いよいよ、開戦! 鋭い対立軸の挟間から

第2話 ついに、討入?!

 2023年5月8日・月曜日の未明。

 朝4時過ぎ。

 米河清治氏は、土曜日の津山出張を終え、自宅に戻っている。

 目は冷めているが、体力温存を期して、横になったまま。

 思考するともなく、眠るともなく。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


「さあ、米河清治さん、そろそろ、始めましょう」

 かの老紳士が、やってきた。

 赤穂浪士の討入りのような意気盛んな感じでもなく、淡々とした様子。

 迎えた米河氏も、そこはさほど変わらない。

 来るべきものが来たかという感じである。かの極東国際軍事裁判で絞首刑判決を聞いた東条英機元首相のような、そんな雰囲気さえ漂わせている。

「望むところです。受けて立ちます」


 一通りあいさつの後、話を切り出したのは、米河氏の方だった。

 これは、最初の論点を提示するとともに、その現場ルールの提案でもあった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 本日よりいよいよ開戦と相成るわけですが、昨日の津山線の倒木と大雨の影響によるダイヤの大幅乱れを理由に遅延とか、そんなことをまぶして逃げるつもりはありません。まあ、隠れたところで、追って来られるのがオチですけどね。

 さて、まず一番に述べねばならんところは、やはり、この論点ではないかと。


養護施設における職員と児童と、典型的な核家族家庭における親子の関係


 この比較によって、論ずべきであると思料いたします。

 単に養護施設の職員と児童の関係を云々するだけでは、自分のことをああだこうだとわめいておるだけに過ぎない。しかし、それとパラレルな関係性を持っているのは何かと考えまするに、旧厚生省が半世紀以上前に作った、典型的な家族像、これは大家族ではなく核家族となりましょう。

 せっかくですので、このような典型家庭を意識して論じたい。


勤労者である父親と、専業主婦の母親、それに、両者の子2名。

子どもの性別等は不問。

ただし、論じ分けが必要な場合は、この限りでない。


 私が今しがた述べた典型的家族像を反面状況と目した上で、養護施設という場所における職員と児童の関係を論じていくことが、肝要ではないかと思われます。

 ここまで申してふと思いましたが、この典型的な核家族像、まさに、よつ葉園の大槻和男前園長と前夫人の御家庭の昭和末期の姿と全く同一ですね。

 これなら、いいロールモデルともなりましょう。


 おいかがですか、森川さん?


・・・ ・・・ ・・・・・・・


「そうですか。そのご提案はありがたい。施設ばかりに照準を絞っていくら述べてみたところで、理解されない可能性もある以上、そういう典型的な、誰でもおおむね予想のつくモデルを提示して論ずるのは、大いに結構である。それで、参りましょう」

 森川氏は、この提案にあっさりと応じた。

「そうです。この手の論争をするにあたり肝要なことは、対象を論ずる上で対象となるものの相対化であると思料するためであります」

「そうであろうと思った。貴殿の発想は、すでに読めておるからな」

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