幕間の解説 1

第12話 動力集中方式と動力分散方式

 この翌1972(昭和47)年3月の新幹線岡山開業後、急行「瀬戸」の下り2号、上り1号に使われた14系寝台車は、いよいよ、東京発の九州方面行特急列車に使用されることとなった。

 「さくら」「みずほ」「あさかぜ(3往復中の1往復)」などの看板列車をそれまでの20系客車から置換し、B寝台の居住性を大いに高め、さらには車掌補の寝台設営・解体業務の効率化をもたらせた。


 この改正を機に、急行「瀬戸」は特急に昇格された。

 しかし、この列車にあてがわれたのは、従来の20系客車であった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 ここでは、B寝台車の居住性についてではなく、20系に始まる固定編成客車群の列車内動力を1両の電源車に集中させるか、あるいは複数の車両に分散させるかという点について解説する。


 いわゆる「ブルートレイン」と目された最初の車両は、20系である。

 これは、それまでの客車と異なり各車両ごとに車内電源を発電するのではなく、列車編成中の最端部に電源発生装置を設け、そこで全車両の電源を発電して各車両に供給する方式。

 発電装置がない分各車両の居住性は高まったが、乗客の使えるスペースはその分減ることになる。当時陸の王者とも称された鉄道の利用客は今より多く、1両でも多くの車両に客を乗せねばならぬ国鉄は、乗客数増と設備のレベルアップのバランスをとることを余儀なくされていたのである。


 やがて20系客車に代わる新しい固定編成客車群の投入が要求されるようになったところで、国鉄は動力集中方式を見直し、動力分散方式を採用することにした。

 その結果誕生したのが、12系及び14系客車群である。

 この物語に登場するスハネフ14型のような発電動力を搭載した客車を設け、そこから4~6両程度の他の客車に電源を送るシステムである。

 これは確かに、乗客数確保の上で大いに役立った。しかし、そのしわ寄せが一部の車両の乗客に背負わせる形になったことも確かである。


 もっとも、国鉄はこれまでにも電車や気動車のような動力装置をついている車両を現在で言う普通車はもとよりグリーン車にも充てられるまでの、車内における居住性をアップさせる方策をとってきており、客車列車の寝台車に対しても、それを応用したわけである。

 ただし、夜間に走行し、しかも横になって就寝する客に対してのサービス低下の要素までは完全に払しょくしきれていなかったこともまた一面事実であった。


 そのため、この後に登場する24系客車群では、20系同様電源車を設けた。

 要は、動力集中方式への「回帰」である。

 なおこれには、翌1972年11月に発生した北陸トンネルの火災事故も、その「回帰」に影響を与えていると考えられている。

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