01-07 鉄壁のリリーフ陣③

 右。5騎

 左。約10騎。


 遠くに視た排除対象者あれの軍旗と同じ緑の腕章。

 フード付きのガウンをまとい、胸当てすらない軽装だが、ほぼ全員が身の丈ほどの斧槍ふそうか抜き身の直剣、装填済の軽弩クロスボウを装備している。

 少数の追撃を想定した排除対象者麾下きかの伏兵だと察した。


 ただ率直に違和感しかなかった。


 お世辞にも大きいとはいえない乳房を隠すだけの胴衣とこの世界に似つかわしくない下着の少女。

 方や、すすほこりにまみれたぶかぶかの白衣ローブの少年。

 今の二人の見てくれを考えれば、親とはぐれて戦場から着の身着のまま離れようとする丸腰の憐れな姉弟と思うのが普通だろう。


 それを何一つ躊躇することなく襲撃する合理的な理由が思いつかない。


 排除対象者あれを奇襲したのがリリスたちであると、この短時間で特定し手配したとはとても考えにくいし、ましてや、仮に狼藉者がここを通るかもしれないとして、それが襤褸ぼろだけの子供であると誰が思うだろうか。


 あらかじめ何らかの意図をもって”砦からの脱出路としては不適格なこの岨道そばみち”を通った者を誰であろうと襲撃しろと厳命されたとしか思えない。


 心のどこかで望んでいた想定外に心根がゾクリと波立つ。


「こんなにも手厚くもてなしてくれるなんて、やっぱりちゃんと主催者に会って丁重に御礼をしなきゃいけないわね」

「だね」


 振り返る。


 三体の白光した巨人全員が一挙手一投足を合わせて振りかぶっている腕だけが見えた。次はこちらに向けて総攻撃を仕掛けるつもりだろう。精密に狙わずとも一斉掃射することで面で蹂躙してしまおうという算段か。


 とはいえ。


 今、内心に抱いている懸念に比べれば、当たらなければどうということはない、とリリスはまだ楽観できていた。

 にもかかわらず、襲撃者あれらがこの弾雨の下に平然と突っ込んでくるという異常さに比べれば。


「私たちと心中するつもりかしらね、あいつら。それか、家族が人質にでも捕らわれているのか」

「大ピンチってやつだね、リリス」


 まるで他人事のようにうそぶくブコに、リリスは軽く舌打ちで返す。


「なら、今ここでアンタを大大ピンチにすることもできるわけだけど」


 癖のついた白髪の頭上に剣呑けんのんを感じたブコはすかさず、


「……まぁ、架橋はしが落とされてないから、鞘のことを熟知しているわけじゃないのは不幸中の幸いだけどね」


 と、ポジティブな話題でバランスをとった。

 本当にさやを熟知し、鞘を狙っているのだとしたら、まずは橋を落として逃走ルートを真っ先に潰すだろう。そうでないということは、まだわずかではあるが逃げ切れる余地はある。


 しかし、架橋までの距離はまだまだ遠く、とてもじゃないが追手を撒けるほどの馬力もない。

 ならば——、


「それはそうかもしれないけど。あー、でも、やだやだ。めんどくさい」


 わざとらしく駄々をこねるように頭をゆする。

 つまり、架橋にたどり着くまで心中趣味ヒロイズム蛮勇バカ共の相手をしてあげなければならないという面倒くさく侮辱的な展開に、リリスは空を見上げて嘆息する。


 こんなクソみたいな状況をより際立たせる美しい紺青色の空だった。


 基本的に隠密作戦を信条とする鞘としては下の下の事態である。

 どこからともなく現れ、誰にも悟られず、転生者を無力化することがリリスにとっての、鞘としての、ささやかな美学であり信条ポリシーでもあった。

 排除対象者の生死の検分もできず、相手から背を向け、あろうことか有象無象に囲まれながら敗走するなんてことは屈辱でしかない。


 すると、


「リリス、一つ提案なんだけど……、」


 ブコからの神妙そうな進言に、リリスは頭をゆすりながら無言で先を促す。


「ボクをエサに使うのはどうかな?」


 あっけらかんと言ってのける。

 それはリリスの屈辱を上塗りする提案であった。


 そもそも、この感情の乏しい少年にそんな献身的精神が宿ってなどいないことはリリスのよく知るところである。それに、囮に使って稼げる時間など所詮たかがしれているし、多少取りつかれる相手が減る程度だろう。

