第14話 薬屋、河津航介が思うに。(前編)

 日の本の国。山々に囲まれた土地に開かれた港町。

 温泉も湧き出るこの町で、海の幸や温泉の蒸気を利用した食べ物を売るような店が立ち並ぶ場所の端に、その薬屋はある。

 河津かわづの薬屋といえば、この港町では有名な店である。店主は優秀な薬師くすしで、店主の作った軟膏なんこうを塗れば、たちまち怪我も火傷も治り、綺麗に消えるとさえ言われる。

 効果の高い軟膏は、いつしか“河童かっぱ妙薬みょうやく”とまで呼ばれ、その話が噂を呼び、いつしか河津の薬屋の店主は河童だと言われるようになった。

 そして、その跡を継ぐつもりの息子、河津かわづ航介こうすけもまた、河童の息子だと噂されて育った。


(んなわけねーだろ)


 と、本人は思いながら、皿のように細い目の視力を補うための眼鏡をくいと上げて、薬研やげんを引く。

 今年二十二になる河津航介は、幼い頃からこの薬草の匂いが充満する家で育った。

 物心ついた時から父に付いて回り、野辺のべに生える薬草を覚え、十の頃には家で調薬ちょうやくする薬の半分を覚えた。十五を過ぎた頃から力が入るようになった腕で薬研を引き、十八には父の作る軟膏を引き継いだ。

 今では、家にある薬のほとんどを航介が調薬している。父は早めの引退を考えていた。

 航介は別に調薬も、薬草から漂う独特の匂いも嫌いじゃない。国から出された面倒な法律のせいで制限も多いが、それを乗り越えるくらいの技量と器用さは持ち合わせていたし、薬草の臭いが嫌で医者になった兄のおかげで、店も仕事も失わないでいる。

(アルコール臭いのと、大差無いような気もするけどなぁ)

 航介が汗をかいて張り付いた海藻のように縮れた髪の毛を掻き揚げた時、町の通りに面した玄関ではなく。店の奥の方から、チリチリと鈴が鳴る。


 来客の合図だ。


 航介は、用意しておいた薬の入った皮袋と、朝採れたばかりのきゅうりを持って、店の奥へ行く。

 店の奥、町を走る用水路に面したところに、小さな裏口が作られている。それほど大きくも無い航介が屈まなければ通り抜けることのできないその裏口をくぐると、鈴を鳴らした客人達が、水から上がった姿で待っている。

「おう、ぼう! 元気か!」

「ショウブにガマ、コウホネもあるぞ!」

 そう言って、薬になる植物をたくさん入れた袋を持っている客人の手には、水掻きがある。ニコニコと笑う口は、鳥のような嘴で、全身は沼の水草のような濃い緑色をしている。

 一番の特徴は、頭にある皿のような部分だろう。そこだけに縮れた海藻のような毛がなく、並々と水が入っている。

 河津航介は別に河童でもないし、その子孫でも無い。

 ただ、河童が顧客の一部であるだけだ。


 〇


 河津家は、人間以外の存在を感知することが出来る、感の強い血筋のようで、今のところ、一世代に一人は必ず何かしらが見えている。

 ずっと昔には、その感の強さを利用して、祈祷師きとうしまじななんかをやっていたらしいが、何代か前に、その延長線上でやっていた薬師の方が利があると思ったのか、薬師を始めたそうだ。

 そんな河津の薬屋の顧客は何も人間だけでは無い。人間以外の者たちだって、薬が必要な時がある。

 対価は金よりも、なかなか自分では採りに行けない生薬しょうやくの材料だ。

「ショウブが二袋に、ガマが二袋、コウホネが一袋……っと、確かに。いつもありがとうな」

「坊の薬は俺たちにも良く効くからな。助かってるのは俺たちの方さ。軟膏だって、俺たちのより、坊が作った奴の方がよく効くしな」

「そんなんでいいのかよ」

 妙薬を作ると言われている河童からお墨付きをもらってしまう。

 まぁ元々、父が作っていた軟膏は河童たちからもらったものを研究し、さらに作りやすく、効き目を高めたものだから、そうなることも当然なのかもしれない。

「みんなこぞって坊のとこに来たがるから、競争が激しくてな。相撲で決めてるんだが、おかげですり傷が絶えねぇや」

「薬もらいに来てるのに、なんで薬が必要になることするんだよ。まったく。薬は、軟膏に、腹下し用のやつと、熱冷ましだ。あと、きゅうりの初物が出たから、よかったら持っていってくれ」

