第11話 大浦家

 大浦おおうら夫人は書状を読み終わらせると、隣に居る瑠璃るり嬢へと手渡して、一茶の方へと向き直る。

「とても、面白い案ですね。ですが、いくつか質問させてください。夫へ働きかけるためにも、細かいところをきちんと知っておきたいのです」

「は、はい」

「まず、雨ノ宮あまのみや神社じんじゃを綺麗にする目的をお伺いしても? 確かに、書状の通りに荒れているのであれば、綺麗にするべきですけれど、それだけのためですか?」

 柔らかな笑みをたたえているが、大浦夫人の瞳は値踏みをするように鋭い眼差しを一茶に向けている。

 その眼差しに押し負けそうになりそうにならないように、一茶は軽く一息を入れると、馬借の青年と話し合った神社を整える利点を大浦夫人に伝える。

「確かに荒れている神社を綺麗にしなければ、そこにいらっしゃる神様に申し訳ないという理由もございますが、それ以上に神社を綺麗にすることで、治安を維持できるという利点がございます」

「治安の維持? どういうことかしら」

「荒れ果てた神社に、この町の人間はなかなか寄り付かなくなってしまいましたが、屋根を求めて寄る辺なき者がやってきます。過去に、この神社を根城にした物盗りの集団が現れた事があると、聞いたことはございませんか?」

「そういえば、何年か前にそんな話が入って来たわ。夫が巡査じゅんさ(警察)を頼んで捕えてもらったと思うけれど……」

 確かに、過去に現れた悪人は捕えられたが、それはあくまで過去の話。今後同じことがないとは限らないし、いつまたあの荒れた神社を別の集団の根城にされるか、わからない。

「荒れ果てたままでは、屋根が欲しいだけの者たちがいつまた、そこを根城にするのかわかりません。いつまたあの神社を根城に物盗りが現れるかわからないので、町は安全とは言い切れませんし、わからないので、町の女、子どもたちだけでは神社へ気軽に行くことができなくなっています」

「そうね……私も若い頃はよくお世話になっていたものだけれども、今は危ないからと言って夫に止められてからは行かなくなったもの。瑠璃はほとんど行ったことがないわよね?」

 静かな令嬢はコクコクと首を縦に動かす。

「整えず、荒れたままだから、誰も彼もが勝手に入って、好きにしてしまうのです。ですが、綺麗に整えれば神社を管理している者がいると一目でわかって、余程の豪胆な者でなければ近寄らないはずです。綺麗に整えられれば、町の人間が足を運びやすくなりますし、人が来るようになれば、整えられた状態を維持することも難しいことではないはずです」

「確かに。そうなれば、私の様な女も、瑠璃のような娘も神社に行きやすくなるわ」

「はい。子どももあそこまで出歩ける範囲が広がれば、遊び場所に悩む事も減るでしょうし、山の中で採れるものが採れれば助かる者もおります」

 山には山菜や茸だけでなく、薬になるような草も生えていると、父の腰の薬を取りに行った時に薬屋から聞いた。だが、採りに行く時の危険もあると聞いている。最も困っているのは獣などよりも、人の方だとも聞いた。

 だからこそ、神社を綺麗に整えることで、そこまでが町の人間の管轄であることを表し、他所の人間が入り込みにくいようにするのだ。

 それならば、神社を綺麗に整えることに今まで手を付けて来なかった地主も利益を見出すだろうと、馬借の青年が知恵を貸したのだ。

「いいでしょう。目的はわかりました。ですが、整えるとして、誰がその費用等を持つのでしょうか? この書状には、特に費用について、誰に助けて欲しいとは書いてありませんが」

