第87話 むき出しのプライバシー 1

 そして、8月22日未明。

 論争がリスタートする。


「さて、お疲れのところ、よく眠れたのであれば何よりですな。早速、続きに参ろうではありませんか」

「はい。それに先立ちまして、まず、押さえておくべきところを抑えておくことが肝要かと思われます」

「どういうことか?」

「今回私は、むき出しのプライバシーと銘打って、昭和後期、まあ、私のいた時期と重なるわけでありますが、その頃の養護施設の子どもたちの暮らしの様子を述べようとしております。そこでまずは、そのように評するのが妥当かどうかというより、当時の子どもの側から見た様子を、私がまず述べることによって、視聴者・読者各位に事実関係に相当する情報を提供することが妥当かと思料しました」

「私ではなく、君がするということじゃね」

「はい。森川さん以上に私のほうが、その立ち位置によれば適役かと」

「それもそうですな。では、君からどうぞ」

 かくして米河氏は、自信の経験や聞き及んだ事実を適示することとなった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 これはあくまでも、昭和後期のよつ葉園という岡山市内の一養護施設での経験を中心に述べることでありますから、いくら昭和後期の養護施設という枠組の範囲内においても、一例としての価値はともあれ、直ちに普遍的な意味合いを持つにいたるものではないことを、まずは述べておきます。


 一言で言いまして、テーマにも述べました通り、当時の養護施設の生活というのは、子どもの側にしてみれば、今でいうプライバシーの概念の全くと言っていいほどない状況だったという印象を、私は持っています。

 同じ部屋に、ほぼ同世代でくくられる子どもらを入れ込み、その単位で生活をさせていく。どうしても、自他の区別がつかなくなりかねない環境でしたね。

 で、誰かいるからまあそこでいさかいじゃれ合い、それはまあこの際結構であるが、それがいったん社会に出たあかつきに、やれ寂しいのヘチマのと、そういう言葉でくくるような話をするような職員もいましたな。では、人がいれば寂しくないのかと。だからこそ、家庭をもって子どもが生まれて、などという方向にもっていけばそれでまずはめでたし万事解決とでも思っているような、そんなおめでたい盆暗職員がへらへら勤めておったと、私はそう申し上げたい。

 これは私自身の経験ではないが、尾沢氏なる児童指導員は、自立援助ホームとか何とかいうシロモノを作って、施設から社会への橋渡しみたいなことをしたいという夢をお持ちだったそうですな。

 施設の延長などをいくらやっても、無駄だろうが、ボケが!

 そう、私は思っておりましたよ。

 あんたら養護施設の職員は、群れさせることだけは掛け値なしの超一流だなと、そう言いたくもなりましたわな。

 同じ部屋に同じような子どもを入れて、それで、テキトーに過ごさせる。

 そんなところに、自ら真剣に考えて歩んでいこうという姿勢が育つか?

 馬鹿も休み休み言えと申し上げたいわ!


 こんなところで、自立した市民社会の構成員が育成などできようもなかろう。

 私は、そういう思いを当時から持っておりました。


 これが事実関係の指摘かと言われたらいささか違う気もしますが、私の偽らざる感想であるということで、あえてこの場で陳述させていただきました。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 まだ夜は明けない。

 森川氏は、対手の長年にわたる不信感と怒りを真正面から受けつつ、その内容に対する対峙法を練っていた。

 少し間をおいて、森川氏が米河氏指摘の言動内容について所見を述べ始めた。


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