第7話 真鍋弁護士の回想 2
ただ、大学を出て高文司法科に合格して裁判官に任官してからは、任地と東京の行き来で何度か二等寝台に乗車しました。
最初の赴任先、福岡でした。
三原君が西鉄監督の頃のように関門トンネルはまだできておりませんで、博多から門司港まで出て、連絡船に乗換しまして、下関から特別急行で一晩ともう一日仕事で翌日夕方にようやく東京なんて調子でしたから。
そりゃあさすがに、横になった方がよろしいわ、ってことで。
私が裁判官に任官した頃の二等寝台車は、都市部の通勤電車のロングシートと言われる椅子のような感じですが、そこはさすがにソファーみたいになっておりまして、昼は、そこで足を通路に向けて座るわけですよ。ゆったりした感じで、悪くはありませんでした。
先輩方にお聞きしたところ、明治時代の一等車や二等車の座席は、おおむねこのようなものであったとお聞きしております。そういう意味では、由緒ある座席でもあったわけですね。それが夜にはそのまま幾分引出されて下段寝台になって、上からもう一つ、上段の寝台を下ろして、それで、二段の寝台となるわけです。寝台となっても、下段はそんなに頭が窮屈ではありませんし、浴衣も常備されておりますから、快適なものですよ。
私もね、なんせ高松に戻って弁護士を始めてからは、余程のときは寝台を使ったことはありますけど、東京に行くにしても、わざわざ寝台でというのは、ちょっと気が引けましてねぇ。新幹線が来る前は、宇野駅から特急「富士」のパーラーカーに乗って東京入りしておりました。
昼間の移動は1日無駄になるかもしれんが、わざわざ横になってまで東京往復は正直たまらんからね。他には何度か岡山とか大阪方面の出張もありますけど、神戸あたりなら、高松港からフェリーで行くこともあります。一等をとっても、そう高くないですから。時間も、列車とそう変わらないですしね。
私ね、昔なら三等寝台と言われた寝台車には、先日まで乗ったことありませんでしたのや。
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この話は、今月9日にうっかり先行うPしてしまいましたが、一度公開見合わせの上、本日13日に再度うPさせていただきます。
~ 多少、修正も施しております。
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