第一章

僕には人権が無い

 三月一日の目覚めは爆音で始まった。

 僕の隣に眠る男のスマートフォンに着信があったのだ。

 着信音も目覚まし音もそれぞれ彼の愛して止まないメタル音楽に設定しているのは、隣に眠っていた者としては非常に迷惑この上ない。


 自分のスマートフォンで時間を確認し、まだ朝の七時半前だった唸る。

 一般人には普通の朝の時間帯だが、僕は昨夜遅く現れたこの男に飲みだなんだと引きずりまわされて、床に就いたのは三時過ぎだったのだ。

 それなのに起こされたと彼に文句を言いたいが、僕にはそんな気力もなく、抗議なんて出来る身の上でないのだと溜息をついた。


 僕は鬱持ちで抗議する気力がなく、この男には大変世話になっているという恩義があるのだ。


 この非常識な男の名はかわやなぎ勝利まさとし

 神奈川県警の警部補であり、相模原東署にて捜査チームを率いている人望厚き人物である。


 事故物件サイトお薦め住宅地の物件を彼が購入した途端に、署員が我も我もと同地区の物件を購入し、事故物件住宅街が警察寮化して優良安全物件化してしまうほどである。

 刑事の力量はさておいても、彼が所轄内で人気者なのは確かだろう。

 僕は彼の誕生日のサプライズパーティのお役目を彼に名指しされたのだが、すると我も我もと彼の部下達が僕に協力してくれるのである。


 お店はここはどうか、とか、いくらぐらいの設定にしようか、など、この年で友人もいなければ飲み会も参加したことのない僕にはありがたいばかりだ。


 そんな人気者が僕の隣に眠っているのは、ここが彼の家でも僕の自宅でもなく、僕が世話になっている良純りょうじゅん和尚の自宅だからである。

 単に居候と終電逃した酔っぱらいが、良純宅の居間で雑魚寝しているだけ、だ。

 さて、僕が寄生、もとい僕を居候させてくれる良純和尚とは、債権付競売物件の売買が専門の不動産屋でもある、百目鬼とどめき良純りょうじゅんその人だ。

 寺を持たない僧侶が現世の時を生き抜くには、二束わらじは当たり前なのだ。


 そんな彼に僕が世話になるきっかけは、僕が鬱と診断されて大学を休学したからである。

 休学してもその鬱の症状から通院も出来ずに日々悪化の一途を辿っていたところ、武本家の菩提寺の住職様が紹介して下さったのが彼なのだ。

 良純和尚の知人がその住職の弟だという関係だ。


 その紹介により昨年の九月から彼を相談役としている僕の名前は、武本玄人。

 六月六日に二十一歳になる理工学部の休学生だ。だった、かな。だって、四月になったら大学生に戻るかもしれないのだから。

 僕がゲームショウに出かけた翌日に、良純和尚が僕の復学届を大学に提出してしまったのである。

 電車に乗れたのならば大丈夫だろう、と。


「ちび。お前も一緒に出るから支度して」


「嫌です」


 電話が終わったらしい楊が非常識な言葉を僕に投げたが、お断りを即答できるくらいには僕の欝は改善していたようだ。

 大学を復学できると良純和尚が踏んだぐらいは。


「早くして。眠かったら車で寝ていればいいから」


 一切僕の拒否を無視して微笑むだけの楊に、僕はノロノロと支度を始めた。

 僕が適う筈もないのだ。

 梨々子だったら、一も二もなく喜んで彼に従うだろうに。


 梨々子とは、楊の婚約者であり関東一の学力だという私立の女子高に通う女子高生で、筋金入りの楊ストーカーである。部屋には隠し撮りした楊の写真で溢れ、娘に檄甘な警察庁の偉い父親――金虫かなむし眞澄ますみ警視長まで彼の動向を抑えるために利用している。


 そしてそれほどまでに彼女を惹きつけるこの男は、今月の十四日に三十一歳になる。普通だったら高校生には年寄りすぎるだろうと思う所だが、女子高生が年の差など放り投げたくなるほどの、彼は俳優顔負けの美男子なのだ。


 短い癖のある髪が所々ツンツンとはねているからか悪戯っ子の雰囲気で、今は額に落ちているその前髪を上げれば、引き込まれそうな印象的な彫の深い二重に出会う事だろう。いや、前髪があるからこそ幼くなって今は二十代のイケ面状態。

 きっと彼が人懐こく微笑めば、絶対にどんな人も魅了できるはずだと思う。

 今のところ彼が魅了しているのが、ストーカーばかり、というていたらくだけど。

 刑事なんだからもう少し魅了する相手について考えればいいのに。


「お前達煩いよ。何しているの?」


 僕達が寝床にしている居間の襖が開き、不機嫌そうな良純和尚が顔を出した。

 楊が整っているといってもまだ人間味があるのに対し、彼は神々を模した彫刻のような完璧さだ。僕は不機嫌顔だろうが見事としか言いようのない良純和尚の佇まいに、見惚れながら溜息を吐いた。

 身長が一八〇を超えれば大柄なだけの人間だろうが、彼のスタイルは黄金律で出来上がっているのかと思う程だ。さらに、高い頬骨と切れ長の奥二重の目を持つ貴族的な容姿とくれば、ただただ茫然と見惚れる存在となる。


 しかし、完璧というものは、時には人を恐怖に落とし威圧感さえも与えるのだ。

 今がその時だろう。

 自称身長一七五の楊と一六〇の僕を、色素が薄い瞳を金色に輝かせて優しい口調ながら、見下すように威圧しているのだ。

 つまり、「てめぇら、うるせぇんだよ。殺すぞ」という文字が見えるオーラを背負っての、寝巻きに丹前を纏っている姿で仁王立ちなのだ。

 怖いことこの上ない。


 でも、彼の昔なじみで親友の楊に良純和尚の脅しが利く訳などなかった。


「しょうがないじゃん。僕刑事だもん。ちびを借りていくけどいいよね」


 平常運転すぎる。

 良純和尚には楊の申し出を断って欲しいと願いつつ、良純和尚の仕事の今日の予定が楊のものよりハードだったら嫌だなぁと、どっちが楽だろうかと思いを馳せた。

 どっちにしても僕に拒否権も選択権もないのだ。

 こんな扱いをこの二人にされていても鬱が改善するなんて、人体って凄いなぁと、僕は韜晦するだけだ。


「十時にお前の担当地域にある物件の手入れをするからさ、それまでに帰して」


 手入れといっても警察用語でなく、不動産屋なのでそのままの意味の手入れである。

 リフォームまでいかないちょっとした修繕をするのかな。

 壁紙の張替えは嫌だなぁ。

 僕の背が低いせいか高い所が一度に上手くいかなくて、イラつくのだ、良純和尚が。彼は僧侶の癖に僕よりも堪え所が無いときが多々あるのだ。


「どこ、そこ?」


 二人は僕から離れて密談をし始め、スマートフォンで地図のやりとりを始めた。

 彼らは僕に「僕を」連れまわす場所の住所を教えない。

 僕の逃亡を阻止するためらしい。

 女装してゲームショウに出かけて以来、彼らの束縛や奴隷的連れまわしっぷりが酷くなったのである。

 だったら大学への復学も無しでよくね?

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