第3話 正体
その晩、廃墟の様な神社の本殿に足音が響いていた。
ぺたぺた……ぺたぺたペた……
その足音は、
音は軽く、足音を立てる彼女に重さがないことを示唆する。
ぺたぺた……ぺたぺたペた……ぺたぺた……
その足音は、本殿の御神体の前に寝ている人間の側で止まると、来た道を引き返す。
そしてぺたぺたという音に、ズルズルという重たい布を運ぶ音が混ざる。
音が寝ている人間の前で止まる。彼女が引きずってきた布団を寝ている人間に掛けようとした時だった。
バッと、寝ていたはずの人間が起き上がった。それに驚いた彼女はその場を動けず、起き上がった人間に腕を掴まれてしまった。
「……つーかまえた」
彼女の青いガラス玉の様な瞳と、この国ではよくある黒い瞳がしっかりと合った。
〇
馬借の青年は日が落ちるまでは港町で荷を卸す仕事をこなしてから、日が落ち切る前に昨晩世話になった神社へ一人で向かった。
世話になっている茶屋のミチさんにいなり寿司を作ってもらって、多少険しい山道を登ってきた。
昨晩と同じように礼を尽くして鳥居をくぐり。持ってきた水で、手と口を清め。拝殿を通り抜け、本殿へ進み、行灯に火を入れ、御神体であるだろう鏡の前の盃を綺麗にしてから、いなり寿司を置いた。
そして、マントにくるまり横になって、眠りについた。
フリをした。
昨晩出会った少女がまたやって来るだろうと。布団もなく寝ていれば、また布団を持ってくるだろうと考えたのだ。
そしてその考えは当たり、彼は青い瞳の不思議な少女の手を掴み取る事に成功したのである。
〇
手を掴み取る事には成功したが、本人はそこに留まろうとはしない。何としてでも、自分を捕えている人間から離れて、逃げ出さなければと暴れる。
が、彼女の抵抗は青年からしてみれば、
何せ相手は、荷運びを生業にしている大の男だ。布団さえ引きずるような少女の力で振りほどけるわけがない。暴れるだけ暴れた少女は疲れたのか、荒い息をしたまま抵抗を止めた。
男は
「この辺りの子どもなのか?」
少女は答えない。
「親は? いないのか?」
少女の顔はやはり、答えない。うつむいたままだ。
「……やっぱり、狐なのか?」
「違う!!」
少女の顔が勢い良く上がって、その青い瞳と、男の黒い目が合う。
「よかった。喋れるんだな」
男の笑顔に、少女は少し頬を赤らめてまた顔を逸らす。
男がゆっくりと手を放しても、少女は逃げることはなかった。
〇
逃げなくはなったが、友好的な雰囲気は全くない。隙あらばこの場を離れたいという気持ちが近いのか、少女が馬借の青年に近づいたり、側に座ったりすることはなかった。
狐ではないと、少女は否定した。だが狐ではないとしても、少女の見た目はこの廃墟の様な神社では異質だ。
この辺りの子どもだったとしたら、今着ている巫女装束の様な服は時と場にしても合わないし、何より小さな毛玉のような眉は見たことのない整え方だ。
親のない子であったとして、この神社に住み着いているとしても、着ているものも、肌も整い過ぎている。だが、世話を見ているような大人の気配もないし、ここまで大人がわざわざ足を運んでいるという噂も山裾の港町で聞いていない。
狐でないとしても、この世のモノではない何か、か。
考えたところで答えが分かるわけでもないと思った馬借は、供えたいなり寿司を差し出してみた。
「食うかい?」
「
つまり、いなり寿司はいらないということだろうか。
満腹では眠くなると思い、茶屋での晩飯を断っていた青年には、目の前のいなり寿司がご馳走に見える。
食べてしまおうかと悩んでいると、小さな声が聞こえてきた。
「……の甘い、もの」
「ん? なんだい?」
「じゃから! 昨晩
「甘いもの……? 金平糖の事かい?」
「こん、ぺい、とう?」
