第7話 港町からの情報

 静かな雨が丸一日降り続けた翌日の港町は、雲一つない快晴だった。

 昨日の遅れを取り戻さんとばかりに、港町の店々も漁港も活気に充ち溢れていた。

 この港町で馬借の青年は茶屋の他にも、いくつか取引をしている商店がある。港町に居を構える彼らが欲しがるのはもっぱら山で取れるものだ。

 山奥の養蜂家ようほうかの蜂蜜。とある山間部の豊かな土壌で作られる根菜類。山を歩き回る猟師の狩った獣肉や毛皮など。時折、東京近くまで遠出して、流行りの雑誌や本なんかも手に入れると、それも人気がある。

 そんな品々と馬借、馬飼宗近が交換するのは、港だからこそ取れる魚の干物や、温泉があるからこそ手に入る湯の花などだ。

 だがその仕入れのためにわざわざ他の店の荷運びまで手伝う必要性はない。

 宗近が荷運びまで手伝うのは、それ以外の品が欲しいからだ。


 それ以外の品。すなわち、情報である。

 

 情報は簡単には手に入らない。新聞なんかの紙の情報だけでは、馬を連れた山を行く旅路には不足する。人伝ひとづての情報は必要だ。

 例えば、見かけない人間の出入り、増えた輸送船の元締めはどんなところで、どんな奴が乗ってきているのか。そういう情報は同じ場所で働くことで、自然と耳に入ってくる。

 荷卸しと荷運びの仕事に混ざった後は、店主の好意でお茶をいただいたりすることで、その情報をさらに顔見知りの人間と言葉を交わして、刃物を砥ぐように鋭く、綺麗に整えて手元に置く。

 この繰り返しで、今回手に入れたい情報は、雨宿りをさせてもらった神社に関してだ。

 

 〇

 

「あぁ、雨ノ宮神社ね。俺たちの爺さんたちはよく参っていたようだけど、何年か前からあそこに行く年寄りも減ってきてな。なんせ山の中にあるだろう? あそこまで年寄りだけが行くのは難しいからなぁ……そんなこんなで、人足が途絶えちまったんだわ」


「あそこの神社は、昔はここの町だけじゃなくて他のとこからも手入れに来る奴もいたけども、おかみからはんはやめてけんにしろって話が出ただろ? あぁ、あんたは若いからよう知らんのか。ともかく、そんなお触れが出たと思ったら、今度は、ここはあっちの県だって言われるやら、こっちの県だって言われるやらで、大わらわでさ。住んでる奴が自分がどこの人間かわからんようになっている間に、誰も神社の世話をせんようになってしまって、それっきりなんさ」


「何回か、神社も綺麗にしようって話が出たんだけどねぇ。打ちこわしされた家を直したり、灯台を建てたりしているうちに気が付いたら後回し、後回しで……。元々立派なところだったから、それを綺麗にしようとするには、どうにもいろいろ足りなくてねぇ。そうしている間に、荒れ放題になっちゃって。男どもも仕事のない日は寝てばっかりだしで、頼りにならないしねぇ。あ、あんたは違うわよぉ。よーく働いてくれるから、あたしも大歓迎。いっそうちに婿に来てくれればいいのにぃ」


 だいたいの話を総合すると、宗近や若旦那の生まれた頃に時代の変換期が起こり、そのゴタゴタを始末する事に町に住む人間は忙しくなり、結果として山の中にある神社への足が遠のいたし、世話もしなくなったということだった。

 人はまず、目の前を必死に生きる。そうして、その必死さが和らいだときに、余分な力を別のところに込めることができる。


 今の時代は、まだまだ落ち着かないのかもしれない。

 そんな中で、人が余分な力を目の前以外に回せないことを、誰が責められよう。


 〇


 宗近は宿にしている茶屋へ戻って、少し早めの晩飯として蒸し饅頭と野菜の入った汁物を啜る。汁物に入っている干した椎茸は、宗近が持ってきたものだ。若旦那はあまり得意ではないようだが、ミチさんの教育的指導の元、ちびちびとそれを齧っている。

 茶屋でも神社の話をすると、ミチさんが少し残念そうに山の方を見ながら、また新しい話が入って来る。

「そうねぇ。私も若い頃はお参りさせてもらったし、子どもの頃はあそこまで遊びに出かけたものだけど、あそこまで荒れてしまうと、女、子どもだけで行くのも危ないじゃない?」

