐いてから、上手く子どもたちを動かす方法を考える。

「覚えたって何の得にもならんのなら、得になるなら覚えるのか?」

「得になんの?」

「どうやって?」

「お前らが今日薬草を覚えたら、明日から店に持ってきた時に駄賃だちんを出してやる」

「駄賃? 駄賃ってことはお金がもらえるの?」

「え、どのくらい?」

「ちゃんと覚えて、良い物を持ってきたら、この若旦那の茶屋の蒸し饅頭が買えるくらいの駄賃を出してやる。そうすりゃ、今日食べた饅頭の中で美味かったやつを自分で買えるぞ。それでどうだ?」

「やる!」

「覚える!」

 目に見えて子どもたちの、そればかりか若い娘さんたちの目もギラギラとやる気に溢れてきた。

 航介は一番間違えやすい、ヨモギとトリカブトの区別から教えてやった。


 〇


 昼時になるころには、子どもたちと若い娘さんたちが集めたヨモギ、ドクダミ、スギナにヤブガラシが四つの山になってどっさりと積まれていた。

 航介はその中から、薬として使える状態のものだけを選り分けて、手持ちの袋へ入れていく。ヨモギは特にトリカブトが混ざっていては危険なので、一つ一つを丁寧に見ていく。

(やっぱり、素人にちょっと教えたくらいじゃ混ざるか)

 トリカブトも薬になるにはなるが、毒性が強いのでそれを相殺しなければ人には使えない。航介ならできなくもないが、面倒なので扱いたくない。特に今は、法律が変わって薬屋に対する目が厳しい。そんな中で中毒死でも起きたら、確実に店が潰れる。

 草を選り分けている航介の前に、湯気の立った蒸し饅頭の乗せられた皿が差し出される。顔を上げると、そこには湯飲みを持った茶屋の若旦那が立っていた。

「河津さん。休憩してください。蒸し饅頭は蒸したてが一番美味いんです」

「……どうも」

 航介は選り分ける手を止めて、しっかりと手を洗ってから蒸し饅頭に手を伸ばす。

 最初に口に入って来たのは、胡桃と味噌が混ざった甘いものだった。航介にとっては、少し甘すぎるところがあるが、硬い胡桃が食べ応えのあるものになっている。

(そういや、胡桃も腰痛に効くよな。教えてやった方がいいかな)

「ありがとうございます。河津さん」

「……何がですか?」

 考えていたことが口に出ていたのかと思ったが、そんなことではなかったようだ。

「子どもたちに駄賃を出してくれるって話ですよ。おかげで今、蒸し饅頭を食べている子どもたちの中で何が一番美味かったか、駄賃が出たら最初に何を買うかって話になっていて、とても参考になります」

「……俺は別に、草取ったら、いちいちこっちに持ってこられるのが嫌だっただけです。いちいち聞かれていたらこっちの仕事が捗らないですし」

 次に口に入った蒸し饅頭は、汗をかいた身には丁度いい、塩辛い物だった。歯ごたえからして、菜っ葉だろう。少し酸っぱい味がするので、おそらく塩で着けた漬物を入れたのだろう。珍しい組み合わせだが、悪くない。

 航介としてはこれが一番気に入った。夏場の熱中症対策として、炎天下の中で働く人間に売りつけたい。

「麦茶の件も、水出しにしたので冷えた飲み物が出せて、みんな、たくさん飲んでくれます。うちの茶屋でも夏の間は冷やし麦茶を出そうかって話になっています」

「それは、それは、またうちで買っていただいてもいいんですよ?」

「あはは……それは、また考えさせてください」

 苦笑いをする若旦那を横目に、また蒸し饅頭を口に入れる。ねっとりとした餡が柔らかくて、甘い。これは若い娘さんに人気が出そうだなと思いつつ、航介には甘すぎるその餡を、自分が売った炒り麦から抽出された冷たい麦茶で流して飲み込んだ。


