第41話 私は死んだりしません

「……がっ……ぎっ!

 ぐぎゃあああああああああああ!」


 悲鳴を上げたのはハンスだった。


 ごろんとたくましい腕が無造作に転がる。


「なっんでぇ⁉ どうしてぇ⁉」


 腕を切り離されたハンスは困惑し、冷静さを失う。

 身体の一部を欠損した衝撃と痛み。

 そして圧倒的な恐怖。


 目の前にいる得体のしれない存在に、ただただ戦慄して恐れおののくばかり。


「ハンスさん……ごめんなさい」


 青年の右手は赤く染まっている。

 衣服にも大量の返り血。

 深紅に染まったその顔は、とても寂しそうな表情を浮かべている。


 少女は青年が武器を隠し持っているかと思ったが、どうやら違うようだ。

 彼は剣もナイフも手にしていない。


「ばっ……化け物ぉ!

 ひやあああああああああ!」


 先ほどまで勝ち誇っていたハンスだったが、もはや戦い続ける力は残されていない。

 ちぎれた腕の傷口をかばいながら、尻を地面についたまま後ずさる。


「逃げろぉ!」

「化け物だぁ!」

「殺されるぅ!」


 冒険者たちはハンスが簡単に倒されたのを見て逃げ出していった。

 やはり彼らの目にも青年の姿は化け物として映るようだ。


 父親と同じ。


 人の身体を素手でバラバラにする化け物。

 おぞましい、存在すら許されぬ悪しき者。

 それが勇者の血を引く者の正体。


 きっと少女も冒険者たちと同じように思ったことだろう。


「あの……いったい何が?」


 状況を飲み込めなかった少女が尋ねると、青年はゆっくりと視線を彼女の方へ向ける。


「引きちぎったんだ」

「え? 素手で、ですか?」

「そうだよ……僕の身体には勇者の血が流れている。

 人だって簡単に殺せてしまうんだ」

「へぇ……そうなんですか」

「……え?」


 なんとも気の抜けた返事に面食らう青年。


「あの……ねぇ、見てた?

 僕が力加減を間違えたら、

 君だってあんな風になるかもしれないんだよ?」


 青年はいまだ立ち上がれずに苦しみ悶えているハンスを指さして言う。


「大丈夫ですよ、すぐに治せますし」

「え?」

「見ててくださいね!

 切り離された腕はどこかなぁ?

 あった! これですねー!」


 地面に転がっている腕を拾い上げ、ハンスの傷口にくっつける少女。

 それから詠唱を始め、治癒魔法を発動すると、瞬く間に切り離された身体が元通りになった。


「ほら! できました!」

「ええっ……」


 あまりの早業にドン引きする青年。

 彼女も彼女で、規格外の存在であった。


 身体が元通りになったハンスだが、恐怖と衝撃、そして出血のため、完全に正気を失っている。

 ぶつぶつとうわ言を呟いていた。


「だから安心して下さい。

 私は死んだりしません。

 魔法で治せますから!」


 そう言って屈託のない笑みを浮かべる少女。

 彼女の顔を見ていると、すっかり心が軽くなっていくように感じる。


 今まで自分が憂いていたことが急に馬鹿らしく思えた。


「それに……

 私を育ててくれた冒険者も全員勇者の血統でして。

 仲間同士でケンカしたら酷い怪我になって。

 毎回、泣きながら私が治療してたんです。

 いやぁ、大変だったなぁ!」

「そっ……そうだったんだ」


 彼女からしたら勇者の力なんて見慣れたものなのだろう。

 目の前で人間の腕を引きちぎって見せたくらいで動揺したりはしない。


「その……じゃぁ、僕のことは……」

「まったく怖くないです!

 むしろすごくカッコよかった!

 素敵でしたよ!」

「あっ……ありがとう……」


 褒められて照れくさくなる青年。


 少女のあまりに無茶苦茶な思考回路に振り回され、自分自身もおかしくなっているように感じる。

 でもまぁ……このまま変になっちゃってもいいかなと、青年は考えることを放棄しつつあった。


 今はとにかくバカになりたい気分だった。


「あの……地上へ戻ったら教えてくれますよね?」

「え?」

「名前ですよ、名前」


 しつこく名前を教えろと要求する少女。


 彼女の興味は青年が持つ勇者の力よりも、いまだ明かされぬ名前であった。

 驚異的な勇者の力に恐怖することもなく、むしろそれがどうしたと言わんばかりの態度に青年はすっかりほだされてしまった。


「うん……分かったよ。

 でも、地上へ戻れるかどうか、まだ分からないね」

「え?」

「アレを何とかしないと……」


 ハンスと戦っているうちに、死体かつぎの群れが迫って来ていた。

 先ほど冒険者たちが逃げて行った通路の先から幼体が這い出してくる。


 どうやら逃げて行った者たちは狩られてしまったらしく、肉塊の中に真新しい冒険者の装飾品が覗いて見えた。

 ……かわいそうに。


 それから少し遅れて、死体かつぎの母体がゆっくりと姿を現す。

 母体の背中からは失われてしまったが、無数に現れた幼体の背中にはまだ死体が残されており、母体の周囲に集まって攻撃の合図を待っていた。


 どうやら全ての戦力を集中させて決戦を挑むつもりらしい。

 ここを抜ければ地上はすぐそこ。

 彼らにとっても譲れない戦いとなることだろう。


「私たちでなんとかできますかねぇ?」

「さぁ……やってみないと分からないね。

 でも」

「でも?」


 青年は少女の身体を引き寄せ、耳元でささやく。


「僕の名前を君に知って欲しいから。

 全力で君を守るよ」


 その言葉を聞いた少女は顔を赤らめて青年を見つめる。

 二人は吸い寄せられるように唇を重ねた。

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