第3話 その前に、ひとつ。

 ところで米河君、あなたにもこれをお聞きしてみたくてな、ひとつ、御意見を伺いたい。この話において、論点足り得るところであろうから。

 私がよつ葉園の園長をしていた末期、昭和45年頃でしたかな。

 あなたがまだ、1歳くらいの頃のお話です。

 東先生の文章などで既に御存知と思われるが、私はふと、あることに思い至った。


教育勅語


 あなたは全文を読まれたかどうか知らんが、どんなものかは御存知であろう。

 教育の現場では「破棄」されて久しいが、私はね、この教育勅語の精神こそが、日本の教育の根本であると、かねて思っておった。今でも、思っておる。

 そこで私は、東先生にお尋ねしてみた。

 この教育勅語の精神を普及する国民運動を、よつ葉園の地から起こしていきたいと思うが、おいかがかと。

 東先生は、とっさのことで賛成とも反対とも言えないと、保留にされた。

 その後、当時指導員3年目の大槻和男君にも尋ねたが、この地でそんなことを始められたら、無駄に法的な問題点も起こしかねないと、そんな趣旨で、やっぱり反対とまでは言わないにしても、保留的な扱いを受けた。

 さらにあの大宮哲郎さんにも何年か後にその話を申し上げたら、やっぱり、そんな場所でやるべきではないよと、呆れられてしまったよ。さすが、天下のO大学のそれも法科での方は、違うわ。あ、君もだったな。まあええ。

 哲郎君のすごいところは、この後。ただし、よつ葉園の枠を外れて森川一郎個人でやるなら話は別だよ、ってな。あとはひとしきり、憲法の解説も加えて、法令の「但書」のような回答がついてきたわ(苦笑)。


 さて、今度は米河清治君、あなたにお尋ねしたい。皆さんにお尋ねした時期からは半世紀以上たっておるけれど、君も是非、この問いに答えていただきたい。

 基準は、今のこの時代で構わない。むしろ、それでお答え願いたい。

 教育勅語の精神は、今の教育に必要なものか。全文そのものが無理でも、せめて、その精神を復活させてほしいと私は思っておるのだが、おいかがですか?


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 米河氏は、森川氏の質問に、さして意外な感じを抱いていない模様。

 彼は、現代っ子らしい答えを出してきた。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 教育勅語の全文を復活させよということに関しては、内外情勢を考えて、今さらという感もありましょう。それは、内容以前の問題で得策ではないと考えます。

 次に、その精神を復活させるという点につきましては、必ずしも反対ではありません。もちろん忠君愛国などと、わざわざ無駄ないさかいを起こすべくして起こすような言葉を織り込む必要はありませんし無論すべきではない。

 しかし、その内容を改めて精査し、今の言葉で、教育勅語という先人によって紡がれたものを改めて世に問うことで、今どきのさまざまな問題を解決していく上での羅針盤たり得る要素は大いにあるのではなかろうか。

 このように、私は考えます。


 そう申しておりまして気付きましたが、教育勅語制定時の家族・親族像、教育勅語廃止後の、それぞれ典型的な家族像に加えて親族像、そして、現在の家族や親族の実態というものを相対的に分析することが肝要でないかと思料いたしました。

 なお、現在の家族の実態と申したのは、旧厚生省の典型的家族像がもはや破綻に近い状態に瀕しているという認識から申上げていることを申し添えさせて頂きます。


 教育勅語の精神と児童福祉のあるべき姿において、森川さんは、何か接点と申しましょうか、そういうものを意識されておられるのでしょうか?


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 米河氏の質問を込めた分析結果を、森川氏は黙って聞いている。

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