 〇


 午後の片付けの前に、地主代理で来ていた地主の娘が胸を抑えたので、側仕えの女中に連れられて帰って行った。

 ぱっと見ただけだし、航介は医者ではないのでわからないが、苦しそうにはしていなかったので、特段心の臓がどうとかいう病気ではなさそうだ。

 むしろ、あれは。

(惚れたのか)

 航介の目線の先には、馬借の青年がいる。

 健康的な肌色に、体躯が良く、人もいい。港町の人間にも慕われている。これで旅をする馬借でなければ、確実に町の娘たちの優良物件だ。

 そう、ただの町娘。それも何も見えていない人間にとっては確実に優良物件だろう。

 だが、航介から見た馬借の青年は、事故物件だ。

(なんだ、あのちっこい女の子)

 その女の子は神社の中に入った時に急に現れた。

 巫女装束の様な服を着て、眉はあるべき場所になく、上の方に丸いものが描かれている。その瞳は、職業柄よく見るガラスで出来た薬瓶とは比べ物にならないくらい美しい青色をしていて、肌は上等な白磁はくじの器のように白く輝いていて、汚れていない。

 どう考えても、手伝いで連れてこられた子どもではないし、ずっと管理者のいなかった神社の巫女というわけでもないだろう。

 これまでの経験上から航介の出した答えは、あの女の子は人間ではないモノだった。

 そしてその人間ではないモノに、しっかりと憑かれているのが、馬借の青年だ。

(気に入られてしまったのか……お気の毒に)

 見えているのかはわからないが、あそこまで好かれて、ぴったりとくっつかれていると、これからが大変だろう。女の霊は、時に生きている女に嫉妬する事もある。

 せっかく恋仲になっても、悪さをされて泣く泣く別れたなんて話を河童たちから聞く。

(しかし、神社に霊が居る者なのか?)

 廃神社であっても、一応は神域と言えるはずの場所だ。似たように、寺には悪いものは居付けないと聞く。こんなところに居るのは、霊にとっては苦しい事なのではないだろうか。

 航介は不思議に思いつつも、本殿の奥にあるという物置へ案内する馬借の青年の後を付いて行く。

 物置は、本殿の中央、神様が御座おわすところよりも奥に、隠されるように作られた引き戸の先にあった。

「とりあえず、埃とカビの臭いが染みついているから、それを日に当ててやって、少しでもマシにして欲しい。中にあるのは、高価な物だから、壊したり、汚したりしないように気を付けてくれ。一度にたくさん運ばなくていいから、少しずつでもここに持ってきてくれ」

「はーい」

 子どもたちから無邪気な返事が聞こえてくる。皆、手を綺麗にしてあることを確認してから、引き戸の奥へ入って行く。それを監督するために、二人ほど大人の女が入って行って、物置の虫干しは開始される。

 馬借の青年と航介は中から、運び出される物を受け取る役割をする。航介は、巻物や本の状態を見るためだが、馬借の青年が何故ここに居るのかはわからない。

 物置からは子どもたちの騒ぐ声と、それをいさめる声が聞こえてくる。物が運ばれてくるまで、もうしばらく時間がかかりそうなので、航介は河童たちの言うお姫様が居ないか探して、首を動かしていると、妙な違和感に気が付いた。


「……神様がない?」


 神社には、これが神様だ、という御神体が置かれているはずだ。

 それらしい祭壇があるのに、御神体は見当たらない。物盗りに取られたのか、罰当たりだなと思っていたら、馬借の青年が声を掛けてくる。

「あぁ、御神体ならキチンとここにあります」

 そう言って、彼は懐から何かを包んでいる布を取り出す。

「片付けの時に、汚れたり、傷が付いたりしたら困ると思って、先にお預かりしておいたんです」

 彼がまるで赤子を撫でるように、布を撫でると、その側にぴったりとくっついている、人ではない女の子が、心地よさそうな顔をするのが見えた。

 その様子に、航介はハッと気が付く。


(そうか、この女の子が)


