第33話 感謝の気持ち
しばらく詠唱を続けた少女は、そっと指先に明かりの灯った手を遺体へ差し伸べ、か細い指をなぞらせていく。
まるで赤子の肌にでも触れるかのように、優しく、そっと。
青年も時間を忘れ、その様子を食い入るように眺めていた。
少女は別人になったかのように、静かに、そしてしめやかに、一連の作業を行っている。
誰も口を挟まない、沈黙の中での作業。
真っ暗闇のダンジョンの奥底では、木々のささやきも、水のせせらぎも、風の吹く音さえも聞こえない。
青年が飲み込む生唾が唯一の音として、自身の耳に届いた。
「……終わりました」
少女がふぅと息を吐いて言う。
よほど疲れたのか、肩を落としてため息をついていた。
「で、どうだったの?」
「ううん……ちょっとよく分からないですね。
私とザリヅェさんがやけによく現れるんですけど、
怪しい人物とかは特に」
「そっか……」
彼女の視点からでは、真実にたどり着けなかった。
特に気になるような情報は見当たらなかったらしい。
なにか見落としているのかもしれないが、ここで問い詰めても仕方がないだろう。
黒幕については地上へ帰ってからゆっくりやればいいのだ。
今は生き残ることを考える方が先決である。
「じゃぁ、そろそろ行こうか」
「あっ! 待って下さい!」
「……え?」
青年が背負子を背負おうとした、その時。
びりびりとした衝撃が背中いっぱいに広がったかと思えば、頭部へと集中して全身から感覚が消失。
不意にここではないどこかの光景が目の前に広がる。
ここは確か……領主さまのお屋敷?
目の前にはザリヅェと少女?
どうして?
青年は戸惑いながらも、状況の把握に努める。
どうやら少女が使った鑑定魔法の効果がまだ残っていたらしい。
これは……遺体の記憶?
死者の記憶ではなく、彼が着ている服から映像を読み取ったのだろう。
目の前にいるのはザリヅェと少女。
三人でなにか話している。
ダンジョン攻略に成功したら大金星だとか、有名人になれるとか、場末の酒場で酔っぱらった中年の冒険者がするようなくだらない内容。
ザリヅェは話の流れでおもむろに小さな袋を取り出した。
『そういえば……預かりものをしてたんだ。
冒険者ギルドからアンタにプレゼントだってさ。
保存のきく携行食品だよ』
ザリヅェが渡したのは中には沢山の乾燥したクッキーが入っていた。
「……っ」
映像が途絶える。
意識を取り戻した青年は血相を変えて少女に尋ねる。
「ねぇ……ザリヅェから、何か貰った?」
「え? なにも?」
「彼はこの人に、食料を手渡したよね?
覚えてる?」
「ああ……そう言えば、そうですねぇ」
「それ、君は食べなかったよね?」
「へ? 食べてないですけど?」
「よかった……」
「何が良かったんです?」
少女はきょとんと首をかしげる。
青年はぼんやりとではあるが真相にたどり着いた。
ザリヅェから詳しい話を聞けば事実が明らかになるだろう。
「あのぉ。いったいどうしたんですか?
急に『分かっちゃいました』みたいな。
そんな感じの顔になってますけど……」
「今は知らなくてもいいよ。
地上へ帰ったら、嫌でも分かるからね。
まぁ……帰れたらの話だけど」
「……?」
意味深な青年の言葉に、少女は首をかしげる。
不可解なことは、誰かの思惑によって引き起こされるものだ。
今回の事件も裏で手を引いている人物がいる。
青年は確信した。
「あっ、何か落ちましたよ」
青年が遺体を背負いあげると、少女が何かを見つけて拾い上げる。
どうやら手紙のようだが……。
「葬儀屋さんのですか?」
「え? 僕のじゃないよ」
「じゃぁ、この人の手紙ですね。
封もしてないし……なんだろう?」
「ダメだよ勝手に開けたりしたら」
青年が止めるのも聞かず、少女は手紙を取り出す。
「あっ、どうやら遺書みたいですね。
読みます?」
「他人の遺書を読むなんて趣味の悪いことしないよ。
それ、大切な家族にあてた手紙だろうから、
必ず持って帰らないと」
「それもそうですね……」
少女は手紙を封筒に戻す。
青年が背負っている人物は、誰かに当ててちゃんと遺書を残していたのだ。
家族だろうか、それとも恋人だろうか?
遺書の所在が分かってよかった。
少なくともこの遺体には、帰って来るのを心待ちにしている人がいる。
でなければ遺書なんて残さないだろう。
だから……必ず彼を地上へと帰す。
そのために死体運びの仕事をしているのだ。
『誰かに感謝されるために仕事をするわけじゃないよ。
でもね、やっぱり……ありがとうって言われたら、
嫌な気持ちになったりはしないけどね』
師匠はそう言っていた。
ありがとうと言ってくれる人がいるのなら、この人を地上へ送り返す価値はある。
青年は遺書を懐にしまい、ここにはいない誰かに誓う。
アナタの大切な人を必ずお送りします――と。
「そう言えば、葬儀屋さん」
「……なに?」
「さっきから気になってたんですけど――」
どうせ大したことじゃないだろうと思い、けだるげに返事をする青年。
しかし、次の言葉に心が凍り付いた。
「鈴の音、聞こえなくないですか?」
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