第44話 とある物語の結末
青年の目の前に、ある光景が広がる。
それはゴブリンが日向ぼっこをする風景だった。
大人のゴブリンたちが我が子を囲んで、呑気に日の光を浴びている。
家畜を襲い、盗みを働く醜悪な存在として知られる彼らが、こんなにも愛くるしく思えるなんて。
また別の光景が映し出される。
人型の爬虫類が大きな卵を大事そうに抱えている。
おそらく卵を産んだ母親だろう。
夫と思われる者が妻の頭を優しく撫でている。
どうやら二人は夫婦のようで、卵が孵るのを心待ちにしているらしい。
いったい何故、このような光景が目の前に現れたのか。
青年はすぐに察した。
杭を握った時に感じたあの感覚。
少女が使った上級の鑑定魔法が発動した時と同じ。
少女はダンジョンに入る前、急に体調を崩していた。
おそらく彼女は鑑定魔法を使って見てしまったのだ。
杭に刻み込まれた忌まわしい記憶を。
それから、青年の前に恐ろしい光景が映し出される。
生きたまま身体を串刺しにされる魔物たち。
人間の手によってとらえられ、呪いを完成させるための生贄として血を捧げる。
術者である師匠の顔が目の前に映し出された。
醜悪で、不気味で、おぞましい。
師匠は両手で槍を握りしめ、魔物たちの身体を貫いて行く。
流れ出た血液は一本の杭に注がれていく。
その杭に込められた想い。
死にたくない、助けて、生きたい。
今生に縋りつく魔物たちの想いが、青年の脳裏を駆け巡っていく。
命を奪われることが、こんなにも苦しくて、悲しくて、切ないなんて。
胸を貫くような感情の波に、青年はすっかり打ちひしがれてしまった。
少女はこの光景を目の当たりにして吐いたのだろう。
無理もない。
「ぎぎょおおおおおおおおおおおおおお!」
死体かつぎの叫び声で正気に戻る。
たとえ杭にかけられた呪いの記憶が青年の心を蝕んだとしても、この手を止めてはならない。
母体が地上へと出れば、多くの犠牲がでる。
ここで仕留めなければ――!
青年は杭を突き立て、ハンマーを振りかざす。
カン、カン、カン。
ダンジョンに杭を打つ音が響き渡る。
辺りは異様な緊張感に包まれ、炎は勢いを失う。
青年の脳裏には呪いの記憶が再生される。
魔物たちの日常と破滅の時。
気が遠くなりながらも杭を強く握りしめる。
カン、カン、カン。
すっかり静寂に包まれ、杭を打つ音が響く。
母体を救おうとする者はもういない。
杭が少し、また少しと食い込んでいくたびに、母体は苦しそうに身を震わせて叫び声をあげる。
青年は振り落とされまいと必死にしがみつき、なおもハンマーを振るう。
カン、カン、カン。
あと一押し。
そこまで来たところで、また記憶が再生された。
映し出されたのは……自分?
幼かった頃の自分の姿がそこにあった。
どうやらこれは師匠の記憶のようだ。
『いいかい? 杭を打つときはしっかりと握って。
絶対に最後まで手を放すんじゃないよ』
『……はい』
葬儀屋としての手ほどきを教える師匠。
幼いころの青年は、おぼつかない仕草で生肉に杭を打つ。
何度も失敗しながら、ようやく成功した青年の頭を、師匠はやさしく撫でた。
『その調子さ。頑張りな』
師匠の暖かい気持ち。
あの人が向けてくれたのは、本当の愛情だったんだ。
上辺だけの取り繕ったものではなく、本物の――
『さぁ、気合を入れな!
捕まったら魔物の餌食になっちまうよ!』
『何をやっているのさ。
アンタならこれくらい朝飯前のはずだろう?』
『いっぱしに口を利くな! 半人前のくせに!』
『人生、悪いことばかりじゃないよ。
生きてさえいればきっといいことがあるはずさ』
『あんただって、いつかこうなる。
死から目を背けたらいけないよ』
師匠とのやり取りが次々と目の前に映し出される。
少しずつ成長していく自分の姿。
師匠はどんな時も傍に寄り添い、見守ってくれていた。
知る由もなかった心の内。
愛で満たされた真っすぐな思い。
青年の目に涙が浮かぶ。
『ああ……これでお別れだね』
ついにあの時の光景が映し出される。
目の前には冷たい表情で杭を握りしめる青年の姿。
今まさに師匠を看取ろうとしているのだ。
『せめて……せめてあと少し。
あと少しだけもって欲しかったね。
せめてこの子が一人前になって幸せになる姿を、
見届けたかったんだけどねぇ……口惜しや』
師匠の言葉。
最後の時にあの人は何も言わなかったはずだ。
師匠の心の中の言葉が聞こえる。
『ああ、アタシの愛しい子。
どうか幸せになっておくれ。
最後のその時まで精一杯……生きな。
強く強く、生きておくれ。
生きろ……生きろ!』
生きろ!
強く、強く青年の心の中で響き渡るその言葉。
彼の胸に炎が灯り、熱く、熱く闇を照らす。
「師匠……あなたは……!」
滲んだ涙がほほを伝ってしたたり落ちる。
青年は振り上げたハンマーを力いっぱいに振り下ろした。
カン!
最後の一発が杭を死体かつぎの急所に深々と打ち込む。
耳をつんざくような悲鳴を上げる母体。
青年の耳には悲鳴ではなく、別の声が聞こえた。
『イキタイ……ソトヘデタイ。
セカイ、セカイヲ、ミタイ。
ジユウナ、セカイヲ……』
この声の主が誰ものなのか分からない。
だが青年はそれが死体かつぎの母体のものだと確信する。
この魔物も必死に生きようとしただけなのだ。
魔王の手によって生まれた命は、短い物語に幕を下ろした。
青年はふぅとため息をつく。
「アナタの命、確かにお預かりしました」
そう言って、絶命した死体かつぎの頭を優しく撫でるのであった。
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