 そうこうしているうちに、物置から出て来た子どもたちが、本や巻物を床に置くと、珍し気なものを持っている馬借の青年の周りに集まって、見せてくれと手を伸ばす。

「それに触るな!!」

 航介の怒声に、子どもたちの伸びた手が引っ込んでいく。

「それは、この神社の神様だ。勝手に触れば罰が当たるぞ! 特に今、お前らの手は埃まみれで汚い。御神体を汚せば、とんでもない罰が当たるぞ!!」

 子どもたちが本当の意味を理解したのかはわからなかったが、ひとまず全員の手は引っ込んだ。

 ほっとして、息を吐くのは航介だけではなかった。

「すまない。助かった」

「……いえ。汚れないように持っていたのに、汚れたら困るでしょう。それより、子どもたちが持ってきた巻物と本の状態を確認してもいいですか?」

 航介が聞くと、馬借の青年がちらっと、張り付いている女の子を見る。女の子がこくりと頷くと、青年が航介の方へ向き直る。

「大丈夫です。お願いします」

 航介は弱っていない床を選んで座って本を手に取る。湿気ってはいるが、虫食いやシミなんかはない。これなら、日陰で乾かせば大丈夫だろう。だが、またあの物置へ戻せば、元通りになるのは目に見えている。

「本の湿気りが酷いです。今日せっかく陰干ししても、あそこに戻したらまた湿気るかもしれません。物置に風通しができる小窓とかないですか?」

「……確か、上の方にあったはずじゃ。わたしでは届かないので、開けておらん」

 そう答えたのは、馬借の青年に張り付いている女の子。


 この神社の主。

 河童たちのお姫様だ。


 だが、航介は聞こえないフリをする。人間ではないモノたちを見聞きできると知られても、良い事はないからだ。目の前の青年も同じ考えなのか、航介の質問に答えるように口を動かす。

「えっと、あるかもしれないので、ちょっと見て来ますわ」

「はい。お願いします」

 馬借の青年が物置へ行ってしまえば、お姫様も付いて行くかと思ったら、彼女は航介の目の前に立っていた。

 そして、青い瞳が航介の目を捕える。

「先ほどは、わたしを守ってくれて、ありがとう。助かった」

 航介は、どう答えてやればいいのか悩んで、目の前の少女に聞こえるだけの小声で答える。


「河童たちのお姫様のためですから」


 〇


 その日は朝から霧雨が降っていた。

 航介は薬棚の各所に入れた除湿用の炭が湿気り切っていないかを見るのに忙しい。

 炭を手に取りながら、あの湿気だらけの山の中の神社の物置にも、炭を置けばマシにならないか、と考える。

(できれば、あそこの本の中で、薬について書いてあるやつはこっちで引き取らせて欲しかったな)

 神社の本来の主は良いと合図していたが、それが伝わらない現場監督の茶屋の若旦那は、神社にある物も地主の持ち物になるはずだから、諦めて欲しいと言われた。

 見えない人間の方が圧倒的に多いので、航介は大人しく諦めた。

 神社の主が後でこっそり、見聞きできる航介に、たまに物置の風通しをしてくれるなら本を読みに来るのは構わない、とは言われているので、そのうち紙と筆を持って、また行こうと思っている。

 薬棚の整理を終わらせた航介は、小腹が空いていた。

(そういや、新しい味は今日から出すんだっけか)

 たまには、買い食いもいいだろう。と、傘を手に薬屋を出る。

(漬物入り饅頭あるといいな)

 航介が茶屋の近くまで足を運んだ時、店から「そ、そんなぁ!」という若い娘の落胆の叫びが聞こえた。

 

 惚れた娘には気の毒だが、あの男に手を出すのは危険すぎる。

 何せ、雨の神様に惚れ込まれている男なのだから。


 航介は何も聞こえなかったフリをして、茶屋へ入っていった。

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