「特別な費用を作って、どなたかに出して頂こうとは思っておりません」

「あら、では大豆田さんが全てを持たれるの?」

「いえ、今回うちで持つのは、整えることを手伝っていただいた人々へのお礼として振舞う、蒸し饅頭の分だけです」

「では、どうなさるおつもり?」

 第一関門は突破したが、まだまだ夫人は納得していない。隣に座る令嬢に至っては、全くピンと来ていないようで怪訝そうな顔をしている。

 一茶はそれに怯まないように胸を張って、次を述べる。

「まず神社を綺麗に整えるにしても、一度に全てを整えることは難しいと思います。神社の荒廃は建物だけでなく、その外、境内けいだいに植わる木や、放置されているうちに伸びてしまった雑草もあります。おそらく、今回はその木々や草を刈り、整えるだけで終わってしまうでしょう。よくて、本殿の奥にあるという本や巻物、布団の虫干しまでできればいいと思って言います」

「それでは、神社は綺麗にならないのではなくて? 先ほど説明していただいた治安の維持が達成されなくなるのではないかしら?」

「いえ、木々や草がないだけでも充分綺麗に見えるはずです。それに、ぱっと見ただけでも綺麗になっていれば整えられた事がわかり、充分牽制になり、効果があるはずです」

 人はまず、ぱっと見たもので判断する。それは客商売をしている一茶にもわかる。

 きちんと金を払ってくれる客であっても、人相が悪ければ警戒はする。逆に、子どもだからと目を離していて、蒸し饅頭を持ち去られたこともある。

 見た目が整うということは、とても重要なのだ。

「もちろん建物も順次修復させていきます。ですが、そのためにわざわざ高価な板材を買わずとも、材木屋が使ったものの端材や、余った瓦を融通してもらい、使えばいいのです。今、早急に必要なのは、神社を整えること。立派な姿に戻すことではありません」

「なるほど。もし本当にあなたの考え通りに事が進めば、特別、費用を集める必要はないでしょう。……ですが、こう言っては失礼ですが、蒸し饅頭の為だけに、本当に神社を整えるための人が集まり、修繕の為の材料を融通してくれる人が訪れるものですか?」

 たかだか蒸し饅頭の為に、人が集まるのか。

 振舞われるのだから、金を払う必要はないが、仕事でもないのに身体を動かすことになる。その働きに釣り合うほどの高価なご馳走を振舞うのならまだしも、茶屋で出すような蒸し饅頭だ。今まで出したことのない味だとはいえ、それだけで本当に人が集まるのか。

 大浦夫人は純粋に疑問を持った。

 その疑問に一茶は笑顔で答える。

「大浦様も先ほど仰っていたではありませんか、『若い頃はよくお世話になっていた』と」

「えぇ」

「町の人間も同じです。皆、何かしら雨ノ宮神社の世話になっております」

 年を取った老人も、若い男衆も、皆なんとなく、神社に向かって祈る習慣は身についている。

 特に神社が綺麗だった頃は、あの辺りで遊んだり、休んだり、時には家出をして隠れたりと、実際に世話になっている者も中にはいる。

「かく言う私もそうです。父や母が雨ノ宮神社に願ってくれたこともあって、何度も、何度も、危ないところにあった命を救われたと聞きます。薬が良かったのかもしれませんが、それだって、神社の周りで薬草を取っていた河津の薬屋さんのおかげです」

 そんな町の人間の口癖は、『昔はお世話なったから、どうにかしてやりたいのだけれど』だ。


 けれど、口にするだけで動かないのにも理由はある。

 

「雨ノ宮神社は一応、大浦様の土地の物ですから、町の人間も勝手に手を出すのがはばかられます。なので、今回正式に大浦様からの許可を頂いて、大豆田屋の催し物として、また雨ノ宮神社への恩返しだと呼びかければ、充分動くきっかけとなるかと思います」

「つまり、人の善意を上手く動かすと? 蒸し饅頭というきっかけで?」

「はい。そうです」

「……トワさん。人は本当に動くのかしら?」

 大浦夫人は一応第三者であり、実際に蒸し饅頭を振舞う店の店主代理に確認を取る。

「えぇ、大浦様からの許しがあれば、町の人間はすぐにでも動けます」

「あら、もう人が集まっているの?」

「いいえ、集めてはいませんよ。許可を取る前に集めてしまっては、無理にこの話を通そうとしているようになってしまうでしょう? でも、もしこんな催し物をしたらどうするか? と、それとなく声を掛けたところ、なかなか好印象でした。あれなら、大々的に伝えれば、確実に集まるでしょう。なんせうちは、町で一番の茶屋ですから」

