第9話 餡と案
日が落ちきって、夜も営業する店に灯りが灯る。
茶屋では、行灯の他に数は少ないが、ランプも使っている。言わずもがな、茶屋の店主が取り入れたものだ。
そんな
そんな賑やかな茶屋で、静かに頭を深々と下げる男が一人。
茶屋の店主代理を務めている若旦那。
頭を下げられているのは、馬に乗って荷運びをしながら旅をすることを生業にしている馬借の青年、
宗近は頭を下げられて困惑してしまい、思わず動きが止ってしまった。
「な、なんだい。若旦那、急に……」
「お願いします! 蒸し饅頭の中に詰める餡で、何か面白い案があったら教えてください!」
「えぇ……?」
本当に急なお願いに、宗近も混乱せざるを得なかった。
何か面白い餡を、と、頭を下げてまで求められても、そう簡単には思い浮かばない。
蒸し饅頭の中に詰める餡と言えば、この店での王道は、小豆餡に、醤油と砂糖で煮付けた肉餡だ。
それ以外は、甘いものはかぼちゃ餡や、この辺りではよく取れる魚の身をこれもまた醬油と砂糖で煮付けてほぐしたものを入れている。
季節に一度くらいにしか訪れない馬借の宗近としては、それだけでも充分満足なのだが、一所に留まる店としては何か新しいものが欲しいというところだろう。
「なんだい、なんだい。一茶の坊主は、また馬借の旦那に頼みごとかい?」
「全く、俺たちにも頼ってくれたっていいってのに」
「そうそう。俺たちだって、力仕事ならいくらでもできるぜ?」
そう一茶に声を掛けるのは、常連の
一茶の幼い頃からを見知っている男たちは、兄貴分のような気でいるので、時折訪れる馬借の青年ばかりが頼られるのが、少し寂しいのだ。
「そういうけど、あんちゃんたちには、何か面白い考えがあるのかい? 蒸し饅頭の中に詰める餡の事だぞ?」
ぴたりと、男衆の動きが止まる。みんな目線が泳いでいく。
男衆は皆、身体を動かすことは得意中の得意だが、考えることはそうでもないのだ。
その様子を見て、一茶はジトリと彼らをねめつけて、ため息を吐く。
「ほぅらな。あんちゃんたちは、うまい酒が飲めれば中身はなんでもいいんだろう?」
「いや、なんでもいいわけじゃないさ」
「そうそう。上手い酒のためにはしょっぱいものがいい」
「ある程度腹にたまるもんじゃないと、酒ばっかり回っちまって仕方ねぇ」
「つまり、今の饅頭でも満足なんだろう?」
男衆たちは、うぅんと唸って黙り込んでしまった。
「俺が欲しいのは、新しい案なんだよ。で、それは旅をしながら仕事をしている馬借さんなら、何か他所で食べたもので、面白いものを知っているかもしれないと思って聞いたんだ」
「あぁ、なるほどな」
そこまで聞いてようやく、宗近も自分に求められているものがわかった。この港町以外で食べたものでいいのなら、宗近にも何かと案が出せるかもしれない。
宗近は卓に頬杖を付いて考え込む。
「そうさなぁ……。俺としては、魚が珍しいから、ここの魚のほぐし身が入っている饅頭は珍しいんだが……」
「そりゃ馬借の旦那にとっちゃ珍しいかもしれんが」
「俺たちからしたら、朝も昼も、なんなら夜も食ってるもんだからな」
「むしろ魚に飽きて、ここに肉饅頭食いに来てるんだわ」
だっはっはと、笑う男衆。確かに、三食ずっと魚が出てくるとなれば、飽きもする。道理で港町であるのに、肉餡の方が人気になるものだ。
そうなると、魚ではなく、肉でもないものが良くなる。
「そうすっと、野菜とかかね」
「かぼちゃ餡はもう出ていますよ?」
「娘っ子らにも人気が高いやつだろ?」
「俺たちにゃ、ちと甘すぎる」
「辛い方が酒も進む」
酒を飲む男衆にとっては、塩辛い方が嬉しいようだ。
それなら何も、わざわざ甘い野菜を詰めなきゃいいだけの事だ。
「漬物を入れりゃいい」
「漬物ぉ?」