 裏を返せば、事態がそれほど逼迫した状況だというのを改めて暗に伝えているということだ。

 言うまでもなく、そのわずかな猶予が喉から手が出るほど欲しい。


「は、冗談でしょ?」


 リリスはこの挑発に真っ向から反発する。

 これは、身内を囮に使うほど軽んじられているということに対してではなく、そんな婉曲的に言われなくとも、この状況が予断を許さぬ危機であることなど端からわかっているということに対する怒りだった。


 つまり、みなまで言うな、ということだ。


「あんたの献身には期待しないって縛りプレイしてるから、私」

「あぁ、縛りプレイならしょうがないね」


 ブコなりの意趣返しの意味合いもあるかもしれないが、本当に囮になれと言えば、きっとすんなり受け入れるだろう。それが余計に腹立たしい。


 遠回しの諫言に、とにもかくにも、その目線を真っ直ぐ前に据えた。


「そんなくっさい台詞を吐く暇があったら、さっさと何か良さげな得物でも出してくれない?」


 いつもの丸投げパターンだ、と至近者に聞こえぬぐらい小声でブコがつぶやくと、砂がまぶされた白眉をやはり「八」の字にして、


「そんな急に言われてもすぐには出せないよ。武具出すのも、それなりに場所と精神集中が必要なんだから」

「……不便なキャディバッグね」

「今のは聞き捨てならないね、リリス」


 そう言ってから、「あ」、と豆電球を灯したような表情でリリスを見上げる。


「こういうのならあるけど——、」


 ナップサックからオヤツでも取り出すようにブコが足元からヨイショと取り上げたのは、

 人の左脚だった。


「…………」


 リリスの返答はもちろんない。

 誰かの脚があぶみに引っかかっていて、そのまま気づかず走り出してしまったのだろう。

 辛うじて臀部の一部が残ってはいるが、股下と思われる付け根の関節の白がむき出しになり、真鍮製の脛当すねあてだけが見窄みすぼらしく鈍く輝いていた。幸いなことに、”元所有者”の等身がそれなりだったのか気持ち尺は長めではある。


 これが得物だと言われたリリスの表情は顎にしたたる汗粒を凍らせんがごとく冷えていた。


「……本気マジで言ってる?」

「割と」


 背後には先頭の一騎が抜きざまを狙い、斧槍を振りかぶっている。

 逡巡しゅんじゅんする余裕すら与えてくれない運命とニヒルな笑みを浮かべる少年をひたすらにリリスは心中で呪う。


「——————っっああ!!!!!」


 今までで3番目に汚い言葉でののしったリリスの言葉を、ブコは感慨深げに聞いた。

 気を取り直したリリスは側の騎兵に向かって声色を黄色に変えて叫ぶ。


「ああ、兵隊様! 一体何が起こってるんでしょうか!? 私は弟を連れて西の砦へ逃げろと母から言われまして、とにかくこの場から——」


 念のために戦場から逃げ出す何も知らない哀れな生娘の猫を被ってみる。

 が、相手はこれには意にも介さず無言のまま斧槍を振り落とす構えをみせた。


「やっぱダメか」


 間髪かんぱつ


 ブコから"得物"を取り上げたリリスは、手綱を引き寄せると同時に得物の足首を握りなおすと、並走する相手の馬にぶつかるような勢いで懐に入り込み、まだ硬直もしていない膝から上の股間部分を思い切り相手の顎にかました。