「そう……」

 大浦夫人は少し、ほんの少しだけ考えたのち、返事をした。

「いいでしょう。大豆田屋が町で一番の茶屋であることは周知の事実。その一番にかけて、この計画を成功させていただきましょう」

 大浦夫人はにっこりと微笑むと、冷めてしまったお茶に口を付けた。


 〇


 大浦夫人は、この件について、今日明日にでも当主の意向を大豆田家へ伝えることを約束してくれた。

 そのまま一茶の母とお茶を楽しみたかったようだが、店が夜に向けて忙しくなること、まだ自由に動けない父の看病、何より、一茶の踏ん張りが限界に来ていることもあって、仕方なく辞退した。

 来た道を戻って、門を出てしばらく歩いたところで、一茶の緊張感は一気にほぐれて、腰が抜けてしまった。

「お、終わった……」

「何が『終わった』だい。これからだろう? 全く、しっかりおしよ」

「そ、そうなんだけれど。こんなでっかいお屋敷で、偉い方にお話しするなんてしたことないから、腰が抜けて……」

「よくそんなんで、あそこまでの話ができたもんだ」

「ミチさんに特訓させられたからね……」

 できる女中は一茶が書状を書いている間に内容を覚えて、実際起きるかもしれない問答を、きちんと丁寧な言葉で伝えられるように特訓をしていたのだ。

 おかげで一茶は全ての問いに答える事ができたのだった。

「一緒に考えてくれた馬借さんにも、感謝しないと」

「ほとんどが馬借さんの考えだったんじゃないのかい?」

「一応、俺も考えたんですよ」

 そもそも新しい味の蒸し饅頭をいっそのこと全部作ってしまって、味比べしてもらおうだなんて考えなければ、こんなに大事にはならなかったのだ。

「まぁ、そうさね。お前も少しは成長していると、今日実感したよ」

「母さん……」

「褒めてやるから早く立ちなさい」

「えぇ……」

 そうこうしている大豆田親子の元に、荷車を引いた赤毛の見事な馬がやって来た。

 馬と荷車は腰を抜かして座り込んでいる一茶のすぐそばに止まると、見知った顔が降りてきた。

「馬借さん、何だってここに?」

「ミチさんから頼まれまして、『若旦那が腰を抜かしているかもしれないから迎えに行ってやって欲しい』と」

「さすがミチさんだわ。そこまでわかっているだなんて」

「荷車で良ければ、女将さんも乗ってください。揺れるかもしれませんが、茶屋まで座って帰れますよ」

「あら嬉しい! そうさせてもらうわ。一茶は……」

「あぁ若旦那なら俺が持ち上げます」

 そう言って、宗近は腰を抜かした茶屋の若旦那の脇の下と膝の下に腕を入れると、ひょいと持ち上げた。

 時と相手が違えば、お姫様抱っこをしたことで、何かが始まったかもしれないが、残念ながら持ち上げられたのは茶屋の若旦那。その若旦那といえば、ショックでしばらく茫然自失ぼうぜんじしつのまま、荷車にされるがまま寝転がされた。

 女将が宗近の手引きで荷車に乗り込むと、宗近は馬を走らせる。景色がゆっくりと流れるように、引かれた荷車は動く。

「ミチさんには、私も足を向けて寝られないわね」

「俺は、俺は、どうすれば……」

「とにかくこれからが忙しくなるのだから、あんたがしっかりしないでどうするんだい」

「馬借さんに軽々と持ち上げられてしまうだなんて」

「そっちかい」

 母としても、店の女将としても、もっとこれからを心配していて欲しいのだが、当人はそれどころではない様子だ。まったく、と呆れてため息がでてしまうが、小言は今日の頑張りに免じて、この荷車の上に乗っている間はやめといてやろう。


