第38話

 狭間学園パイロット科は一クラス約三十名で構成されている。

 だから、


「朝比、アオノ、シュトゥルグの三名で各十名ずつ指導する方針でいく。細かい説明や困った時は私がやる。いいな?」


 ということになった。


「はい!」


 全員が返事をすると女子生徒達が真っ先に向かったのは朝比の白式の前だ。

 やっぱりな、と言いたげな表情で男子達は白式の中の朝比を羨ましそうな目で見る。すると隣に立っているアゲハのパイロット・イリーナが、


『こら! これは授業なのです。決められた順番で並びなさい‼』


 と委員長としての責務を全うする。

 しかし、そんな指示が容易く通る訳もなく、女子生徒達は頬を膨らませてアゲハに視線を送る。


「だってぇ東雲くんに教えてもらいたいんだもーん」

「そうよそうよ! イリーナだって本当は教えてもらいたいんじゃないのぉ?」

『そ、そのような……事は……』


 アゲハはイリーナの動揺を表出するかのように両手の指を合わせてモジモジし始める。それを見た女子生徒達はニヤニヤしながらアゲハを凝視する。そんなこんなで女子生徒達が朝比を取り合うように騒ぎ始める。


 琴音はそんな生徒たちを止めようとせず、どこか楽しそうにしながら学生たちの平和な時間を見守っていた。


『ぼ、僕……男子の……とこ……ぃ……く』

「それは駄目! 絶対にだめえええええええええええ‼」

『そうですわ!』

『どうしてシュトゥルグさんまで⁉』


 バンッ! と一発の銃声が鳴った。しかも、それは人間の拳銃ではなく機構人のマシンガンだ。そして、それを撃ったのは憤怒の炎に身を包んだグレイブ改だった。


『朝比、最初の十人。シュトゥルグ、中盤の十人。残りの十人、私』


 リンが酷く冷めた口調で言った。するとクラスメイト達は足早に指示された通りに動く。


 朝比は安堵の溜息を着くとリンに個別チャンネルで話し掛ける。


『リン、助かった。ありがとう』

『朝比、守る。私が』

『うん。いつもありがとう』

『……』


 リンが黙った途端に個別チャンネルが切られた。


 朝比はリンを怒らせてしまったと勘違いし、全天周囲モニターに映るグレイブ改に「ごめん」と手を合わせる。その後は自らが担当する十名に手を焼かされたものだ。


 脚を動かそうとしているのに首をグルングルン回したり、歩いているはずが何故か逆立ちで歩行していたりして、見ている方は楽しいが、操縦している方は真面目らしい。しかし、逆立ちしながら歩行するのは初めて見た。今度やってみよう、と朝比は心の中でそう思った。


 少し気が抜けてしまったところで順番がつっかえているのに気付く。その列を作っているのは無口で人を寄せ付けないことでクラスの中で有名な眼鏡女子だ。


 名前は榊原さかきばら桜花おうか。前述の通りの性格で朝比は会話をしたことがない。


「東雲くん……私……本格的に、分からないから……その……えっと」


 一度深呼吸してから、


「一緒に乗って下さい!」


 と大声で言った。それはアリーナと言われるこの運動場に広く響き渡った。

 次の瞬間、女子生徒達の歓声が沸き上がった。


「その手があったか!」

「榊原さんズルい! でも、賢い! 私も私も‼」

「アンタさっき乗ったでしょ!」

「次、私だから早くしてー!」


 朝比は苦笑しながら白式をUSBメモリーの状態に戻した。

 ワープする形で地上に降りると小走りで桜花と訓練機の前に向かう。


「これ乗ったことないからちょっとだけ練習させて」


 そう言ってコックピットから伸びたワイヤーを掴み、自動で引き上げられ座席に座る。手際よくハッチを閉め、各部チェックを済ませて起動させる。


『下がってて、皆』


 朝比の声のトーンが珍しく低くなった。まるで大演習大会の時のように実戦仕様の声になっていた。しかし、そのことを自覚していない朝比は、以前まで普通科で行われていたシミュレーターを思い出す。コックピットの計器類や操縦桿が全く同じだったからだ。


 横向きの操縦桿。それに付けられたいくつものスイッチに触れ、苦い思い出が蘇る。言うなればこれの性能がもう少し良ければ、こんな目には合わなかったのかもしれない。逆に言えば、そのお蔭で新しい友達と仲間が出来た。


