第60話 アウフヘーベンの位置 4
それでは、先ほどの卵が先か鶏が先かの議論を受けまして、さらなる私見を述べさせていただきます。
私は、生まれた赤ちゃんにまず与えるべきは社会性ではなく人間性であると、そのような趣旨にて論を展開しました。これに対して森川さんは、赤ちゃんに人間性を与える大人の側の人間性はもとより、社会性についてまずはきちんとしたものを持っておく必要があると論を展開されました。
ここは確かに、御指摘の通り、卵が先か鶏が先かの議論が大枠において成立しておりますね。育つ赤ちゃんの側にまず必要なのは人間性、こちらを卵が先ととらえるのであれば、それを与える大人の側の社会性を問うのは、鶏が先であるという論であります。鶏あってこその卵という趣旨であります。
まさに典型的な、卵が先か鶏が先かの議論ですね。
さて、それは第三者が客観的に見た場合の鶏卵論争としては的を得た枠組での議論とは思われますが、改めて、赤ちゃんではなく今度はその子がある程度以上成長していく過程においてどうなのかと、そういうことになりましょう。
結論から言えば、社会性と人間性のどちらが先というのはある意味ナンセンスな議論かもしれませんね。
ましてや、成長段階のどの地点においては、どちらがどれだけということを一般化して述べることは、まずもって不可能ではないかと思われます。
ここは、一般的なモデルを出しての議論も有効化とは思われますが、実務的な側面を見るには、まず、先ほどの鶏の側からすれば、卵となる者の現状をしっかりと把握するべきではないかと考えます。
卵となるのは、目の前の子ども、一人一人です。
自らの子や親族の子である場合もあれば、他人の子である場合もある。
それはこの際、大した問題ではありません。
その子ら一人一人の置かれた状況、その結果今のその子の状態を見極めることが、何より第一の仕事ではないですかね。
その上で、どのような点が欠けているのか、どのような点に優れているのか。
そこを見極めていくことです。
とはいえ、そんなことも満足にできもしないのに、「全人教育」などと大それたことを述べるとりわけ教育関係者には、正直、呆れております。児童福祉関係者にしても、その点は大いに意識をもって肝に銘ずべきところではないでしょうか。
高校や大学の受験をもって身を立てていくべき、その瀬戸際にいる者に対して、やれ家庭が素晴らしいのわが子がかわいいだの、そんなことを述べて相手の時間を奪うなど、言語道断!
目的に対する手法として、全くかみ合ってもおらん!
そこで、人間としてよければなどとホザいて気休めにもならん弁を述べておったようですがね、その御仁は。何を考えていたのでしょうか。
これなどは、テメエの能力のなさを人間性でごまかそうとする行為であり、決して認めるわけには参りませんよ。
こんな体たらくで、何かと何かをぶつけてアウフヘーベンなんか、もとよりおぼつきませんわ。強いて言えばそれは、低次元の迎合を求めているだけの話です。
アウフヘーベンできないというなら、せめて受験に必死になっている青年を「正」とみなして、その対立概念的な「反」と扱えるかと言えば、それも無理。
では、青年が成長していくうえでの「正」の命題となり得るか。
そこは、ある意味なり得るかもしれない。
そのような低次元の「人間性」を否定し、「社会性」の視点で認められるものをぶつけていくという、弁証法的な手法のたたき台にはなるかもしれない。
だが、それにしても、ねぇ・・・。
なんか愚痴になってきましたので、ここでいったん止めますね。
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