少女はこてんと、首を傾げる。その様子があまりにも可愛らしく、思わず笑みがこぼれる。
馬借は持ってきた手荷物の袋の中から、金平糖の入った小瓶を取り出した。
「これだろう?」
「それじゃ!」
少女は今にも小瓶に飛びつかんばかりの勢いだった。そのまま小瓶ごと与えてもよかったが、馬借は小さな手を取ると、そこに乗るだけの数を乗せてやった。
少女は乗せられた金平糖を一粒つまむと、行灯の灯りに透かして見て楽しんでいる。その瞳は、手にした金平糖よりも、それが入った小瓶よりも、キラキラと輝いていた。
少女は金平糖を口に入れる前に、青年に声をかける。
「汝も食べればよい」
「俺はいいよ。甘いものはそれほど得意じゃない」
「こんぺいとうの事ではない。油揚げの方じゃ。我は狐ではない。油揚げは好かぬ」
「……そうかい」
何故彼女がいなり寿司を食べていいと言うのか、金平糖を知らないのか、発する言葉が自分たちとは違うのか。
いなり寿司に手を付けるまで金平糖を口に入れそうにない彼女を待たせてまで、それらを今、問い詰めるのは、野暮というものだろう。
馬借は供えたいなり寿司を口にする。それを皮切りに不思議な少女も金平糖を一粒口にする。
口の中で金平糖を転がしながら味わっている彼女の顔は、その辺にいる幼子と変わらない顔をしているように思えた。
〇
少女は行灯の近くに静かに正座をすると、金平糖を一粒ずつ、丁寧に摘まんでは灯りに透かして楽しんでから口に入れる。食べ方も一度に齧ってしまうような食べ方ではなく、少しずつ口の中で溶かすように味わっている。
なので、馬借ができるだけゆっくりといなり寿司を食べ終えても、彼女の手にはまだ数粒の金平糖が残っていた。
食べ終わった馬借はあぐらをかいている膝に頬杖をついて、その様子を眺める。
行灯の灯りに照らされた
「旨いか?」
「うむ」
「甘いものはあまり食べないのか?」
「前はよく置いてあったが、最近はない」
「ふぅん……金平糖は珍しいか?」
「うむ! このような甘い食べ物は今まで見たことがない。昔見た、星のようで気に入った!」
「そうかい」
金平糖は馬借が生まれるよりもずっと昔ならば、珍しい菓子だった。
けれど、馬借たちが生きている時代の
星だって、晴れていれば毎晩見えるはずだ。それを『昔見た』などと言うのは、やはりおかしいと思わざるを得ない。
「狐じゃなければ、狸かい?」
「我は、狐でも狸でもない! そのような獣と一緒にするでない!!」
獣と一緒にするなということは、化け猫なんかも除外される。そうなると、さらにこの少女の正体は妖怪か幽霊か何かになるが、幽霊が金平糖などを食べることができるのだろうか。
「君が狐や狸じゃないことは、わかった。だが、小さい子供が夜中にこんなボロボロの神社に居るのはおかしい」
「……」
「ここには誰も住んでいないと、町で聞いた。立ち寄るのも、物盗りか旅人だとも。町の大人たちも、ここには長い事足を運んでいないと聞いている」
「そうじゃな」
少女は、見た目の歳にそぐわない表情で、遠くを見つめる。
その様子に、彼女が見た目通りの歳ではないと、馬借は思った。
「君は、一体何者なんだ?」
少女は手に持っていた金平糖を全て口に入れ、齧ってしまうと、すっと立ち上がる。それでも、あぐらをかいている馬借がちょっと顔をあげて見上げれば、目線があってしまう小さな少女は、すっと姿勢を正し、胸を張る。
「
先ほどまで漂っていた、砂糖菓子に喜ぶような幼子の雰囲気が一変し、崩れた姿勢で見上げているのが失礼な気がする程の気配が、目の前の小さな少女から漂ってくる。
「
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