第63話 人間は体が資本、人間性は・・・

 貸借対照表の借方にあたる社会性を資産、人間性を負債と資本に振り分けたことには、重要な意味があります。

 さて、一般には資本・今でいう純資産というのはさほど意味を持つのかと思われている節もありまして、現に会社設立時の資本金というのはさほど重要視されていないのか、わざわざ見せ金などしなくても会社は作れるような体制になって参りました。そのことの是非は、あえて問いません。


 しかしながら、こちらの社会性と人間性の貸借対照表上においては、企業における貸借対照表以上に、資本の欄は重要な意味を持った項目であります。

 なぜなら、これこそが人間性はもとより、その対手の社会性の元手となるものであり、それはひいては人間全体の器の大きさを大きくしていくための元手でもあるからです。今ひそかに文学的要素を入れはしましたが、これは確かにそうではないかと私は考えております。

 何より、負債ではなく資本すなわち元手の欄を極限まで大きくしていくことで、社会性を発揮できる元手を作るわけですからね。こちらは、企業のように金がなければ借金で引っ張ってと簡単にいくものではないですから。

 そういう意味においては、こちらでは資本の欄こそが人間形成と相まって、非常に重要な項目であるということです。

 これに対して資産の欄、すなわち借方の社会性の方はと申しますと、要は他者に対して良くも悪くも自分自身がかかわっていく中で生まれてくるさまざまな債権債務と言いますか、行いを記していくためのものです。

 例えば道端でゴミを拾い、それを近くのごみ箱に入れておいたとしましょう。

 これは、言うなら借方に「現金」もしくは「売掛金」の項目に入るような事例であります。対手の貸方には、「売上」としてその行為の対価が記される。

 そういうイメージで、御理解ください。

 企業の売掛金は余程のことがない限り、特定の個人や会社から入ってくるものですが、こちらは必ずしも同じところからである必要はない。

 何かによって対価がこちらに帰ってきたら、その時に処理できる。いささか現金や預貯金に似た性質のものであると申上げてもよいかなと。


 さて、資本の欄に当てはまるもの、それこそが、言うなら人間性の基礎基本というものでありまして、これこそ、乳幼児期に育まれていなければならないものであるところであります。

 そこはもちろん、その後の成長によって、企業で言うなら「資本金の増資」にあたるような形での増加も見込めないものではありませんが、それは言うなら先天的もしくは半先天的に養われるべきところでありますから、早めにきちんと措置をしていないと社会性において厳しいところが出てくることとなりかねません。

 

 野球選手に限らず、人間というものは生きていく上では「体=身体」が資本であるという言い方がありますが、まさに人間性というものもまた、この先天的もしくは半先天的にはぐくまれたものこそが、その人間の社会性を発揮していく上において「資本金」と言ってもいいほどの土台となり得るものであります。

 資本金であれ負債であれ、企業であればこれは元をただせば原理的には現金であるからまあこの際どちらであっても跡がよければすべて良しの側面もありますけれども、人間そのもののバランスシートにおいては、この「資本」の部分はそのような匙加減は決して楽なものではないということも申し添えておく必要があります。

 決して、後天的なものや負債におけるもので補えないとは言いませんが、補うのに苦労するシロモノとなることは、言うまでもありません。


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