 間近でつらをみれば、頬にそばかすが残る青年兵。


 思わぬ(物体からの)クリーンヒットに大きくバランスを崩した青年兵は、そのまま落馬し道端の鋭利な岩石に顔面を強打して多分頭を割った。それを見送った次には、左からクロスボウを構えた命知らずどアホが並走しているのが目に入る。


「馬を狙ってるよ、リリス!」

「わかってる!」


 発射されたクロスボウの矢を寸でで得物の大腿部で受け止めたところで、後続の2騎バカどもが馬身の左右に入り込んできた。

 右が斧槍を振りかぶり、左が剣で刺突の構えを見せていた。


「文字通りなぶるつもりね……っ! こんの盛った変態が」


 進退極まった。

 まずは右から振り下ろされている斧を何とかしなければならない。

 どうするか。

 ならば。

 リリスの経験から基づく最適解を身体がまず選択。

 脊椎反射で大腿部の肉でそれを受け止めた。

 筋肉と骨で刃が固定される。

 ここまではいい。

 ここまではいいはずだった。

 しかし、左を受け流す手段がないことを悟り、ブコの名を呼ぶか一瞬躊躇とまどう。

 その間隙を付くように差し込まれる左の剣先が何もない腹部にえぐり込まれようかという瞬間——、


 僥倖こう災厄ふこうか。

 空から無慈悲に降り注ぐ第六波。


 周囲に降り注いだ着弾の衝撃で相手の剣先の向きがわずかに逸れたのをリリスは見逃さない。


 受け止めていた得物の大腿部に刺さった矢を根本からへし折り、折れた先端を相手の手の甲へ突き刺す。

 「ぎゃ」と声変わり間もない悲鳴をあげる相手の隙をついて剣を無理やり奪うと、胴下を蹴りとばして距離をかせぎ、屈むブコの頭上越しに右の馬の頸部へ先端を突き刺した。


 悲しげにいななきながら前のめりに倒れた馬とともに横転する兵士の断末魔が悲鳴を孕んだ爆音に掻き消える中、手をおさえて悶える左の顔面に得物のフルスイングをかましてやる。衝撃に耐えられず左も後方に落馬し、馬の後脚に蹴り上げられてから後続の数騎を巻き添えになったのを後目にして、


 火照った顔をふたたび前へ戻したところだった。


 唾をのむ。

 まず細長いものが目に入った。

 白髪の少年の脇腹にクロスボウの矢が突き立っていた。


——左!?


 もう一騎の左までは気が回らなかった。

 突き立った矢を中心に白衣が赤に染まりつつある。頭の重さを支えきれずグラりと態勢がゆらぎ、小さな体は力なく鞍から落ちていく。


「……ばっ!!!」


 こんなときにでも自分から名前を呼ぶような馴れ馴れしい関係ではない。


 なんとか、手を伸ばして、伸ばして、伸ばすが、手の先は空を掴んでいた。


 架橋はもう目の前だった。


 気づけば馬の後脚には矢が2本突き立っていた。

 なぜか右足が動かない。矢のうち1本が右足を射抜いて馬の太腿に串刺しにされていた。強烈な痛みが遅れてやってくる。


 すぐ後ろには、尋常ではない血相をした3騎が矛先をこちらに向けていて、饐えた匂いのする得物は今の衝撃でもはや使い物にならなくなっていた。馬は限界を超えているのか泡になったヨダレを口元から吹き出していて、落馬したブコがどうなったのかを視認する余裕はすでにない。


 撤退地点まで、あと、あと、わずか。


 蹄鉄が橋の材木を打ち鳴らしたところで、ついに限界に至った馬の頭がグラリと前のめりになり、そこへ、悲鳴を孕んだ光源が目前へ落ちてきて、



 リリスの眼の前は白い光に包まれた。

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