「たくあんとかか?」
「臭いが気にならないか?」
確かに、たくあんじゃ臭いが気になるだろうが、宗近が考えている漬物は違う。
「俺の生まれ育った里よりも奥の山ん中で、こういう蒸し饅頭に似た“おやき”って食べ物があるんだが。そいつに入れている漬物は菜っ葉の漬物でな。たくあんみたいな臭いはしないし、それなりに塩っ辛さと独特の辛味があるから酒にも合うと思うぞ」
「へぇ、そいつぁ気になるな」
「今もってないのかい?」
「残念ながら。でも塩と、そうさな、かぶやら大根の菜っ葉を漬ければ、似たようなものにはなると思うぞ」
「待ってくれ、どっかに書き付け(メモ)を……」
「もうしてますよ」
そう言って、いつの間にか紙と筆を携えて立っていたのは、女中のミチさんだ。
「若旦那がお決めになった後で作るのは私たちですからね。それに、献立の数が増えるのはありがたいですからね。こちらでも試させていただきます」
なんとも頼もしい限りである。
「せっかくですし、皆さんが普段食べているもので、美味いと思っているおかずを挙げてみてはいかがです? たぶん飯に合うような濃い味のおかずなら、この饅頭の皮にも合うと思いますよ」
そう宗近が提案すると、酒が少し入っているからか、店の男衆が勢いよく口々に案を出す。
餡の案というよりは、自分たちが食べたいものではあるのだろうが。
「時雨煮なんてどうだ? マグロも細かいエビも行けるぞ!」
「魚じゃねぇか! もっと肉を推せ! 肉の細切れと大根を煮付けたやつなんてどうだい?」
「そりゃ水っぽいだろ。食う時に汁がこぼれて汚れる。味噌はどうだ? ネギと味噌を混ぜるのさ」
「それだけだと簡単すぎねぇか?」
「肉が入っている饅頭に乗っけて炙った方が美味そうだ」
「胡桃味噌もダメか?」
「なんだそれ!」
「胡桃が入ってんなら食いごたえありそうだな!」
〇
男衆の酒が進めば進むほど、ボロボロと案が出てくるが、もはや蒸し饅頭の餡というよりは、何が一番、飯と酒の肴に美味いものか、という論争に発展している。
ミチさんは、くるくると動き回りながらも、男衆から出てくる料理の名前の書き付けを器用にこなしている。
しばらくは真面目に聞いていた一茶だったが、その熱気についていけなくなった辺りで、宗近の座っている卓へ戻ってくると、座って休憩を始める。
「疲れたかい?」
「情けない事に……。あんちゃんたちの熱気に付いて行くのは小さい頃から難しかったんだが、大人になっても難しいとはな……」
弱々しく座る一茶の前に、湯気の立つ湯飲みが置かれる。持ってきたのは珍しく、ミチさんではなく、ミドリの方だった。ミドリはついでで宗近の前にも湯飲みを置く。
「ありがとう。ミドリちゃん……。あー落ち着く」
「ありがとう。……そういえば、ミドリちゃんは、どう思う?」
「ドウッテ?」
「蒸し饅頭の中身だよ。今、聞いている意見は、酒飲みの男どもの話だから、女性の意見も聞きたいなと思って」
「フゥン?」
ミドリはちょっと緑色に見える茶色い瞳をぐるりと回して、故国で蒸し饅頭に近い食べ物だったものを思い起こす。
「私ノ国ノ
貴重な若い女性の意見をと思ったら、案外雑な意見が返ってきた事に、男二人は唖然とした。
啞然としている男たちに追い打ちを掛けるように、ミドリは続ける。
「ミジン切リニシテシマエバ、大体ノ食ベ物ハドウトデモナル。肉、
「ありがとう、ミドリちゃん」
「よくわかったよ。ありがとう」
後半はちょっと茶屋で出せる範疇を超えている。蝗の佃煮を宗近は食べたことがあるが、さすがに茶屋で食べたいとは思えない。一茶は見た事すらなさそうだ。
ミドリは聞いてきたのはそちらでしょう。と言わんばかりに、首を傾げている。
「何ネ、コノ国デハ見タ事ナイ。デモ、蛙ハ美味シイヨ。串ニ刺シテ丸焼キガイイ。他ニハ、筍ト茸トガ入ッテイレバ、ゴ馳走ネ」