「こいつはありがたい!」

「坊様さまだな!」

「……坊はやめてくれよ。もう二十二だぞ?」

「何、俺たちからしたら赤子みたいなもんだ」

「そうだそうだ」

 ケタケタと笑う客人達に、仕方ないと息を吐く。

 本名を全て知られるわけにはいかない。それは、人ならざる者を相手にしている限り絶対だ。名を知られると言うことは、名を縛られてもおかしくないと言うこと。

 名を縛られてしまうということは、生殺与奪せいさつよだつの権を握られてしまうと言うことだと、父から口を酸っぱくして言われている。

 だから航介は自分の名前を伝えていないし、彼らの名も知ろうとは思わない。

 そうすることで、お互いがお互いを守って、ようやく取引が出来るのだ。

 初物のきゅうりに浮かれている彼らは、少しだけ良いことを教えてくれる。

「そういえば、山の中に神社があるだろ?」

「あぁ、雨ノ宮神社な。チビの時は親父と一緒に行ったっけな」

「なんか、あそこを綺麗にするって話が人間たちの中で出てるらしいぞ」

「ほーん。あそこが綺麗になるなら、薬草も採りに行きやすくなるな」

 何故人間たちの話を、人間である航介より、河童の彼らの方が先に知っているのか。

 何かしら人ならざる者たちの伝手があるのだろうし、それにたまに混ぜてもらえるから、彼らとのやり取りは辞められない。ありがたい話だ。

「あそこのおひぃさまも、これで持ち直せそうだな」

「おひぃさま?」

「なんだい、坊は知らないのかい? あそこにいる神様だよ」

「神様?」

 神社なのだから、神様が居て当然なのだが、なんだってそれをお姫様なんて呼ぶのか、航介にはわからなかった。

「雨乞いの贄にされた女の子が、海神様の御使い様に見初められて、雨の神様になったのさ。俺たちにとって雨は恵み。だから、お姫様って呼ばせて貰ってるのさ。勝手にだがな!」

「昔はよく境内まで出て来て、俺たちのために雨を降らせてくれたもんだけど、あそこに人が来なくなって、荒れてるだろ? お姫様の力もそれで弱くなってな。もうすぐ消えちまうんじゃねぇかって、話してたんだ」

