殺されるために飼われる家畜のように生きるのならば、何もせずとも不幸が勝手にやってくる
蔵前
序章
助手が本日不在な理由
※注1この物語はフィクションであり、実際の人物、団体、等一切関係ありません。
「今日は助手の子をお連れでないのですね。」
目の前の商談相手は俺の周囲に目線を動かして、俺が助手として連れまわしている青年の姿を探している。ホテルの喫茶室の利用者は、俺と俺を此処に誘ったホテル支配人という彼しかいない。俺の向かいに座る彼は俺の助手を妖精か何かの類だと思っているのか、今度は喫茶室の窓から臨めるホテルの庭園へと視線を動かした。
「助手がどうかされましたか?」
俺から発せられた声は、掛けた相手が仕事相手に係わらず棘のあるものだったかもしれないが、それは仕方が無いだろう。
俺が助手として使っている青年は、俺が保護しているも同然の子供なのだ。
二十歳の彼は鬱を患っているが、それだけではない問題を数多く抱えている。
まず、外見だ。いいや、なんといっても外見こそが彼を不幸たらしめている。
身長が一六〇程度の小柄な彼は、手足が長い上に痩せぎすなためか線が細い。
つまり、彼は読者モデルのような外見なのだ。
それも男性誌ではなく、女性向け雑誌の女性モデルみたいな、だ。
男なのに決して男性に見えない体形、そこに内向的な性格とくれば、自己を卑下して鬱となるのも当たり前だ。そんな哀れな程に弱々しい彼なのだからと、俺が必要以上に彼を守ろうと気張ってしまうのは仕方が無い事だろう。
俺は僧侶でもあるのだ。
けれどカバのような少々間の抜けた顔立ちの男は、俺の声音に気分を害するどころか気安そうな表情を顔に浮かべた。
「いえ、久しぶりに会いたかっただけですよ。もう二十歳ですか?利発な賢い子でしてね、成長具合が楽しみだなあって」
俺は相手の勘違いに自然と笑いが出てしまった。
俺が知っているあの子は、常に頭を下げてびくびくと世間に脅えているばかりの彼なのだから。
「申し訳ありませんが、それは別人ですよ。ウチの子は利発で賢いなんて対極の人間ですからね。真面目でコツコツなだけの普通の子です」
「またまた。あの子は、そうですね、爪を隠しているだけです。いつもそうなのですよ。亡くなられた祖父の薫陶の賜物でしょうね。彼の祖父、
「花カマキリですか」
俺はそこは彼に同調するしかないと、乾いた笑い声をあげていた。
俺の助手の筈のあの馬鹿は、俺の仕事に付いてくる代りに遊びに行っているのだが、出掛ける彼が着用していた服は男物ではなく女物、それも、ひざ丈のゴシックワンピースであったのである。
光沢のある水色のサテン地に黒糸と金糸銀糸で蔓バラが刺繍された、それはもう見事なほど恥ずかしいゴシックロリータドレスであった。そんなものを着ている彼に、違和感はまったく仕事をしていなかった。それどころかそこらの女性を凌駕するほどの美しさで着こなしていた、と苦々しく思い出す。
彼のスタイルが女性のように華奢だったから着こなせるのではない。
俺に預けられた
だがどんなにドレス姿が似合っていようが、俺は僧侶だけあって常識人だ。
どうして太陽もあがっていない朝の五時のこんな時間にそんな煌びやかな馬鹿になっているのかと、保護者として俺は彼の格好について尋ねていた。
「何してるんだ?」
「ゲームショウに行ってきます!!」
鬱で大学を休学している男が、コスプレしてゲームショウに参加するとは!!
俺は眩暈を感じながら、質問を重ねていた。
「どうしてその格好なんだ?銀髪のカツラまで被って」
すると奴は俺がなんという間抜けなんだろう、というむかつく顔をした。ぷんぷんと変な擬音も奴から出た気もするが、そのすぐ後に俺に向けた笑顔で俺は叱りつけるタイミングを失った。彼は賞状を貰った子供のような笑顔を俺に向けたのだ。
奴が手に持ったものは、賞状どころかゲームショウのチラシだったがな。
「このチラシに書かれているURLに行きましたら、なんと、ブルーローズのコスプレをしてきた人には、先着で発売予定の続編ゲームのモニターコードが与えられるって。だから、急いで、僕は、会場に向かわないと行けないのです!」
俺は彼のその言葉に、俺に車を秋葉原まで出せと強請っているのかと、今でさえ外が真っ暗な五時前であるのにと茫然としたのだが、彼は基本的に俺思いのいい子である。
一人で我が家を飛び出して、電車に乗って行ってしまったのだ。
お前は電車に乗るとパニック障害が出る鬱では無かったのか?と、俺は自宅を飛び出したあいつを駅ホームまで追いかけた事を思い出した。
全く、俺こそあいつのせいでパニック障害に陥りそうだと、俺は右のこめかみを軽く右手の指先で揉んでいた。
「百目鬼さん?」
商談中だった。
「確かに、利発かもしれませんね。突発的な行動を後先考えずに取ることもありますから」
「あら、やんちゃになったとは頼もしい」
男は嬉しそうな声を上げたが、俺の中では、やんちゃ?、頼もしい?という疑問符が俺をあざ笑う様にリフレインするばかりだった。
ドレス姿の馬鹿が腰を振って踊る姿のイメージと一緒に。
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