一歩踏み出そうとして、とっさに足を止めた。

 すぐ前が階段になっている。地下に続く階段。壁の両側に光の弱いランプが灯されていて、短い階段のいちばん下、左のほうに、また扉が見えた。


「驚いたでしょ」

 すぐ後ろで、シオリさんの声がした。転げ落ちそうになるのを、ぐいと引っ張られる。


 シオリさんは右手で私の手首をつかみ、左手には分厚い小さな紙袋を持っていた。少し高そうな、ケーキ屋さんの紙袋みたいな。


「ユウちゃん。冒険は好き?」

 答えられない。シオリさんが何を言っているのか分からない。

「地下への冒険。ワクワクするよね。ユウちゃんなら好きなんじゃないかなって」

 シオリさんは歌うように言って、私の手を引っ張り、階段を降りはじめた。空気がひやりとしてくる。


 きい。きい。


「地下への冒険の果てにはね、ユウちゃん、たいてい宝物があるよねぇ」

 先に階段を降りるシオリさんの顔は見えない。手を強引に引かれて、転げ落ちないようにするのが精一杯だ。


 きい。きい。


 階段を降りきり、シオリさんが扉を開けた。普通の木の扉で、鍵もかかっていない。

「でも、ごめん。宝物はね、ここにはないの」


 きい。


 シオリさんが扉を開けた。

 広い部屋。床も壁も天井も、コンクリートでできている。半地下、といえばいいのだろうか。明かりは蛍光灯のほか、天井近くの細長い窓からわずかに差しこむ光だけだった。

 その部屋の真ん中に、何かがいた。

 白くて、細くて、背の小さい、何か。

 たぶん、私と同じくらいの年の、何か。

 が。


 きい。きい。

 

 部屋の天井から吊り下げられている、ブランコに乗って。


 きい。きい。きい。


 無表情で。目だけぎょろりとこちらを見つめながら。


 きいきいきい。


 ブランコをこいでいた。

「これね、私の妹」

 シオリさんが、ブランコに近づく。の目が、さらに見開かれる。


 きい、きい、きいきいきい。


「私は弟がほしくて。楽しみにしてたんだ、ママに赤ちゃんができたよ、って聞いたときから。何しようか、ずっと考えてた。ボールで遊ぼう、バドミントンをしよう、サッカーをしよう、フリスビーをしようって。公園でみんなを眺めながら。でも、生まれてきたのは妹だった」


 シオリさんは小さく首を横に振った。

 役に立たないだよね、と言って。


「新しいパパとママを連れてこよう、取り替えよう、と思ったけど、私じゃ大人を連れてくるのは無理だから。もうね、役に立たなきゃ捨てるほかないかなって」

 捨てるって何。どういうこと。シオリさん、オヤゴサンに何をした。

 質問の代わりに吐き気が喉からせり上がってくる。しびれが足から胸まで走って、ふらつきそうになる。視界がせばまる。うまく息ができなくなる。


 シオリさんが、ブランコから数歩離れたところで足を止めた。が、いっそう、ブランコを揺らす。


 きい、きいきいきい、きいきいきいきい。


「よく分からないけど、最近は口もきけなくなっちゃって。その代わりに、何か言いたいことがあると、こうやってブランコを揺らすの」


 きいきい、きいきいきいきいきいきいきいきいきいきい、


「その音が、」


 きいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきいきい


「うるさくって」

 シオリさんが左手に持っていた紙袋に手を突っこみ、取り出したものでの頭を殴った。

 あっけなく、が後ろに倒れる。

 右手ににぎられていたハンマーから、ぽとりと血が落ちた。


 吐き気が強まる。目をそらす。シオリさんがつぶやく。

「まだ生きてる。しつこい」

 ごしゃ、と音がする。骨が砕けた音。

「死体、処理大変そうだな。階段があるし。のこぎりで切れないかもしれない」

 潰して柔らかくしようか。

 シオリさんの声が終わる前に、音が続いた。

 

 ごしゃ。ごっ。がつ。ごちゅ。ぼき。きい。きい。

 

 視界の端に、ハンマーを振り上げるシオリさんの後ろ姿と、ブランコに引っかかった細い足が映った。

 シオリさんが右手を振り下ろすたびに、反動で、ブランコが揺れて、


 ごり、めぎ、きい、がっ、ずぐ、ぼご、きい、どがっ、きい、がこ、めぎょ、きい、きい、めしゃっ、ずちゅ、がきっ、どちゃ、ぐちゅ、ぐちゃ、きい、きい、きい、がりっ、ぼぐっ、きい、きい、きい、きい、きい、きい、きい、


 きい。


 音がやんだ。

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