第4話 “わたし”

 あぐらをかく青年の前に、ピンと背筋を伸ばし、胸を張って立つ少女は、この神社に祀られている神だという。

「神……様……?」

 ぽっかりと開いた口から漏れた言葉は、そんな凡庸ぼんような呟きだった。

 この神社に祀られているということは、茶屋の若旦那が言っていた、山裾の港を荒らしたという悪霊が、この少女ということになるのだろうか。


 こんな幼い子どもの姿をしているのに。


「港を荒らした悪霊なのか?」

「何故そうなる。は、いや、わらわは神じゃ。悪鬼あっきの類などではない」

 先ほどまで威厳に溢れていた姿はどこへやら、少女神しょうじょしんは頬を膨らませてむくれる。その姿からは、港を荒らした悪霊の姿なんて、想像もできない。

「町の人はそう思っているみたいだぞ? この神社には、千年くらい前に港を荒らした悪霊が封じられて、神として祀られているって、俺は聞いたが」

「あぁ、それは……半分真実だが、半分は偽りだ」

「半分?」

 少女神はまた静かに正座をすると、何を思ったか両の手を青年の前に差し出す。

「……えっと?」

「続きの話を聞きたくば、こんぺいとうを差し出せ」

 ん。と、両手を突き出される。馬借はその様子に笑みを零しながら、また手荷物を入れている袋から、金平糖の入っている小瓶を取り出して、その両手にまた数粒乗せてやる。

 少女神は満足気にそれを手にすると、一つを口に入れる。それがなくなってから、ぽつりと話を始める。


 〇


「我は、元々この近くの村に住んでいただけのわらわだった。少なくとも、我自身はそう思っていた。だが、村の大人たちはそうは思ってくれなかったようでな」

 少女神が伏せた目が、行灯の灯りだけでも輝きを放つ磁器の様な肌が、その理由を物語っているような気がした。

 馬借の生まれた時代では、混血児はそれほど珍しくないという。長崎辺りには何人か居ると聞いている。

 日の本の国よりもずっと西へ向かった先に住む人々の肌は、上物の陶磁器とうじきのように白く、瞳は色とりどりの宝石の様だという。そしてその白い肌や瞳は子に伝わる。自分たちが親や祖父母と似たような顔形かおかたちになるように。

 千年も前に、そんなことがあったのかどうかは、馬借にはわからない。だが、目の前の少女はきっと目立つ青い瞳によって、大人たちからよく思われていなかったのだろう。

「我も後から知ったのだが、その年はたまたま、よく海が荒れる年だったという。だが、我も周りの大人たちも、海が荒れるのは海に居る神様の怒りだと思っていた。神の怒りを鎮めるために、村の娘からにえが選ばれることになった。それが、我になった」

「……惨い事を」

 馬借の喉から絞りだすように出た言葉は、千年も前の大人たちには届かない。

 神への贄という面目で、口減くちべらしをしたかったのか、自分たちと違う容姿が目障りだったのかも、今を生きる馬借にはわからない。


 目の前の少女を思っても、時は戻らない。


「そんなに酷い事ばかりでもなかったぞ。神に捧げるものだからと、できる限り肥えさせるために、今まで食べたこともないものを食べさせてもらった。服も、今身に着けている通り、こんなに綺麗な着物を着せてもらった。眉もほれ、しっかりと整えてもらって、上の方に描いてもらったのだぞ!」

 金平糖を零さないように握りしめた手は小さく。着物を見せるためにくるりと回る姿も、眉を自慢するように見せつけてくるその顔も愛くるしい幼子だ。


 そんな子どもに、贄だという言葉一つで、命を捨てさせたのだ。

 大人たちは。


「何故、汝がそのような顔をする?」

 その時の馬借の顔は、少女神にも少し覚えがある顔だった。ずっと昔に、記憶の彼方に消えかけていた顔。少女を贄として送り出した、家族を思い起こす顔だ。

「憎くはないのか? 贄にされたことが、大人たちに選ばれたことが」

「そうじゃのう……。選ばれた時も、今も憎いとは思わん。我のおかげで、神が海を鎮めてくださるなら、残していく家族の事も守れる。そう、信じておった。だから、海へ沈んで行く時もそれほど恐ろしいとは思わなんだ」


 そう語る少女神の顔は、見た目に似合わないほど達観しすぎていた。

 少女は贄になったことを、理解し、そして納得していただけだった。


「ん? なら、なんで悪霊が鎮められたなんて話になっているんだ?」

 彼女は憎んでいないと言った。贄になったことに怒りもなく。納得して、沈んで行った。

 ならば、何故悪霊だという話が出ているのか。

「じゃから、半分は真実で、半分は偽りじゃと言っておろう」

 少女神は小さくため息を吐いてから、また金平糖を口に入れる。

「我が沈んだ時に、たまたまそこを通りかかった海神わだつみ様の御使みつかい様が、我の魂を拾ってくださったのじゃ。御使い様は、我が贄として鎮められたことにお怒りになられてな……。それで、海がさらに荒れたのじゃ」

