第26話 誰よりも友達想いの市川笑菜が描いたキャラクターだから
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……だから。だから、僕に笑菜の気持ちを受け入れる資格なんて、ないんだ。
わかっている。自分でも理解している。
ここまでくれば、もはや意固地に近いものになっていることも。
それでも、大切な人をとことんまで傷つけ、挙句病気で倒れるところまで追い込んだ罪の意識が、どうしても僕は拭えなかった。
一体どうして、こんなクソ野郎がその子に恋なんてすることができるのだろうか。
いや、ない。
ましてや、自分が一番大切にしていたものにもう一度触れることなど、許されるのだろうか。
好きだからこそ、遠ざけた。大切にしたかったから、距離を取りたかった。
「……すみません、ちょっと頭冷やさせてください」
僕の様子に失望したのか、それとも呆れたのか。とにかく平井さんは、そうして漫研の部室を後にした。
今度こそ部室でひとりになった僕は、意味もなく乾いた笑い声をあげる。
「……ははは、これでいいんだ。これで」
笑菜と過ごしたやり直しの高校三年生は、全てが眩しかった。何もかもが、これが理想の青春と言っても過言じゃない時間だった。それこそ、夢みたいな時間だったんだ。
でも、夢はいつか覚めるもの。覚めない夢は、夢なんて言わない。この時間も終わらないといけないんだ。
十分だった。生きている価値がないクソ野郎が迎えるには、最高過ぎる最期だった。
そうであったなら、どんなに、どんなに、良かったのだろう。
でも、そんな僕に都合が良すぎるエンディングは、誰だって許してはくれなかった。
バレンタイン以降、気まずくなると思っていた笑菜との関係は、予想していたより崩れることはなかった。……これも、大学生のときと同じだ。きっと、笑菜に無理をさせてるんだ。できることなら、外で寝泊まりをして、距離を取りたかったけど、そんな財政僕にあるはずもなく、結局いつもとほぼ変わらない日々を笑菜のおかげで過ごしていた。
でも、平井さんが怒ったままなのは、当然で、彼女から改めての呼び出しを僕は三月の頭に受けた。最初は逃げようかとも思ったけど、数分既読スルーをしたのを見て「もし来なかったら市川さんに住所聞いて家に押しかけます」という半ば脅迫めいたことを言い出すものだから、僕は観念して指定された待ち合わせ場所に向かうことにした。
たどり着いたのは、写真部の部室。そこには、仏頂面の平井さん、小岩君、酒々井さんの三人が待ち構えていた。
僕が席に座ると、スムーズな動きで小岩君がドアの内鍵をかけ、平井さんと酒々井さんは僕を取り囲むように三人分の椅子を配置させる。
「……そ、そこまでしなくても、逃げたりしないって」
「都賀くんはいつだって私の想像を超えることをしてくるから。念には念を入れないとね」
コンコン、と平井さんは机の天板を指の関節で鳴らし、事情聴取がスタート。
「それで。……何か申し開きはある? 市川さんからのチョコを断った理由。……それでも都賀くんは友達だって言い張るの?」
言い張るしかないんだ。友達が違うのなら、腐れ縁だ。僕らの関係にラベルを張り付けるなら、それしかないんだ。二度と剥がれないくらい、一ミリの隙間も許さないくらい、きっちり。
僕の沈黙を答えとみなしたのか、首を小さく横に振った平井さんは訴えかける。
「……都賀くん、言ってたよね。『僕は、笑菜の気持ちに気づいちゃいけない』って。理由は言ってくれなかったけど。……ねえ、誰かの恋心に気づいちゃいけない事情って何? そんな事情、存在していいの? 都賀くんは、極端な言いかたをすれば犯罪者か何かなの?」
犯罪者ではないけど、断じられるべき罪は犯しているのかな。
「……わかってるんだよね、市川さんの気持ち。それじゃ駄目なの?」
「駄目だよ。絶対に駄目」
「……都賀先輩、市川先輩のこと、嫌いなんですか? 私にはとてもそんなふうには見えないんですけど……」