 〇


 客人の帰った大浦家で、その一人娘の瑠璃は母に疑問を投げかける。

「お母様、本当にこのお話をお父様になさるの?」

「えぇ、しますよ。大豆田さんとのお約束ですから」

「でも山の中の神社を綺麗にするだけなのでしょう? そんなこと、町の人たちだけに任せておけばいいのではなくて? それに、本当に人が集まるのかも怪しいのに……」

「瑠璃」

 たしなめるような母の呼びかけに、瑠璃は余計なことを言わないようにするために、口をつぐんだ。

「大浦家は代々、二つの場所を守ってきました。この港に面した町と、そして山の中にある雨ノ宮神社です。本来、大浦家が優先して守るべきは神社の方なのです。我が家はあの神社に所縁ゆかりがありますから。だから今回の事は、大浦の者としてやるべきことなのです。わかりましたか?」

「……はい。お母様」

 納得できなくてもしなければならない。

 今年で数え十四になるが、八つを過ぎた頃から、歳をとるたびに、そんな事柄が増えていく。瑠璃はそんな状況に口を尖らせる。

「瑠璃。いい機会ですから、この神社を綺麗にする日は参加なさい」

「え?」

 瑠璃は母の言っていることが理解できなかった。

 瑠璃はこの町で一番大きい屋敷に住んでいて、身の回りの世話さえも下女げじょに任せているような女の子だ。到底、神社を綺麗にするための力仕事ができるとは、瑠璃自身も思えない。

「でもお母様、私に力仕事は……」

「何も力仕事をしろとは言っていませんよ。大浦の家の者として、当日問題が起きないように見ていなさいということです」

「見ているだけでいいのですか?」

「……そうね。まずはそこから始めなさい」

「始める?」

「瑠璃、あなたは次の大浦家を背負う者です。大浦の者としての役割をわかっていなければなりません。今回のことはいい機会になるでしょう。しっかり勉強をしてきなさい」 

 母は満足そうに笑うと、書状を手に屋敷の奥に行ってしまった。瑠璃はちょっとため息を吐くと、二階にある自室へ下がる。

 母はしっかり勉強をしろというけれど、一体神社なんかに行って、何を学べと言うのだろう。

 瑠璃は自室に戻ると、最近流行りの小説の続きを読むために、お気に入りの出窓のそばに座った。

 曇りのないガラス窓から外を覗いてみると、先ほど話をしに来ていた大豆田親子が見えた。

 なんとなく眺めていると、よく喋っていた息子さんがへなへなと座り込んでしまった。

 瑠璃が客間へ入った時から、青白い顔をしていたので、まさかもっと具合が悪くなってしまって、倒れたのではないかと、心配になって身を乗り出して様子を伺おうとしたところ、港へ続く道の方から、荷車を引いた馬がやって来るのが見えた。

「よかった。迎えが来たのね」

 やって来た馬は、瑠璃が見たことないほど綺麗な赤毛の馬だった。そして、その馬を連れて来た青年は、へたり込んだ息子さんとは対称的に、健康そうで日に焼けた黒い肌に、がっしりとした身体をしていた。

 瑠璃はぱっと見ただけなのに、今日来ていた茶屋の息子よりも、彼の方が頼りになりそうで、いいなと思えた。

 ぼうっと見ていると、青年がへたり込んでいる息子さんを両腕で軽々と持ち上げて、荷車に乗せるのが見えた。

「……すごい」

 大の男を軽々と持ち上げてしまうなんて、それに、大豆田の奥様を丁寧に荷車へ案内する姿は、父から聞いた外の国の男性が行うしぐさに見えて、とても。


「……素敵だわ」


 大豆田親子を迎えに来たのなら、きっと大豆田の家に勤めている方なのだろう。

 もしそうなら、神社を綺麗にするという催し物にも来るかもしれない。

 瑠璃は黒に近い瞳の中に深く眠る青色を光らせて、微笑んだ。

「少し、楽しみになったわ」

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