「なるほど……」

 つまり悪霊だと思われていたものは、神の御使いだったということだ。

「大変じゃったぞ。御使い様が沖まで泳いで行って、波を荒立たせ、村を飲み込む勢いじゃった」

「泳ぐ? 御使い様は魚なのか?」

「魚ではなく、竜じゃと思うが……。大きな目をしておって、白銀の身体に、真っ赤なたてがみが大変美しい姿のお方じゃった」

「ふぅん……」

「ともかく、御使い様の怒りを鎮めるためにも、我の供養の為にも社が建った」

 贄を与えたはずが、さらに荒れれば大人たちには慌てただろう。

 例え、その荒れた原因の正体が神の御使いの怒りだとしても、大人たちは幼子を、しかも疎まれがちだった子どもを贄にしたことを後ろめたく感じていただろう。

 そうして大人たちは慌てて社を建てたのだろう。贄に選んだ幼子が悪霊になって、港を荒らしたのだと、勘違いをして。

「海神様は我に選ばせてくれた。このまま死者として弔われるか、それとも、この社に住まい新たな神になるか」

「なんだって、神様に?」

「せっかく建ててもらったのだから、我が住まなくてどうする。……それに我は、ここに居たかったのじゃ。我は、母様かかさま上姉様うえあねさま下妹しもいもうとも、仲の良かった者たちを、見て居たかったんじゃ」

「……そうかい」

 故郷を、家族を思う気持ちは、一所に居付かず、馬を供にしている馬借にもある。

 幼子であれば、家族を恋しいと思う気持ちはより一層強いだろう。

 例え戻れないとしても、元の場所に居られないとしても、彼女はそれを、この社からでも見て居たかったのだろう。

 馬借が黙り込んでいるうちに、少女神の手からは金平糖が綺麗に消えていた。

 すかさず、馬借が手に持っていた金平糖の小瓶を取り出すと、少女が不思議そうに首を傾げる。

「我の話はもう何もないぞ?」

「別に話を聞きたくて出した訳じゃないさ。……そうさな、まぁお供え物だと思って受け取ってくれ」

「ふむ。ならば、我、ではなく、妾がもらい受けよう」

 そう言って両の手を差しだす少女の顔は、大変嬉しそうに笑っていた。 

「ところで、そのわらわってのはなんだい?」

「む? おかしいか? 昔、御使い様に教えられたのだが……。神であるのだから、ではなく、わらわを使うとよいと」

「うーん、そもそも今どきは我という人間も少ないからなぁ」

「ならば、どう言うのだ?」

「そうさな、俺ってのは、男が使う方が多いか。だとすると、わたしとか、あたくしとか……。って言うのが、自然かもしれんな」

「ほう。ならこれからは、我、じゃなく、もそれを使おうぞ」

 少女神は嬉しそうに、何度もという言葉を反芻はんすうする。

 青年はその様子が、何だかとても愛おしいと思うのだった。


 〇


 少女神と話し込んでいるうちに、夜は更け込んで、行灯の油も少なくなっていた。

 馬借には夜が明けてからも仕事がある。馬の世話もしてやらなければならないし、馬連れの荷運びの仕事は、町中でも需要が高い。

「俺は明日も仕事があるから寝かせてもらいたいのだが……。あぁ、でも神様の前で寝るのは失礼か……。拝殿の方使ってもいいか?」

「寝るのは構わんが、拝殿は止めた方が良いぞ」

「なんでだ?」

「床が弱くなっているとか、誰ぞが言っておった。だいぶ前に穴も開けたようじゃったな」

「なるほど……」

 昨晩の様子を見るに、雨漏りで床板が腐ってしまっているのだろう。そして、ここを一夜の宿にしようとした大人が踏み抜いたに違いない。

 そう思うと、本殿の方も割と危険だ。昨晩の雨で出来上がった水溜りの跡がまだ乾ききっていないのが、ところどころに見える。

「参ったな……」

「昨晩の様に、ここで寝れば良いではないか。我、いや、わたし……いや、神たる妾が許す」

 ふふんと、言いたげに少女神が胸を張る。

 馬借は一瞬それでも、と戸惑ったが、神自らが許しているのだと、割り切ることにした。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ここで寝かせてもらいます」

「うむ」

 馬借は寝支度をする。と言っても、本殿の雨の漏っていない床に、マントと一緒に寝転がるだけなのだが。

 それを見た少女神がある場所にない片眉を上げる。

「何をしておるのだ?」

「何って、寝るんだが……?」

「そのままでは、床で堅いだろう。布団を使え」

「あぁ、君が持ってきてくれたやつか」

「そうではない。それは上掛うわがけだろう? 下に敷く布団もあるのだ」

 そういうと少女神は立ち上がり、本殿の御神体が置かれた場所より奥の引き戸を開けた。

「付いて参れ。布団を貸してやる」

 暗闇の広がる物置へ向かう少女を追うために、彼は手近にあった蠟燭ろうそくに行灯の火を移した。

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