「危ない? そりゃまたどうして」

「昔は綺麗だったからか、変な人が居付くこともなかったのだけど。荒れたせいか、変な人が居付くようになっちゃってね。旅の人ならまだしも、物盗りなんかは危ない人もいるわけじゃない? 一時、あそこを根城にしている集団なんかも出た事があって、それで女、子どもだけで行くなって話になってね。悲しいけど、神社には行く人が減ってしまうのは、もうどうしようもないのよ」

 ミチさんはそれだけ言うと、夜の営業に向けての準備を始めていく。

 もうしばらくすれば、店は晩酌をしようとする客でいっぱいになる。宗近は蒸し饅頭を口に入れて、汁物で流し込む。若旦那はまだ椎茸と格闘していた。

 宗近は皿と茶碗を下げて洗おうと思ったが、炊事場に居たミチさんに、他のものとついでにやってしまうからと、そのままもらわれてしまった。

 特にやることもなく、かと言って借りた部屋で横になっていては牛になってしまう。

 宗近はなんとなく、まだ食事をしている若旦那の向かいの席に座って、これから人が入ってくるであろう店の入り口をぼぅっと見ていた。

「そんなに、あの神社が気になりますかい?」

「え?」

「いやね。馬借さん、暇さえあれば山の方を見ているでしょう?」

「そ、そうかい?」

「それに今日だって、雨ノ宮神社の話をたくさん集めていたようですし、何か気になることでもあるのかと」

 気にならない。と言えば嘘になる。意図的であろうと、無意識であろうと、気にしてしまっているのは間違いない。

「……木も草も伸びっぱなしでな」

「ふむ」

「至る所に雨漏りがしていて、床板が腐っているらしいんだ」

「ふむ?」

「奥に綿の入った布団やら、巻物やら本やらがあったんだが、誰も虫干ししていないこともあって、カビと埃の臭いが凄くて、せっかくの上等な布団も湿気ってしまっていて……」

「ちょ、ちょっと待ってください。奥に布団に巻物に本だって? 馬借さん、どうやってそんなことを知ったんです」

「あ。あ、いや。雨宿りさせてもらった時に、あまりにも雨漏りが酷くて、荷物も乾き物が多くて、やむにやまれず、本殿の方へお邪魔させてもらうしかなくてな。その時たまたま、本殿の奥に物置があるのを見かけて入ってみたらそういうのがあったもんだから」 

 神社に行ってみたら気のいい神様に良くしてもらった。だなんて、正直に言って信じてもらえるわけがない。

 狐に化かされたやら、河童やら天狗やらをわずかにでも信じている若旦那であっても、さすがにここまで素っ頓狂すっとんきょうに近い話をそのまま聞けるわけがあるまい。良くて、日頃の仕事で疲れているんだと思われ。下手をすれば、気が触れたとでも思われかねない。

 本当は、あの神社で一人きりの雨の神様。アオの存在を知らしめて、彼女が消えてしまわないように仕向けたいが、急いで駆けても、疲れた若者の妄言として取り合ってもらえないかもしれない。

 遠回りでも、確実な方法を取るべきだ。

「しかし、それだけのものが、よく物盗りに全部持って行かれなかったもんだ……」

「えぇ、本当に」 

 実際は、アオがその身にわずかに残った力で隠していたのだという。

 なんでも、社に来たというのに何の礼もなく社を占領するような輩たちに、そんなものを見せてやる気はない。だ、そうだ。

 宗近が布団を貸してもらえたのは、鳥居をくぐる時も、社に入る時も、本殿の目の前を借りる時にも、礼を忘れていなかったからだ。旅先で立ち寄る神社などで、その作法を教わり、覚えていて本当に良かったと思った。 

「何にしても、あのままにしていては、神様が可哀そうだ」

「まぁ、そうだなぁ……」

「とは言っても、よそ者の俺が勝手をしていいものやらと思ってな。手は出せないでいるのが現状だ」

 あくまで、雨ノ宮神社の所有者はこの町の地主だ。

 つまり、あの神社はどうあってもこの町のものであり。外から来ただけの馬借の若造が勝手を働いてしまえば、何かやっかみが起こるかもしれない。

 あの青い瞳の美しい少女神を救うために手を出してやりたくても、それは簡単にはできない。

 宗近は机に頬杖を付いて、山の方を見つめるしかなかった。

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