その日が絶対ダメな理由

 俺の商談相手、ホテル支配人は武本の現在の姿を勝手に誤解したらしい。彼は嬉しそうにふふふと笑い、上品そうに紅茶を口に運んだ。

 紅茶好きなところはあの馬鹿にそっくりでもあるが、あの馬鹿の紅茶好きは紅茶よりもカップに拘っている所が見受けられる。今のようにコーヒーカップと同じような形で厚みがあるマグカップのようなカップでは、武本は眉根を寄せて不機嫌になるはずだ。


「兼用カップは駄目です。陶器もいいですが磁器が最高です。やはり紅茶のカップは出来る限り薄いつくりで大きく花が開いた形でないといけません。中国茶や緑茶と違うあの琥珀色と香りを楽しめないと、紅茶を楽しむ意味が無いじゃあないですか。コーヒーだって拘る人はカップにも拘るはずです。どんなに上手に淹れても、安いマグカップでは豆の価値が台無しでしょう」


 思い出したあいつの言葉に、俺はどうでもいいよと心の中で返しながら、手元のカップを手に取ってコーヒーを口に含んだ。すぐさま確かに残念だと感じた。厚ぼったいマグカップの口当たりのせいで、せっかくのコーヒーが台無しとなってしまっているのである。


 という事は、経営難に陥っているようにも見えるのはそれが理由か?

 俺達が話し合いをしている喫茶室の奥にレストランもあるが、昼時であるにもかかわらず客の入りが全くないのだ。

 このホテルは、未だにチェーン店でも外国資本でもなく個人経営であるからか、隠れ家的な落ち着きと居心地の良さがある。それがこの状態とは、目の前の支配人の言うとおり、あいつには商才があるのだろうか?


「それで法事の日にちなのですがね、土曜日の十二日は如何でしょう」


 目の前のホテル支配人は、フォルダーから卓上カレンダーの三月分を引き出した。そして俺に見えるようにテーブルに置くと、彼が希望する日にちを指し示す。

 それを目にした俺は、了解を相手に言えるどころか、自宅の冷蔵庫に貼られたカレンダーがフラッシュバックするばかりだ。


 赤まるでぐるぐると囲まれた十二日。

 遠足を楽しみにする小学生のようにして、ぐりぐり印をつけたあいつの姿。


「申し訳ありませんが、十三日の日曜日にお願いします。十二日は此方もどうしても外せない予定がありましてね」


 三月十二日は俺の親友へのサプライズパーティがある。

 彼の誕生日は十四日であるのだが、その日は彼の婚約者が彼を押さえている。

 よってその日に「俺をサプライズしろ」と本人が玄人に命令したのだから仕方が無い。


 友人の誕生祝を計画する、という役目を一度もしたことのない彼は喜んだ。その日からの彼は、どういう風に計画するのか、規模はどのくらいなのか、手当たり次第に人を引き込んでは嬉々として準備に勤しんでいるのである。

 あの、対人恐怖症の生き物が、である。


「土曜日がいいのですけどねぇ」


「では、前の週では?」


「いえ、週はこの週でなければいけませんのでね。こちらも色々と都合が」


「では日曜で。法事は日曜日が多いですよ。土曜日が休みの会社は多いですけどね、矢張り日曜の方が確実に親族が集まれますでしょう。今回の法事をホテル業務の一つとして今後提案されるのであれば、一般の方が望まれる事の多い曜日で実行されては如何でしょうか」


「お坊様にホテル経営を教えていただけるとは考えても見ませんでしたよ」


「差し出がましい真似を致しまして」


 俺は目の前の慇懃無礼な男に頭を下げながら、世の中の親も子供のためにこんな情けない思いをすることになっているのかと、世の中の親父達を少しだけ見直していた。

 そうだ、俺を犯罪者だとしつこく追っていた組織犯罪専門の連中、警視庁の田神班の奴らも許そう、と。

 あいつらも家に帰れば子持ちの父親ばかりだ。


 思い出して、奴らこそヤクザにしか見えない組織犯罪犯じゃないかと、彼らにされた数々を思い出してしまった。

 勝手な家宅捜査にしつこい監視?

 俺のどこがヤクザに見えるというのか。


「あ、すいません、おか、お顔をあげてください」


「何か?」


「あの、怒らせてしまったようで。も、申し訳ありませんでした。わ、私共も実は十二日を目処に動いているところもありましてね、それで十二日にお願いしたかったのです。お坊様が三月には他に法事の話がないとお山から伺っておりましたが、何か外せない御用でも?」


 勝手に俺に脅えた上に、檀家も無いお前には仕事など無いはずだろうと放言してくれた男に、お前なんか俺にとって小用だよ、と言ってやりたい馬鹿な自分がいたのだ仕方がない。俺は未熟者である。


「お話に出ました助手がですね、友人の誕生日パーティの幹事になりましてね。初めてのお使いではないですが、そんな風にあの子が必死で準備しておりまして。あの子を親から預かっている身としましては色々と応援してあげたいですからね」


「あの子への過保護ぶりは相変わらずだ」


 目の前の男はハハハっと気安く笑い声を上げたが、俺は彼の声音に少々険のあるものを感じていた。しかしそこは簡単に聞き流した。玄人は過去のいじめで記憶喪失であるらしく、その記憶を無理矢理思い出させたら死ぬという変な遺言付きのオカルト物件でもあるのだ。


 玄人の親戚連中はその眉唾を固く信じており、彼に会いたくとも無理矢理に記憶を取り戻す結果になったら怖いと遠くから彼の様子を伺う馬鹿ばかりなのである。それだけでなく馬鹿は馬鹿なりに愛情豊であり、その状況にかなりのうっ憤を抱いてもいる。


 俺は目の前の男も玄人の親族なのだろうと諒解し、今までの彼への愚行を謝罪するべく口を開こうとした。俺がいなくとも誕生会ぐらい開催できる。なにしろ、言い出した祝いを受けるべき男こそが玄人が失敗しないように影から補佐しているのだから、と。


「いいでしょう。いいですよ。十三日にいたしましょう。クロ君には頑張ってと、いや、いいか、内緒で。久しぶりで驚かせたいですから、内緒で」


「ありがとうございます。十三日にはいい顔をしたあの子をお見せできると思いますよ」


「どんないい顔になるのか、とっても楽しみですよ」

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