嫌いなわけがない。嫌いであんな自由気ままな女の子と長く関わっていられるわけがない。
「……嫌いなはず、ないよ。一緒にいて、楽しいからつるんでる」
「それじゃあ、どうして」
しかし僕は酒々井さんの言葉を遮り、何度目になるかわからない言い訳を重ねる。
「……だからって全ての異性の友達に、恋愛感情を持つかって言われたら、そうじゃないでしょ? 三人だって、そうでしょ?」
まさに彼氏彼女がいる三人にとっては、この切り返しは急所だったようで、しばらくの間言葉に詰まってしまっていた。
「……僕にとって笑菜は、そういう立ち位置だよ」
時計の秒針が何周したころだろうか。おもむろに口を開いたのは、このなかでは一番大人しいと言える小岩君だった。
「……ほんとに? ほんとに心の底からそう思っているの? 都賀君」
「そうだよ」
「……都賀君が僕に言ったあのときの言葉。『はっきりしていないんだよ』って言葉。あれってもしかしなくてもさ、僕だけじゃなくて、都賀君自身にも言っていたんじゃないの?」
……ほんっとさ……。勘が良すぎるにもほどがないかなあ小岩君。
「好きならそう認めればいい。嫌いなら拒絶すればいい。なのに、どっちでもない。友達なら友達でもいいけど、都賀君と市川さんの関係は、ちょっととてもじゃないけど友達なんて安い単語で形容はできない。都賀君自身だって、それを理解しているから、『はっきりしていない』んじゃ」
「……もし仮に、僕が小岩君の言うように『はっきりしていない』状態で、笑菜への気持ちを拗らせているとしたら何? 僕に好きだって告白しろって言うつもり?」
「都賀君が僕らにさせたことって、つまりはそういうことだよね?」
小岩君が平井さんと酒々井さんに同意を求めると、うんうんと揃って首を縦に振る。
「……僕は、みんなとは違うんだよ。みんなと違って、勇気も度胸もない」
「そっ、そんなことないです都賀先輩」
僕が両手を横に広げて自嘲しようとしたけど、すぐに酒々井さんに遮られる。
「だって、私のときなんて、リスク高いことしか計画しなかったじゃないですかっ。一度こっぴどくメンタル底辺まで落としましたし、全校生徒の前で告白させますしっ。そんなこと、考える側だって辛いに決まってるじゃないですかっ。それに、都賀先輩は計画を実行するために裏で色々走り回ってましたし、そんなことしているのに、勇気も度胸もないって」
「他人事だからっ。……他人事だから、できたんだよ。僕に、酒々井さんと同じことやれ、小岩君と同じことやれって言われたって、できる自信なんてない。もちろん、平井さんと榎戸君だって、そうだ。……外野だから、立ち回れたんだ」
いや、立ち回りすら上手くいかないときもあったから、僕にできたことなんて。
「言い訳なの? それが都賀くんなりの、市川さんの気持ちに気づかないふりをする言い訳?」
言い訳にすらなっていないって思うけど、
「……みんながそう思うなら、言い訳なんじゃないかな」
僕はもう、俯いてそう答えるしかない。
「……それが本当に言い訳なら、市川さん馬鹿にしてない? 都賀くん」
「だとしたらどうって言うんだよ。……三人には、平井さんには、関係」
「あるよっ。関係なくなんてないっ」
薄く銀がかった髪を揺らしながら、平井さんが半分涙混じりに叫ぶ。
「……私も、渉くんも、酒々井さんも小岩くんも、みんなみんな都賀くんと市川さんに助けられて今があるんだよ。それなのに、関係ないなんて言えるわけないよっ」
彼女の叫びにつられて、ゆっくりと顔を上げてみると、正面には頷く三人の姿が。小岩君に至っては、榎戸君とのトーク画面も掲げて見せては、今も遠い場所で叶えた夢の先で奮闘している彼の「俺も、都賀と市川に助けられたから、できることはやってやりたい」という一言も添えている。
……ああ、そうか。平井さんたちがここまでしつこい理由がわかったよ。
僕が一番わかっていたことじゃないか。だって、彼ら彼女らは。
