僕達紅茶友の会
僕は良純和尚の声が大好きだ。
力強いのに静かで、鬱状態の酷い時でも僕は彼の声の静かさに心が休まる。
彼は僕が彼の声を好きな事を知ってから、一層声に磨きを掛けてきた気がする。
でも僕は気を付けるべきだった。
あからさまに良純和尚の声を褒めるべきじゃ無かったのだ。
彼は自分の声の有用性に気が付いていなかった。
それなのに僕のせいで気が付いた事で、僕以外の人も彼の声に反応するか実験し観察をしはじめた。その結果自分の声が人に及ぼせる力を持つと知った彼は、本当にその声を上手に武器として使うようになってしまったのだ。
使えるものは何でも使う、鬼だ。
僕は鬼に更なる武器を与えてしまった。
良純和尚が篭絡できない人など、きっとこの世にいないだろう。
言い過ぎ?
だって篭絡できねば破壊しちゃう人なんだから、いない、でいいでしょう。
さて、坂下は良純和尚に葉子が篭絡された事はすぐに気が付いたようだ。
坂下がいつも座るソファを良純和尚は一人で独占し、坂下が守るべき女王様とくすくす囁き合っている現状なのだ。気が付かない方がおかしい。
坂下はため息をつきながら、僕の隣の一人がけソファに腰を下ろした。
それから彼は僕のアフタヌーンティーセットに羨ましそうな目線をチラッと寄越してから、いいね、と僕に笑いかけながら呟いた。
「坂下さんも朝ご飯はまだなんですか?」
「朝ご飯って概念を忘れちゃったよ」
「大変なお仕事なんですね」
「そう、大変なの」
気さくな彼は再び良純和尚に真っ直ぐに向き直り、余裕を取り戻した表情で自分の名刺を良純和尚に手渡した。良純和尚は坂下から名刺を受け取りながら、僕にひょいと右の眉毛を上げて見せた。あれ、僕は何かしました?
「百目鬼さん、お久しぶりです。改めて自己紹介しますが、私は警備部の坂下と申します。百目鬼さんの噂は本部でもかねがね聞いております次第で。先日は武本君に大変お世話にもなりまして、ありがとうございます。」
坂下は良純和尚を探りたいのか、「噂」を少々強調しているように僕は聞こえた。警視庁の田神さんに組織犯罪犯だってマークされているからかな?
「武本からはあなたに大変お世話になったと聞いています。彼の命どころか怪我一つなかったのはあなたのお陰だ。本当にありがとう」
だが、良純和尚という黒侯爵様は坂下に動じるどころかいけしゃあしゃあと好青年を演じるだけだ。彼が動じるわけがない。
「いえいえ、感謝を頂き申し訳ありませんが、松野さんの身辺を預かる者として、松野さんを初めて訪れる方々にはいくつか質問をする慣わしでして。失礼かもしれませんが、よろしいでしょうか」
「そんな事、今までやっていなかったじゃないの」
「やってましたよ。いつもは来客情報を事前に流してくれていたじゃないですか」
「あ、そうだっけ。まぁいいわ。和尚様とはあんたは初対面でも無いんだし、はっきり聞いたらいいじゃない。あなたは悪いことをする人ですか?って」
「松野さん」
葉子の発言に坂下は唖然として、良純和尚は嬉しそうにくっくと喉を鳴らした。
僕はアッと思って動じてしまった。僕は以前に良純和尚について聞かれた時、悪い事が簡単だからこそしないって、警察の前で言っちゃったんだ。
良純さんが寄こした視線の意味は、それか!!
僕があたふたしていると、魔王様の素晴らしき笑い声が響いた。
「葉子さんには適いませんね。私はもっと早くあなたのお茶のお誘いを受けるべきでしたよ。あなたは最高だ」
葉子と良純和尚は共犯者のような悪い笑顔で目線を交わしている。
僕はサンドウィッチをおいしく頂いている。あ、完璧なティーサンドだ。
「坂下さんの懸念はわかりますよ。ウチの武本が金虫警視長に馬鹿なことを伝えましたからね。何だっけ?クロ」
やはり僕が会話の仲間入りにされてしまった。けれども僕は咀嚼中だ。
「悪いことが簡単だから良純和尚は悪いことをしないって、面白いわよねぇ」
悪いことを簡単に出来そうな人だから悪いことをするはずと思われていたから、僕は否定しただけなのである。そんなに可笑しい事なのだろうか。
「それじゃあ、難しい悪い事があったらチャレンジしそうじゃないの」
葉子は笑い、僕は納得した。
そんな風に考えるのだと。
「葉子さん、難しい悪い事でも思い付いてチャレンジ出来ちゃうってことは、やっぱり簡単だということなんですよ。そんな簡単な事で犯罪者になるのって割が合わないじゃないですか」
葉子は真顔に戻り、良純和尚は爆笑だ。
「嬉しいね。クロは俺をそんなに買いかぶっていたんだ」
良純和尚は笑いながら、僕の頭をいつものように撫でてくれた。
「買いかぶるって、やっぱり悪いこと、しそう?」
そんな彼に坂下は聞き返していたが、ちょっと彼にしては間抜けそうな質問になっていた。そして良純和尚は彼にしては無害な笑顔を顔に浮かべると、法話を聞きたがる聴衆に対してするように語り始めた。
「悪い事ってなんでしょうね?私にとってこの社会も仕組みも納得のいくものですから、わざわざ枠組みを壊す必要はないでしょう?テロをする人間は、気に入らない社会を壊してもコンビニエンスストアも無くならないし、水道を捻れば水が出て、スイッチを入れれば電気がつくような当たり前が続くと勘違いしている馬鹿共だと思いますよ。一緒にされたくはありませんね」
良純和尚の答えに葉子は目を細め、うっとりとした風に納得した声で呟いた。
「あなたも面白いわよね。さすが玄人の相談役ね」
それから彼女は坂下に向き合うと手元の無線機を持ち上げた。
「これから勝利も来るようだし。坂下、あなたはもう少しここに居られるのでしょう?」
無線で調理場のスタッフに坂下のコーヒーを頼む葉子を見て、僕は咄嗟に葉子に口を出してしまっていた。お客の自分がなんとはしたない事よ。
「ねぇ、葉子さん。坂下さんはコーヒーよりも紅茶がいいかなって。坂下さんは紅茶友の会の会員三十八番なんですよ。あ、でも、今日はコーヒーの方が良かったですか?」
僕の言葉に吃驚した様子で僕に振り返り、目が合った坂下はぱっと破顔した。
「今日の君のセットはいいよね。葉っぱはなんだい?」
「ウバです」
「ミルクに合うよね」
さすが坂下、紅茶友の会会員だ。
女性会員しか認められなかった会に認められた、男性会員一号様だ。
「あんたらのそれは何のお遊びなの?」
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