第2話
病院を出た僕は河川敷を散歩していた。
ずっと家に居続けるよりも外に出て、色々なものを見た方が記憶を呼び起こすためのヒントを掴みやすいのだ。
強い日差しが地面を照りつける。
ほんの少し前まで薄い上着が欲しかった程度の暑さだったが、すっかり夏本番となっていた。
帽子があって良かったと思いつつも、頭を押し付ける装置によって、頭皮がむしゃくしゃする。しかし、装置を外すことはできない。せっかくの記憶を呼び起こすための散歩なのに、暑さで取ってしまっては本末転倒なのだから。
河川敷は普段からよく散歩する場所だ。
やはり川の近くにあるもの、川の近くで起こることが僕が忘れていた記憶を呼び起こす一番のヒントになるとそう思った。
とはいえ、一年も川の近くを歩き続けて何も思い出せていないので、きっとそんなことはないのだろう。今は「思い出せたらいいな」の願望程度に川の近くを歩いている。
河川敷では多くの家族の姿が見られた。フリスビーを使って愛犬と遊ぶもの。親と子でキャッチボールを楽しむもの。川に対して、石を投げて水切りをしているものと多種多様だ。
子供たちは元気よく遊んでいる。それにつられ、父や母も笑顔になっていた。たまに父親が調子に乗ってボールを川に落とすハプニングも起きていた。
僕は彼らの様子を楽しみながら散歩する。
散歩をしているとある人物が目に止まった。川にいる魚を釣ろうと竿を手に釣りを嗜んでいるカップルだ。竿を持っているのは男性で、女性の方は彼の姿を眺めながらも川の景色に目をやっていた。
僕が気になったのは、女性の容姿だった。白色のワンピースを着飾り、サンダルを履き、頭には麦わら帽子をかぶっている。麦わら帽子にはひまわりの造花がつけられており、夏の季節を感じさせるものとなっていた。
何が気になったのかは分からない。ただ、あの女性に対して自分が何かを思ったのは確かだ。ワンピースかサンダルか麦わら帽子か、彼女の容貌だという可能性もありうる。
いつものパターンだ。何に引っかかったのかが分からないため、画像の時と同じく記憶を思い出す手がかりにはならない。
女性をずっと眺めてるが、時間のみが経過していくだけで何も思い出すことはできなかった。このまま見続ければ、怪しい人がいると警察に通報されるかもしれない。それだけは避けたい。
僕はため息をつき、散歩を再開しようと思った。
その時、突発的に向かい風が吹いた。風の勢いは強く前に出そうとした足が止まる。
「キャーーー」
すると、後ろから女性の叫び声が聞こえる。見ると彼女の被っていた麦わら帽子が空高く飛び上がっていた。麦わら帽子はまるでパラシュートを開いたかのようにふらふらと左右に揺れながら地面へと落ちていく。
女性は必死に帽子を取ろうと歩くが、明らかに帽子は川へと落ちる位置にいた。
その光景を見て、僕は目を見開いた。しっかりと麦わら帽子が川に落ちる様子を観察する。帽子は川に落ちると沈むことなくかぶる部分を下にして綺麗に浮かび上がっていた。
「わかった……」
僕は誰に聞こえるわけでもない声で静かに呟いた。
脳が疼くのを確かに感じた。僕が違和感に駆られたのは麦わら帽子だ。いや、それだけじゃない。
いてもたってもいられなくなった僕は行こうとした方向とは逆方向に足先を切り替え、全速力で駆けていった。強い向かい風は強い追い風へと変わった。
****
「先生っ!」
勢いよく扉を開けると先生を呼ぶ。先生は椅子に座りながら、口に電子タバコを口にくわえていた。
「どうしたの? そんなに焦って」
先生の呆けた姿を見ながら僕は息を整える。夏場に全力で走ったことで体力の消耗が激しい。大量の汗が体から湧いてくるのが分かった。
手を胸に当て、呼吸を整えるのに集中する。少しの間、沈黙が起こる。先生は特に何も言うことなく、僕を待ってくれた。
「先生、分かったかもしれないです。僕が失った記憶に関して」
先生は眉をあげた。加えていた電子タバコがぽとんと地面に落ちる。本当のタバコじゃなくて良かったと安堵した。先生もそれは同じようで瞬間的にタバコを拾おうとして、手が止まる。
それから何もなかったかのようにゆっくりしまうと僕の方へと目を向けた。
「本当なの?」
「はい。今からカウンセリングしていただいてもよろしいでしょうか」
「分かったわ。ここに座って」
先生はそう言うと自分は席から立ち上がり、用意を始める。
「何を見て気がついたの?」
用意しながらも先生は僕へと質問した。
「いつも通り川辺へ行っていたんですが、そこに白いワンピースを着た女性がいたんです。彼女は麦わら帽子を被っていて、それが風で飛ばされて川へと落ちたんです。その時にハッと自分の中で引っかかったように感じました」
「なるほど。麦わら帽子か。今日の画像で見せた帽子は鳴海くんが持っている帽子と同じキャップだったから感じはしたものの確信には至れなかったのね」
先生は準備を終えると僕へと手を差し伸べる。帽子を貸して欲しいと言うことだろう。僕は手に持った帽子を先生へと渡した。帽子の中にある装置を取り出すと器具へとつける。スクリーンには二つの脳の動きを表す画像が出てきた。
右側が僕が夢を見ている時の脳のメカニズム、左側が僕が散歩しているときに見た景色に対する脳のメカニズムを表したものだ。
「確かに一緒の働きをしている箇所がいくらか見て取れるわね」
「不思議ですね。麦わら帽子なんて夢に出てきた記憶はないのですけど」
「不思議なことはないわ。睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠と言うものがあって、どちらでも夢を見ているの。ただ、記憶に残るのはレム睡眠の時に見ていた夢のため、もし麦わら帽子がノンレム睡眠時に見ていたものであるならば、鳴海くんの記憶には残っていない」
「そう言うことだったんですね。なら、先生。川に飛び込む映像とかってあったりしますか?」
「川に飛び込む映像。ちょっと待っててね」
先生はパソコンを操作し、ネットから僕が言った光景のある動画をあさり始める。
「あったわ。では、装置を被ってもらっていい?」
「はい」
先ほど取り出した装置のみをはめ、先生が探してくれた動画を目にする。動画は何回も繰り返され、先生は僕が見ている間、しばらく脳の様子を観察していた。
「確かに。川に飛び込む際の脳の動きと同じ動きをしている箇所が寝ているときの脳の動きにも見当たるわ」
「やっぱり、そうだったんですね」
あのきめ細やかな肌の持ち主は女性に違いない。麦わら帽子を被っていた女性。記憶を懸命に掘り起こし、思い出そうとする。ヒントとなるものはたくさんあるのに、何故思い出せないのだろうか。
「その様子だと、はっきりとは思い出せてはいないみたいね」
「ですね。どうしたものでしょう?」
「一度、ご両親に相談してみましょう。確か家族でキャンプをしている時に川に流されたんだよね?」
「はい」
「なら、麦わら帽子や女性に見覚えはないか聞いてみるのもありかもしれないわね」
「それもそうですね。一緒にいたはずですから何かしらのことは知っているかもしれないです。ありがとうございます、先生」
「どうってことないわ。ようやくゴールが見えてきたね」
先生は僕にはにかんだ。先生の笑顔が見れて僕は心が躍るのが分かった。二年間がんばってきて良かったと思えた。
僕はその日、家に帰り、父と母に今日の出来事を話すことにした。
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