第2話 アイツ的な優しさ

下駄箱の扉を開けると、上履きは、もう無残にズタズタにされ、『ブス』だの『死ね』だの『地獄へ堕ちろ』だの、何十枚もの紙切れがなだれ落ちて来た。


「ねぇ、万優子、私は、付き合えばよかったの?」


「……それもそれで、こうなるんだろうね…」


「じゃあ…どうしたらよかったのだよ、万優子殿」


「わたくしにもわかりかねます…」


(だから…聖域侵すな…って言ったんだよ…あんの馬鹿!!)


はらわた煮えくり返しながら、矢代亜湊真の顔を思い出すだけで、何だか怒りより、悔しい気持ちが星杏の心のどこかで沈殿していた。


「私、職員室にスリッパ、借りに行ってくる」


「私も付き合おうか?」


「大丈夫」


「………そう…だね…大丈夫…そうだね。…スリッパ…」


「は?」


そう呟くと、万優子は、静々と星杏を前に見据えたまま、後ろ歩きで、手振って、ある程度離れると、くるっと姿勢を翻し、廊下をダッシュして行ってしまった。


「何あれ…」


取り残された星杏は、紙屑を拾い集めようと、屈みこんだ。紙屑を拾おうと手を近づける一瞬前、一歩間違えば、一緒に巻き込まれていたんじゃないか…と思うほど、もの凄い勢いで、その紙屑はぐしゃぐしゃに踏みつぶされた。


「きゃ!」


「くっだらーことしやがって…」


「矢代…」


「あんた、靴、24㎝で良かったよな?」


「は?」


「靴のサイズ!!」


亜湊真は、星杏に怒っているのか、この紙屑の元になった、恐らくはファンだと思われる子たちに怒っているのか、よく分からない口調で、星杏に尋ねて来た。


「あ、うん」


「ん」


「は?」


「金はいい。俺のせいだから。じゃあな。てか、これからは、こんなこと、させないから…。悪かった」


「………」


(謝ってるのか…。あれでも…)


手渡された箱を開けると、新品の上履きが出て来た。昨日、亜湊真が自分に告白した時点で、こういうことが起こると、予測していたのだと思うと、何だか、変にただ単に嫌な奴なだけではないかも知れない…と、単順に思ってしまう。しかし、亜湊真があぁは言ったものの、きっと、抑えきれない数の嫉妬がこれから星杏に向けられることは、間違いなかった。




ガラ…。


教室のドアを開けて、空気が一変したのがすぐに分かった。星杏は、少し溜息を吐いて、自分の席に着こうとした。みんな…女子の視線が今までどんなことがあっても、聖域を守って、静かに、波風立てず生きて来たのに…。初めてすきになった人にでさえ、聖域を侵したくなくて、侵されるのも怖くて、見つめるしか出来なかったのに、あんな、自信過剰の最悪な年下の男子に、あっさりと、自分の聖域を侵される羽目になってしまった。


机の中の教科書や、辞書は、総てボロボロ。ロッカーもボコボコ。南京錠も、壊されて…。中に入れていた運動着も、見事に引き裂かれていた。


(これは…アイツも想定出来なかったか…。運動着なくて…今日の体育どうすんのよ…単位…ギリギリなんだけど…)


運動着を広げて、ぼーっと突っ立っていたら、なんか、悔しくて、情けなくて、すんごく腹立たしくて…。




目の前が、ぼやけた―――…。




ボフッ!!!


「ぶっ!!」


少し、涙目になっていた星杏の顔に、何か、柔らかいものがぶっ飛んできた。


「な、何!?」


「俺が、それくらい想定して無かったと思うか?このサンクチュアリ女!!」


「矢代…?」


「「「「矢代くん!!!」」」」


シン…と静まり返っていた教室がいきなり華やいだ声でいっぱいになる。しかし、その黄色い悲鳴は、亜湊真の一括の後、反論に変わる。


「うるせー!!お前ら、今度そいつに変なことしやがったら、ぶっ〇す!!しかも、その前に、散々いたぶった後でだ!!」


「「「な、なんで!?矢代くん!!こんな何でもない子、なんですきになったの!?いつもすまして、1人気取っちゃって、可愛げも何もないじゃない!!こんな子より、いい子、いっぱいいるって!!」」」


ブチっっっ!!!!


この効果音、中々現実世界では伝わりづらいが、何故か、誰しもに、聴こえた気がした。


「そんなことお前らの知ったことか!!アホみたいに他人のことソイツの目の前で何でもないとか、可愛げないとか、よく言えんな!!お前ら!!人間舐めんな!!人間否定するんなら、人間辞めろ!!今度から、こんなふざけたことしたり言ったりしたら、俺は全力でぶっ叩くぞ!!女だからって容赦しねぇから覚えとけ!!」


バシャン!!!!


教室のドアが、思いっきり閉じて、反動で、10㎝くらい、開いた。


私に、投げつけられたのは、運動着だった。そして、教室の入り口には、辞書や、教科書、南京錠まで用意されていた。クラス中の女子が、プルプル震えて、涙を流している奴もいる。悔しそうに、唇を噛み締めてる奴もいる。すんごい、突き刺さるような視線で威嚇している奴もいる。


でも、みんな、何も出来ないでいた。亜湊真に言われたことが、相当効いたのだろう。そんな、奴らの気が知れない。こんな風に人の聖域荒らして、なのに、ヒーロー気取りで、アイツのせいなんだから、アイツのせいでこうなったんだから、アイツが私に告白なんてしてこなきゃ、こんなことにならなかったんだから、私が、アイツに感謝するいわれも、必要も、義務もないけれど…、ちょっと、新しい運動着に顔を突っ伏して、涙を、隠した…。



私のサンクチュアリを、隠すように―――…。


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