シオリさんは次の日も公園にいて、ブランコに乗っていた。ただいつもと違って、何も遊び道具を持ってきていない。

 私を見つけると、シオリさんはにこ、と笑って立ち上がり、私の手を取った。

「今日はさ、家に遊びに来てよ。一緒にお菓子食べよう」

 否応なしに連れて行かれた。表札には「赤居あかい」という字が書かれていて、そういえばシオリさんの名字を知らなかったな、と改めて思った。


 塀からのぞく部分だけでも見当はついていたけど、門を入ってみると圧倒されるほどの大きさの洋館だった。階段のある玄関ホールだけでも、うちのアパートの一階分ぶんまるごとより広い。ただ中は外から見るよりも少し古さが目立っていて、階段の手すりや床の木材が黒く光り、大きな窓があるにも関わらずどこか薄暗い印象があった。

 

 きい。


 何かが聞こえた気がした。

 金属音だろうか。先に立って歩いていたシオリさんがどうしたの、と振り返る。

「あの、なんか……きい、って音が聞こえて」

 ああ、とシオリさんがうなずく。

「玄関前の柵かな。あそこはしばらく修理してないから、風が吹くと音が鳴るの」

 お化け屋敷じゃないんだから、怖がらなくてもいいよ。シオリさんが冗談めいて言うので、私はわざと怒った顔をしてみせた。シオリさんは笑った。


 一階にあるシオリさんの部屋に入るとすぐ、シオリさんはお茶とお菓子を持ってくると言って出て行った。とたんに緊張がざわざわとお腹に走った。友達なんていない、もちろんひとの家にお邪魔したことなんてない。しかもこんな豪邸なんて。


 落ち着きなく部屋を見渡す。薄いブルーのカバーがかかったベッド。整理された勉強机。本のぎっしり詰まった本棚。冒険もののようなタイトルの小説もある。シオリさんの見た目と、冒険物語がどうも結びつかないが、外で遊ぶのが好きそうだから根は活発なのかもしれない。

 うちの家には本なんて、教科書のほかはお母さんが買った、昔ベストセラーになった恋愛小説の一冊しかない。恋愛小説に興味はないから、一ページも読んでいないし、そもそも掃除以外でお母さんのものに触ったら何をされるか分からない。

 もう一度ベッドに目を移す。テレビで見た、高級ホテルのベッドみたいだ。大の字になって寝転がりたい、と思う。そんなことはしないけど。


「ごめん、ドアを開けて」というシオリさんの声がした。言われた通りにすると、紅茶とお菓子をのせたお盆を両手で持ったシオリさんが立っていた。

 お菓子は何か白い物のかかったケーキで、シードケーキというのだとシオリさんが教えてくれた。食べたことのないもので、食べたことがないほどおいしかった。気がつくと皿は空になっていて、こぼれた破片を指にくっつけて食べたいとすら思った。紅茶の味はよく分からないが、いい物なのだと思う。


 シオリさんは私を嬉しそうに見て、「おいしかったでしょう」ときいてきた。何度もうなずくと、

「よかった。気に入ってくれて」と微笑んだ。

 その声は相変わらず優しいのに、どこか、ねちょ、と耳に貼りついた。


「親……オヤゴサン、は今いないんですか」

 気のせいだと振り払って質問する。この家には、シオリさんと私以外の話し声や物音なんてなかった。

「ああ、ふたりとも仕事で忙しいんだって。だから嬉しいんだ、ユウちゃんが家に来てくれて。遊んでくれるのも、いつもすごく楽しい。ありがとうね」


 紅茶のカップを持ったまま、シオリさんが目を細める。その表情に少しだけさびしさがあって、私は必死で言葉を探した。こっちだって、こんなすごい家に来られて、シオリさんと遊んで、おいしいお菓子を食べられて、夢みたいだ。また遊んでくれますか。またこの家に、来ていいですか。――


 きい。


 言葉を発する前に、あの音がまた聞こえた。気がした。

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