ブランコは揺れる、シードケーキはおいしい
北沢陶
①
あのブランコは、いつも耳障りな音をたてた。
きい。きい。
漕ぐたびに、小さな悲鳴のような音が降ってくる。公園の管理が良くなかったのだろう。そういえば、他の遊具も塗装が剥がれていたり、ベンチがぐらぐらしたりしていたけれど、一度も直されたことはなかった。
私が彼女と出会ったのも、その公園だった。
ブランコは私の特等席だった。ほかの子は親とボールを蹴りあったり、友達とほかの遊具で遊んだりしていて、ブランコには近づこうとはしなかった。
――あのブランコはだめ。古くて危ないから。
小さい子がブランコで遊ぼうとしたとき、そう言って母親らしい女の人が止めていたのを見たことがある。私は鉄くさいブランコのチェーンにつかまって、軽く揺れながら、その言葉を聞いていた。
私を止めるひとなんて誰もいなかった。
小学校一年生のころだっただろうか。いつものように「特等席」に座っていると、ふいに隣から声が聞こえてきた。
きい、という音とともに。
「ひとり?」
いつの間にか年上の女の子が隣のブランコに座っていて、こちらをのぞきこんでいた。長い髪とはっきりとした目鼻立ち。五年生か六年生か、そのくらいに見えるけど、声と口調が妙におとなびていて、緊張したのを思い出す。
私がうなずいたのを見て、彼女はブランコを揺らしはじめた。
「危ないんだってね、このブランコ」
「……そうみたい」
「親御さんは止めないの?」
オヤゴサン、という言葉は知らなかったが、親のことを指しているのだなとなんとなく分かった。思わず目が泳ぐ。
「あの。なんか、そういうの気にしないみたいなんで」
早口で言って、それきり黙りこむ。親と公園でいっしょに遊んだことなんて一度もない。家でだってない。
この話題には触れてほしくなかった。
そう思っているのが顔に出ていたのか、彼女はふうん、と軽く返事をし、
「私はシオリ。あなたは?」
そう言って、にこりと笑った。
「……
「ユウ。ユウちゃん。いい名前だね。少し可愛すぎるかも、だけど」
妙なことを言うな、と思うと同時に、シオリさんが立ち上がった。
「ユウちゃん。バドミントンはできる?」
「う、ううん。道具持ってないから」
「貸してあげる。待ってて、うち近くだからすぐ持ってこれるよ」
返事も聞かずに走り出していってしまった。公園から出て行くシオリさんを目で追うと、確かに公園のすぐ向かい、しかもここいらの家二、三軒分はあるだろうという大きな屋敷に入っていった。高い塀に覆われて家は二階部分しか見えないが、古びていてもきちんと手入れされていることだけは分かる。
シオリさんは言った通り、三分もしないうちにバドミントンの道具を持って走ってきた。
バドミントンはできない、と繰り返す前に、シオリさんはラケットを一本渡してきた。
「すぐにできるようになるよ」
それから私とシオリさんは、公園でたびたび遊ぶようになった。シオリさんはいろんな遊び道具を持っていた。バトミントンはもちろん、サッカーボール、柔らかいフリスビー、三輪スケートボード。どれも私の持っていないものだった。
私の欲しかったものだった。
「ユウちゃん、学校は楽しい?」
一度だけ、そうきかれたことがある。私はどうしようかと迷った。正直に言うべきだろうか。けれども、シオリさんの大きな目に見つめられると、嘘をつくことはできなかった。
「……行ってない」
それだけ返した。反応が怖かった。不登校なんだ、かわいそう、という言葉を予想して、逃げたくなった。
でもシオリさんはそうなの、とだけ言って、フリスビーを渡してきた。
「投げてみて。ユウちゃん、最近どんどんうまくなってるよ」
ふと、胸の中にある重いものがなくなった気がした。
暗くなりかけると、シオリさんは「またね」と言って遊び道具を抱え、向かいの家に駆けていく。その後ろ姿を見送っていると、私はいつもさびしくなった。早く明日になればいいのに、と、走るシオリさんの背中を見るたび思った。
公園を出、少し歩いて裏道に入る。ビルとビルの隙間にはさまるように建っている、幅の狭いアパートが私の家だった。一階の階段脇にはゴタゴタと自転車が置かれ、並んだ郵便ポストのいくつかからはチラシがあふれている。
三階まで階段を登り、鍵を開ける。狭いダイニングキッチンの奥、六畳間から物音がした。今起きたところかもしれない。
「何時?」
お母さんの寝ぼけた声が聞こえてくる。六時前、と答えると、がばりと布団がめくられる音がした。
「やだ、寝坊した! 今日タッチャンと同伴なのに」
タッチャンという男の人は知らないが、新しいお客がついたということだけは分かった。今晩は帰ってこないということかもしれない。どちらでもいい。お母さんだって、いつ帰るか連絡なんてしてこないだろう。
お母さんの化粧は二時間はかかる。ごたごたと化粧道具やヘアセットの用意がテーブルに広げられるのを背に、私はインスタントラーメンの用意をしはじめた。
「あ、私の分はいらないから」母さんの声が飛んできた。「タッチャンがおごってくれるんだ。創作日本料理。ねぇ、創作日本料理って結局なんなのかよく分かんないよね」
私は返事もせず、薄汚れたポットの中でお湯が沸く音を聞いていた。
つまんない子、というひとり言が、背中にぽとん、と当たった。
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