「なるほど……」
一茶の顔が若干青ざめている。港町の町中で育った一茶は蛙もそうそう見ないのかもしれない。食べるだなんて思ってもいないのだろう。
そんな様子に、ミドリがプリプリと猫の目の様な眦を吊り上げる。
「マッタク。若旦那ハ情ケナイネ。モットシッカリシテ欲シイヨ」
「……善処します」
「でも、筍と茸はいい案だったよ。ありがとう」
ミドリは少し口の端を上げると、また男衆たちの居る方へ戻って行った。
〇
男衆たちの話はまだ尽きない。それどころか、さらに盛り上がっているようだ。
あの喧騒の中、ミチさんは男たちの酒のお代わりやら、勘定やらを済ませながらも、書き付けもしている。書き付けの紙の数が増える様子を見て、一茶はため息を吐く。
「みんなの好みが違いすぎる……」
「そりゃあ、そうだろう。人によって性格が違うように、好みだって千差万別だ」
「そうか……参ったな」
一茶はそう言うと、腕を組んで上を見上げる。たくさん出された案の中から、何を汲み取ればいいのか決められない。いや、わからないのだ。
宗近の言う通り、好みは千差万別。さらに人が増えれば求められるものも増えるだろう。そこから、何を選んで使えばいいのか。一茶には全くわからない。
頭を抱えそうになっている一茶の向かいで、宗近は程よく冷めたお茶を飲む。戻した湯飲みの中に揺らぐ水面を見ながら宗近は、五年間やってきてようやく掴んだコツを一茶に話す。
「全員が欲しがるものを手にするのは無理なのさ。そんなものがあったら、とっくに全員が手に入れている。だから、俺たちみたいな、人に何かを買ってもらおうと思う人間は、考えて選ばなきゃならん。人が何ならいつもより買ってくれるか、だいたいの人が何を手に取るのか。それがちょっとでも分かれば、後は揃えてやるだけさ」
最初は何もわからない。当然だ。やったことがないのだから。だからせめて先達の真似をする。けれど先達の真似だけでは当然、利益は上がらない。先達者がいるし、同じことをしても、場所も人も変われば欲しがられるものは変わる。
だから宗近はとにかく人の動きをみた。観察して、話を聞いて、人が欲しいであろうものを、少しずつ、少しずつ揃えて行った。そうやって、宗近は少しずつ、五年かけて馬借をしてきた。
もちろん、一茶がそれをするのかは、また別の問題だ。一茶には一茶の考える道筋があるのだから。
宗近は頭を抱えそうになっている一茶に声を掛ける。
「大丈夫かい?」
「あぁ……。馬借さんの話はわかった。ようは、たくさんの物の中から人が何を選ぶのかを予測して、物を出すんだろう?」
「そんなところだが、できそうかい?」
「……今、いっそ、全部を試すかまで考えているよ」
「全部って、あの書き付け全部かい? そんなことできるのかい?」
「全部は無理でも、いくつかの、材料が用意できた変わり種の餡が入った蒸し饅頭を全部作って、全部の味を町中の人に食べてもらえば、人が選ぶものが見えてきそうなんじゃねぇかな、とは」
「町中か……。店に来てもらうだけだと、いつもの物だけ買って帰っちまうかもしれねぇし。かといって、首から箱下げて道端で売って買ってもらうんかい?」
「それで利益がでなきゃただの赤字だ……。どうしたもんかな」
「どこか広いところで一気に出来りゃあな」
「そうだなぁ……。どこか広いところで、男も女も、子どもも集まれる場所があればなぁ……」
一茶のぼやきを聞いていた宗近が急に「それだ!」と、立ち上がる。
「ど、どうしたね。馬借さん急に……」
「なぁ、俺に提案とお願いがあるんだが。聞いてくれるか?」
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