「良くも悪くもって感じかな」


 あらかたの動きを覚えるのにそう時間は掛からなかった。


 相変わらずの反応の遅さ。普通科のものよりは性能は良いみたいだが、それでも遅い。しかし、その分の動きの幅は広がった。


 全力疾走からのバク宙。朝比が訓練機で出来るだけの動きをする。僅か数分の出来事が一瞬のように過ぎていった。


「よし、何となく分かった。ワイヤー降ろすから上がってきて」

「えっと……上がり方も……」

「わかった。じゃあ一緒に上がろうか」


 桜花は俯きながら小さく頷く。実のところ彼女は整備科の生徒であるため、実技の授業より講義の方が大事だったりする。加えて、殆どの生徒は訓練機に乗った回数が極端に少なく、またその授業が本格的に進むのは三学期終盤なのである。そのことを気にしていた琴音が着任後すぐに実技を優先し、加えて整備科の者の為の特別講義会を作ったのだ。もっともこれを生徒達が知るのは放課後の特別講義の時なのだが。


 ワイヤーで降りてきた朝比は、桜花に足の掛け方や重心の乗せ方を丁寧に教えて実践させる。でも、流石に危ないということで朝比も一緒に上がる。初めてに近いこともあって徐々に上がるにつれてフラフラと揺れ始める。桜花は恐怖の余り目に涙を浮かべながら朝比に寄りかかってしまうが、朝比は冷静に重心のズレを治していく。


「大丈夫、上手くいってるから」

「う、うん」


 キュシュン、とワイヤーの引き上げが終わると桜花を座席に座らせ、自らは座席の後ろにある小さな隙間に身をやる。以前リンも同じことをしていたが、男子生徒の中でも小柄な方の朝比でも窮屈に感じる。


 よく入れたな。率直にそう思った。


「それじゃ、まずハッチを閉めようか」

「はっはい!」


 桜花は緊張しているのか声が裏返る。ついでに眼鏡がずれていることにすら気付いていない。


 ハッチが閉まると各部モニターに外の景色が映し出される。白式の球体型の全天周囲モニターと違い、画面が一つ一つ別れていて死角が少なからずある。ハッチが閉まると同時に桜花の肩が一瞬震えたような気がしたが、朝比は気のせいと思い、この狭い密室空間で指示を始める。


「立たせてみて」


 朝比はそう言って外部マイクの回線を入れる。


『ごめん皆。もう少し離れて』


 朝比が優しく言うと訓練機の近くにいるクラスメイト達が離れていく。しかもかなり大袈裟に。


「よし、立たせ方とか分かる?」

「わ、分かりません」

「そっか。あの敬語じゃなくていいから大丈夫だよ」

「ごめんなさい」


 桜花は顔を赤らめ涙目になりながら謝る。

 朝比は首を左右に振って苦笑する。


「まず機体全体のパワーを上げないと駄目だから、そこのレバーをゆっくり上げてみて。あっでもマックスまでじゃなくていいから」

「うん」


 桜花の手が少し震えている。やはり怖いのだろう。そんな桜花に朝比は初めて機構人に乗った時の自分を重ねている。まだ、白式に乗って二ヶ月ちょっとしか経っていないのに我ながら自惚れていると思う。


 訓練機が徐々に立ち上がる。それに相応してエンジンが掛かったような駆動音や少なからずGが掛かる。朝比はもう慣れてしまっているせいで何も感じないが、桜花の肩が強張っているのに気付く。だから、その肩にソッと手を置いて、


「落ち着いて、力まず優しく冷静に」


 と暖かい言葉を投げる。

 すると先程とは打って変わって膝を着いた機構人が息を吹き返したように立ち上がる。


「よし、上手く立ったみたいだ」

「初めて出来た」

「そっか。それは良かった」


 朝比はニッコリと笑いながら桜花に言った。それに応えるために振り返って桜花もニッコリと笑う。しかし、その笑顔は一瞬のうちに赤面に変わってしまった。


 無理もない。


 桜花はいつもしない表情をしてしまったことや、この狭い密室空間で振り返れば目の前にあるのは朝比の可愛らしい顔面。あと数センチで鼻先がぶつかるそんな距離に異性がいれば当たり前のことだろう。


 朝比は全く分かっていない様子で操縦桿を握るように優しく指示する。桜花にはそれを拒む理由も余力も無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る