僕みたいなクズでさえも救おうとした、誰よりも友達想いの市川笑菜が描いたキャラクターだからじゃないか。
いや、キャラクターって言いかたはもはや適切じゃないかもしれない。
もう、彼らは笑菜の意思を超えた行動をしているのだから。
僕に手を差し伸べるなんてシナリオ、存在するはずがない。僕は、この漫画の登場人物ではないから。
つまり彼らは、笑菜が産みだした人なんだ。
だとするなら、僕がもうはぐらかし続けることができる相手じゃないのは明らかだ。
南京錠が、カタンと揺らされた気がした。
だからこそ、やるせなかった。胸のうちに、ゆらゆらと針に刺されるような痛みが優しく広がる。あのとき、笑菜に詰られず、優しくされてしまったように。
違う。僕は優しくされるべき人間じゃない。違う。違う違う。僕は、僕は……、
「……違うんだよ、そうじゃないんだよ」
自然と、掠れた声が漏れていた。
「違うって、何が」
「……そうじゃないんだ。僕は……こんなに誰かに優しくされるべき人間じゃないんだよ」
「だから何が言いたいの? 都賀くん」
「だからっ……笑菜に酷いことを言ってっ、笑菜を極限まで傷つけてっ、笑菜の夢まで壊しかけた僕がっ! ……僕が……笑菜をどうこうするとか、誰かに優しくされるとか、そんな都合のいい話があっていいわけが……ないんだよ」
刹那、写真部の部室に静寂が転がる。僕の独白を、今度は誰も邪魔しない。
「……いいんだよ、僕の気持ちなんて。そんなもの、ずっと前に引き出しの奥に鍵をかけてしまったんだから。そうすることで、僕は、笑菜の『腐れ縁』をやり続けたんだから」
僕がそこまで言うと、神妙な面持ちは変えないまま、平井さんがゆっくりと尋ねる。
「……市川さんが、都賀くんと結ばれているのを望んでいたとしても? 都賀くんのその考えは変わらないの?」
「変わらないよ。……笑菜どうこうって話じゃないんだよ。僕の問題なんだよ。自分が自分で許せないんだよ」
僕の答えに平井さんが何を返そうとしたのも束の間、今度割って入ったのは、これまであまり会話に入ってこなかった酒々井さんだった。
「都賀先輩、馬鹿なんですか? なんで私に教えてくれたことが、わかんないんですか」
「……なんでだろうね」
「都賀先輩、私に言ったじゃないですか。過ぎたことは仕方ないって。大事なのは、これからのことだって。過去に囚われているのは、都賀先輩もじゃないですか」
酒々井さんの勢いに押し黙る僕。これ好機と、唯一の一年生は僕に畳みかける。
「都賀先輩と市川先輩に昔何があったかは知りません。ほんとに言いたくないことみたいですし、無理に聞き出したりはしませんけど、それにしたってです。都賀先輩を許すかどうか決めるのは、自分だけじゃないんですよ。それだって、都賀先輩が私に伝えたことじゃないですか」
……嘘の告白という障壁を乗り越えた酒々井さんだからこそ、この一言は深く刺さる。駄目だ、この説得力は、とてもじゃないけど何も言い返せない。
「市川先輩とちゃんと話もしないで、いつまでも自分で自分を責め続けて殻に籠ってたら、何も解決しませんよ。……都賀先輩なら、わからないわけないじゃないですか」
「でも」
「でもじゃないです。……きっと市川先輩は、許してあげたいんです、都賀先輩のことを。だからせめて、話だけでも、してください」
「……僕もそう思うよ。自分を自分で許すのは、難しいかもしれないけどさ。誰かと一緒なら、できるよ。きっと」
「私も同じ。意見は変わらない」
……ああ、もしかしてだけど。笑菜が本当にやりたかったことって、これだったのではないかって、うっすら思ったんだ。
僕の性格を見越して、こうやって、自分の描いたキャラに、僕の心を絆させる。
死の際にいる僕を、救うために。
「……ほんと、敵わないよ……」
どこまでいっても、市川笑菜は、ブレなかった。
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