「消える……」

 神様が消えるって、結構まずい事じゃないのだろうか、と航介はなんとなく思った。

 ガラガラと引き戸が動く音が店の方からした。しばらくすると「ごめんくださーい」と言う、若い男の声が聞こえて来た。

「おや、人の客か」

「じゃ、そろそろ俺たちゃ、お暇しますかね」

「あぁ、薬濡らさないように気をつけろよ。また、来てくれ」 

 河童達は水掻きの付いた手を振って、ぽちゃんと用水路の中へ消えていった。


 〇


 店へ戻ると、薄暗い店内で薬棚を見上げて立っている、細身の若い男がいた。

 港町一番の茶屋の息子、若旦那だ。

 彼が今薬屋に来る理由は、腰を痛めた茶屋の主人の薬を取りに来たのだろう。

「いらっしゃい」

「あぁ、河津さん。毎度すみません。父の腰の薬を取りに来まして」

「まだ痛むんですか?」

「痛みはマシになったらしいんだが、まだ本調子とは行かないようでね」

「そうですか。処方箋をお預かりしても?」

「あ、はいはい。これです」

 手渡された処方箋には、見知った兄の癖字が書かれていた。

 航介は薬棚から消炎と鎮痛効果のある薬を包んだ薬包を取り出して、湿布薬の軟膏にするために練る。

「薬ができるまで、ちょっとそこに座っててください」

「はい。失礼します」

 若旦那は店内にある木の椅子に掛ける。

 ごりごりと、薬を練っていく音だけが店の中に響く。

 それに耐えられなかったのか、若旦那が話しかけて来る。

「あの、河津さん。今度、うちの店で新しい味の蒸し饅頭を作ろうと思っているんですよ」

「へぇ、どんなやつです?」

「今、やっと七種類まで絞り切れまして」

「結構多いですね」

「そうなんですよ」

 ニコニコと柔和な笑顔をしているが、そんなにたくさんの味を出しても採算が取れないだろう、と航介は思う。

 ここの茶屋の蒸し饅頭は確かに美味いが、店主も、息子も人が良すぎて、本当に商売になっているのか、時々心配になる。

 茶屋の親子は大切な顧客だ。居なくなられては困る。

「それで、七種類のうちからまた絞り込もうと思っているんですけど」

「なるほど」

「それを町の人たちに決めてもらおうと思いまして」

 思わず、薬を練る手が止まる。

「どういうことです?」

「試しで食べてもらおうと思っているんです。一口で食べれそうな大きさで作って」

 なるほど、それなら確かに人の手は伸びやすいかも知れない。一口なら、気に入らなくてもさっさと飲み込んでしまえばいいし、小さいなら値段も普通のより安くなるだろう。

 新しい味、というのが航介も気になった。

 せっかくなら、試しに食べるのもいいかもしれない。

「いつから売るんですか?」

「いえ、売るのではなくて、試しに食べてもらう場所を作って、振舞おうと思っていまして」

「振舞う? 金は取らないってことですか?」

 さすがにそれは、人が良すぎないか。と、航介は眉をひそめる。

「えぇ、お金は取りません。その代わり、試しに食べたい人には神社を綺麗にしてもらう手伝いをしてもらおうと思ってまして」

「神社……って、山ん中の? 雨ノ宮神社?」

「そうです。境内は人が集まるにはちょうどいい広さですから。でも、長いことほったらかしにされてたから、草や木が伸びてしまっているので、それを綺麗にしてから振舞うつもりです」

 なるほど、働いた人間は対価として今まで誰も食べたことがない新しい味の蒸し饅頭を食える。茶屋はやってきた人間が試しに食って見て、出が良かった物を正式採用して、売りに出す。理にかなっているようだ。

「それはいつやるんですか?」

「えっと、今日やっと地主さんから返事が来て、今、広めているので、あと三日後には話をまとめようと思ってます」

「……三日したら、一旦どれだけ人が集まって、どのくらい饅頭を作って出すとか、当日はどんな流れにするのかとかの準備にもう一日かけた方がいいと思いますよ」

「え? あ、あぁ。そうか!」

 若旦那はそこまで考え切れていなかったらしい。航介の助言に、なるほど、とポンと手を打った。

 航介は苦笑しつつ、出来上がった軟膏を陶器の入れ物に詰めると若旦那に渡す。若旦那は手渡された薬を巾着に入れて、代金を払う。

「私も行きますよ。その試し食い」

「いいんですか?」

「元々、あの辺りに生えてる薬草を採りに行こうとは思っていたんです。たぶんその伸び放題の草の中に、薬が眠っていそうなので、ついでです」

 薬草が一番の目的だが、ついでの目的もある。

 河童達のお姫様とやらを、見れるなら見てみたいのだ。

 若旦那はそんな航介の目論見もくろみも知らずに、喜んでいる。

「ついででも、人手が増えるのはありがたい。よろしくお願いします」

「いえ、こちらこそ。あと、もう一つ」

 航介は、店の木箱から香ばしい匂いのする袋を取り出す。

「当日出す茶は、麦茶にしませんか? 体温を下げる効果や、流した汗で失ったモノを補う効果がありますよ。当日は晴れた日にやるのでしょう? 体調不良者が出ないように、手を打っておくのもいいことだと思いますよ?」

 河津航介はほぼタダで働くほど優しくはない。情報料だとばかりに、炒り麦を売り込む。

 茶屋の若旦那は悩んだ末に、薬屋から炒り麦を買ったのだった。

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