第69話 生存権こそが、人の人たる所以の資本
では、申し上げましょう。
生存権は、現憲法25条1項にて規定されておりますね。いちいち文面は読み上げません。どうぞ六法なりなんなりで、いや、中学校の公民の教科書の資料欄で結構ですので、そちらでどうぞというところです。
さて、生存権という権利は、その最低限の基準とするところがどうであれ、健康であることと文化的であることが、その最低基準を図る上での要件とされておりますが、その裏となる状況をお考えいただきたい。
健康は保てず、文化的とはお世辞にも言えない生活。
そんな人生、あなた、送りたいですか?
要は、そういうことではないですか。
これは、資産と呼ぶべき性質のものとは、私には到底思えない。
じゃあ、ちょっと、言葉遊びを簡単に。
人間は、体が資本だ。~ これは、何の違和感もなく受入可能かと。
では、これはどうでしょう。
人間は、体が資産だ。~ 何か違和感を醸し出していませんか?
資産ということは、使用、収益そして処分可能な動産や不動産を言う。
それを、ひとまず資産の定義としましょう。
では、人間の身体というよりも「体」、あるいは、人間らしい生活。
それらは、今述べた資産のような性質のものでしょうか?
簿記で扱う営利・非営利を問わず法人もしくは個人事業主のあくまでも財産の範囲内の状況を示す枠組の中では、確かに、資本と言えども絶対不可侵のものではありません。減資もあれば、最後は廃業もありますよ。
それを言うなら人間だって死ねば廃業ではないかという御指摘もありましょうけれども、それは私に言わせれば、屁理屈を通り越した人非人のタワゴトですよ。
まあ、ヒトデナシはともかくとしまして、今度ばかりは、この生存権という性質の権利に関しましては、確かに平等や自由で語れる性質のものではないだけに、法に組込まれた時期が遅れました。ドイツのヴァイマル憲法においてようやく憲法レベルで組込まれたくらいですから。それまでのむき出しの自由・平等のもつ負の側面をこれで回避できる余地ができたわけです。ヴァイマル憲法と日本国憲法の共通点を考えると、いささか思うところもありますが、それはともあれ、この生存権というものが憲法施行前の言うなら「敗戦」によって生まれたことは、興味深いところではないかと思われます。
以上の点から考えますに、この生存権というものは、権利義務関係以前の人間の存在そのものを規定するファクターでありますから、権利であるからといって直ちに他の権利と同列の場所で扱えないものであります。
よって、私はこの「生存権」というものに関しては、貸借対照表上の借方ではなく貸方の資本欄に充てるべき性質のものであると思料いたしました。
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「ほう。さすがじゃな、君は。生存権は資産ではなく資本。使用収益処分する性質のものではないとは、な。なるほど、わしのほうが、目からうろこが落ちまくっておるわい。さすれば、他の権利は資産、義務は負債ということでよろしいのかね」
「基本的には、それでよろしいかと」
「じゃが、憲法で規定されるような権利義務は、ある意味企業でいう「固定資産」と「長期負債」に当てはまるような性質がありはせぬか?」
米河氏は、少し間をおいて答えた。
「森川先生の御指摘の通りです。それを踏まえて申すなら、例えば民法上の法律行為によって生じる権利や義務は、「流動資産」や「短期負債」に当てはまるものであると規定できましょう」
議論はさらに、深まっていく。
まだ、世は開けるには早い時間。それを言うなら、夜明け前もまだ遠い頃。
さらに枠組みについて述べ始めたのは、やはり、若いほうの紳士である。
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