第五章

松野さんと良純和尚

 僕達は不細工のケージと首輪とリード、その他の犬を飼うに必要な用品を購入して松野宅へと向かった。そんな犬連れの僕達なのに、松野葉子はおおらかに受け入れてくれた。おかげで僕は犬抱きから解放され、不細工は松野宅の応接間の片隅に置かれたケージの中でケージに閉じ込められたと不貞腐れている。


 ちなみに、不細工は「なずな」という名になったらしい。

 ペット用品を購入する際に、確認のために髙に良純和尚のスマートフォンから髙へメールをしたのだ。

 値段だけではなく、首輪やリードの写真付で。

 支払いの立て替えは良純和尚なのだから当り前だろう。


「ありがとう。お金は後で支払うから、エサやトイレもお願い。首輪は真っ赤でスワロ付ピンクのリボンがついている写真の左から二番目で、リードは首輪とお揃いのもので。なずなは女の子だからね」


 パパは初めての子にとても甘いようだ。

 ピンクのリボン付の真っ赤なリードを持つのは髙さんだって忘れていない?

 とにかく、髙の希望通りのピンクリボン付の首輪をつけた不細工なずなは、ケージの中で仰向けになって不貞腐れて眠っている。

 エサを食べて腹はぱんぱんに膨らみ、ポッコリお腹が呼吸の度に上下する様は可愛いと言えなくもない。


「勝利の相棒もやっぱり馬鹿なのね」


 今までの経過を良純和尚に語らせておいて、相変わらずの毒舌家の松野葉子は鼻で笑いながらずけずけとお気に入りの筈の楊をこき下ろした。

 彼女はボッティチェリの描くビーナスのような風貌で、内側のパワーで年齢不詳となっている美貌の女性である。

 唯一年齢を感じさせる物は銀色に輝く髪だが、それも豊かで艶やかに煌く。

 僕もこんなに美しい銀髪になれるのであれば白髪になりたいと思うほどだ。

 なれるので、あれば。


「彼とは親友ですから、私もかなり馬鹿な男なんでしょうね」


「あら、まぁ」


 良純和尚が余所行きのほほ笑みと声音で葉子に応え、葉子はそんな彼に乙女のように頬まで染めているのである。検事長を勤め上げた彼女は、今や家業のマツノグループの会長に納まっていたのではないだろうか。

 良純和尚はやはり魔王だ。


 いや、高齢女性にモテるのかな?

 彼は自宅近辺の高齢女性四人組のアイドルとして持て囃されているのである。

 ツンデレな彼は彼女達を「ババーズフォー」と呼び、常に彼女達に自分が痛めつけられ叱られているとぼやいているのであるが。


 さて、本日は物件の確認だけで殆んどの作業を「僕に」させるつもりだったためか、彼の服装は普通に僧衣である。

 しかし僧衣姿のこの彼は人の求める僧の佇まいどころか、その罰当りな程の長い足を魅力的にソファから投げ出すように座り微笑んでいる破戒僧の趣だ。

 大体僧衣の足元が安全靴ブーツとはどういうことだ。


 そしてそんな罰当たりは、葉子の注目を一身に集めながら背骨に来る低音の甘い声を出して、彼女と囁きあっている。

 まるで恋人同士のように。

 よって、この状況下の僕はこの場で全く要らない子だ。

 だが、全く平気だ。

 僕の目の前には、「ウバ」の入った紅茶セットがあるではないか。


 葉子宅に僕は先月何日か泊めてもらい、実子のように可愛がってもらった。だからかな、僕が紅茶が好きだと知って以来、茶器から茶葉まで最高級の物を彼女は僕に与えてくれるのである。

 茶器は先日訪問した時とは違うが、同等の高級メーカーのものだ。

 軽くて薄くて白地がとても美しい磁器は、なんと口当たりの良いものか。


 おまけに、今日はお昼前だけど、ケーキやサンドウィッチやスコーンなどが乗っている三段のタワー付きという、正統なアフタヌーンティーセットで持て成してくれたのだ。スコーン用にイギリス製の茶色くて苦味のある高級ジャムのマーマレードジャムと、なんと自家製のクロテッドクリームまで添えられている。


 今日という日をありがとう、良純さん。


 ミルクを入れた紅茶を一口飲み、僕は今朝から何も食べていなかったと気が付いた。ああ、体中がふわっと温まって軽くなる。


「かわちゃんや刑事さん達って、ご飯を食べないで働いているのですね」


 しみじみと僕が呟いた時、扉が開き、ハンサムで長身の男が乱入してきた。

 スーツ姿の颯爽としたその男は映画の中から出て来たみたいな風貌で、刑事ではなく警察官な人だ。

 葉子専任で本部の警備課ホープの、坂下さかした克己かつみ警部である。

 二月の部下の造反という大失態にありながら、「訓告」だけで済んだ強者もさだ。


 上司のお気に入りとも言う。


 元交通部の機動隊員だった彼は、交通機動隊隊長の五百旗頭いおきべ竜也たつや警視の懐刀と言われるほどの人物であったそうで、深追いをしすぎて未成年を事故死させた部下の失態を被って交通部を去ったと聞いている。

 そのためか五百旗頭との親交が篤いのは勿論の事、今でも交通部の隊員達に慕われているのだ。

 五百旗頭の副官の「根本さん」からは特に。


 五百旗頭を「いっちゃん」と呼んでふざけている楊によると、五百旗頭は気に入らないとバイクに乗って消えてしまう伝説があり、消えると根本が坂下に捕獲を願い出るのだそうだ。

 五百旗頭は一八〇近く身長がある筋肉質の大柄な男であり、坂下も良純和尚よりも低いが、一八〇以上はある長身に筋肉質で絞まった体格をしている。

 軍人のような颯爽とした立ち居振る舞いをする所を考えるに、上司に一歩も引かない所があるのだろうと想像できる。


 僕達は誘拐され燃え盛る炎の中に取り残された。でも僕達が生還できたのは、諦めない彼と楊がいたからこそと僕は思う。

 僕達の前に颯爽と現れた目の前の彼は、あの時の業火の中での灰まみれ姿と違い汚れ一つなく、猫毛のやわらかそうな髪は以前よりも短くなっていたが、熱風で焦げ付いたあの日のことなど存在しないかのように清潔感にあふれ、それどころか彼自身のすっきりとした目鼻立ちをも際立たせていた。


「あら坂下。私が噂の警視庁のお気に入りと密会していると聞いて飛び込んできたの?」


 妖婦のように坂下にニンマリと葉子は笑いかけ、彼女の言葉に良純和尚も反応して、それはそれは低いいい声で笑い出した。

 坂下は爽やかな笑顔を顔に浮かべたが、目元はちょっと不安そうに揺らいでいるような気がした。女王と魔王に一人で対応しなきゃは、大変だよね。

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