第3話

 翌日、僕は母に連れられ、車に乗った。

 家に帰り、母親に麦わら帽子を被った女性について尋ねてみた。僕の言葉を聞いた母は神妙な表情をすると「明日お出かけしよう」と一言だけ返し、それ以降は触れてくれなかった。


 移り移りする景色をボーッと眺める。車内にはポップな曲が流れている。高速道路に乗り、もう結構な距離を走っていた。画面に映ったマップを見ると隣接する県にポインターが映っている。一体どこまで行くのだろうか。


「お手洗いは大丈夫?」


 不意に隣にいる母親から声が聞こえてきた。もうすぐサービスエリアに到着するため聞いたのだろう。


「後どれくらいかかりそう?」

「30分くらいかな」

「なら我慢できると思う」


 僕の言葉を聞いた母はサービスエリアに入ることはせず、そのまま直線を走った。

 無言の静寂が再び訪れる。とはいえ、母と乗る時はいつもこんな感じなので、特に気にすることはなかった。


 10分ほど経過したところで高速道路を降り、一般道へと入る。降りた場所は全く知らない地域だった。記憶をなくしたキャンプ場とは距離がある地域だ。

 見たことない景色に魅了され、僕は遠くの方へと目をやった。知らない場所というのはなぜこうも心を踊らせてくれるのだろうか。


 眺めていると少し遠くの方に大きな建物があるのが見えた。車はその建物に吸い寄せられるようにどんどん距離を詰めていく。どうやら、あそこが目的地のようだ。マップを覗き、大きな建物の正体を探ることにした。


「病院……」


 小さくそう呟く。それが母に聞こえたかはわからないが、特に何も言わなかった。

 車は思った通り、建物の立つ駐車場へと入っていく。県の名前が入った病院。建物の大きさから分かる通り、県屈指の大きな病院のようだ。


 ここに一体何の用があるのだろうか。


 駐車場に車を止め、建物へと歩いていく。

 僕は久々に見る雰囲気に顔を右往左往させた。こことは違うが、川に流され意識を失った際は僕もこうした大きな病院のお世話になった。


 母はスマホを取り出すと何やらメッセージを打つ。

 それからすぐにバッグにしまい、エレベータの方へと歩いていった。僕はただただ母に着いていく。


 エレベーターに入ると8階のボタンを押す。8階の案内表を見ると、病室と記述されていた。エレベータの表示板に記載された数字は見る見るうちに上がっていく。やがて、8の数値を示し、ドアが開く。


 階に入ると目の前には一人の見知らぬ女性がいた。彼女は明らかに僕たちを見ており、母に向けて一礼をした。母もまた彼女に一礼をする。


「こんにちは」


 女性は僕の方を見ると、笑顔を見せて挨拶してくれた。

 僕は照れ臭く挨拶をした。最近は初対面の人に対して、ぎこちない挨拶をしてしまう。女性は僕の反応に嫌悪感を覚えることはなく、笑顔のままだった。


「こちらです」

 

 女性の案内の元、僕たちは歩き始める。病院の独特な匂いを感じる。館内には点滴を抱えたお年寄りや幼い子供の姿が見られる。そんな中を歩きながら僕たちは個室へと案内された。


 表札を見ると『美影 四葉様』と書かれていた。


 女性の方を覗くと僕に入るよう促す。僕は口の中の唾を飲み込むとゆっくりとドアを開けた。閑散とした空間に唯一聞こえるのは途切れ途切れに聞こえる甲高い機械音。手前には洗面台やトイレのある部屋があり、奥のほうにベッドが見える。


 足を前に出し、近づいていくとベッドで眠る少女の姿が見えてきた。

 僕は彼女を見た瞬間、瞳孔が開いていくのが分かった。綺麗に整えられた黒髪のロングヘア。白いきめ細やかな肌に小さな泣きボクロ。


 この少女を僕はどこかで見たことがある。多分、いやきっと、僕が探していた何かというのがこの少女なのだ。


「陽が記憶をなくした日、あなたはキャンプで川に流された四葉ちゃんを助けようとしたの」


 彼女に目をやっていると後ろから母の声が聞こえた。僕は母の方へは振り向かず、終始『四葉』と呼ばれた少女を見続けた。


「彼女は被っていた麦わら帽子を風で流され、川に落とした。それを取ろうと体を伸ばした時に足を滑らせ、川に落ちたの。その光景をいち早く目の当たりにした陽が彼女を助けようと川へと飛び込んだ。幸い、互いに命に別状はなかったけど、彼女だけ未だに意識を戻さない状態なの」


 そうだったのか。夢で見たあの光景は彼女の腕を掴もうとしたが、川の波に呑まれて取ることができなかった場面だったわけか。


「どうして教えてくれなかったの?」

「彼女はいつ意識が戻るか分からないの。もしかすると、永遠にこのままだってあり得る。そんな状態の彼女を陽に見せるのは流石に酷だと思ったの。陽が彼女の記憶を失くしてしまったのなら、いっそこのままの方が陽にとっては幸せじゃないのかと思って黙ってた」


「でも、じゃあ何で夢辿想起システムで僕が記憶を取り戻すことを許してくれたの。最初に彼女を見せてくれれば思い出せたかもしれなかったのに」

「そうね。ただ、本当は私も陽に思い出して欲しかったんだと思う。陽はキャンプ場で会った四葉ちゃんのことが気になっていたからね。二つの思いがあった末、陽が自分で思い出すことに託そうと思った。そうすれば、この状況を見ても受け入れてくれると思ったから」


 確かに何も知らないまま、これを見せられて思い出した場合、僕は耐えられたかといえば微妙なところだ。今は長年の末、思い出すことができたという歓喜が相まって、受け容れることができていた。


「陽くん。もう少し近くで四葉を見てあげて」


 僕の隣に来た女性が背中へ手を添える。僕は彼女に促され、少女のベッドの横にある椅子へと腰をかけた。改めて見ると、人形のように綺麗な顔をしている。僕が気になるのも仕方のないほど美人だった。


 白雪姫は王子様の口づけで目を覚ました。流石にそんなことはできない。

 今の僕にできるのは、『夢で掴めなかった彼女の手を掴むこと』くらいだろう。

 布団からはみ出した彼女の手をそっと握りしめる。彼女の体温は暖かく、それは彼女がまだ生きていることを示してくれるような暖かさだった。


 意識は戻らないかもしれない。でも、死なずに生きていてくれてよかった。

 彼女の手を強く握りしめる。君を思い出すことができたという強い思いが体に憑依したに違いない。


 すると、僕の思いに答えるかのように彼女もまた握り返した気がした。驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。

 嘘じゃないよな。そんなことを思いながら彼女の顔に目を向ける。


「四葉!」「四葉ちゃん!」


 二人の母の声が聞こえる。それに対しても答えるように彼女はゆっくりとまぶたを開いた。呆けた表情を見せると僕の方へとゆっくり顔を向ける。

 僕は彼女の目をしっかりと凝視した。彼女は僕を見るとゆっくり口角をあげた。


「待ってたよ。鳴海くん」

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【短編】夢辿想起(むてんそうき) 結城 刹那 @Saikyo-braster7

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