第3章

第22話 あんなに人の気持ちに聡い都賀くんが、市川さんの気持ちだけ気づかないなんて、絶対おかしいよ

 友達以上、恋人未満。僕と笑菜の関係を表すのに、この常套句はうってつけだろう。単なる友達と呼ぶには深入りしすぎていて、けど恋人と呼ぶには想いの答え合わせという手続きを踏んでいない。

 あの日、学校祭の終わり際に放たれた笑菜の言葉が、頭にこびりついていた。

 どういう真意なんだ。だって、笑菜は漫画の登場人物を幸せにしてください、ってお願いしたんだ。


 当然、笑菜が登場人物であるわけはないから「このお願い」に関しては対象の範囲外のはず。

 無論、「お願い」どうこう以前に、近しい関係の女の子を幸せにする、っていうのはある種人間としてのテーマだったりするのかもしれない。


「……にしたってさ」

 心の奥底に鍵をかけた感情が、一瞬だけ揺れ動く。

 違う、もう僕に答え合わせをする権利も、資格も、持ち合わせてなんかいない。そんなわけ、そんなわけないんだから。


 学校祭も終わり、完全に高校生活のイベント全てが終わった冬前の三年生の教室は、完全に落ち着きを取り戻していた。一度一度の模試の結果に一喜一憂して、理想と現実のギャップに悩む将来の分岐点に差し掛かっている彼らは、これまで以上に日々の勉強に熱を持って取り組んでいた。

 それは、僕らの周りでも同じであって。


「……この三角関数の問題、どうやって解くの?」「あー、そこは加法定理で変形して」「この英語の長文読解意味がわからないんだけど……」「とりあえず意味追えないときはポジティブなこと言ってるかネガティブなこと言ってるかだけ把握しとけば絞れるよ」


 街路樹の葉々も色を落とし、歩道に落ち葉も散乱するようになった日の放課後、平井さん、小岩君、僕の三人でファミレスに集まっては勉強会を開いていた。榎戸君はサッカーの練習が、酒々井さんは部活が、そしてなぜか笑菜は誘われていない。

 一応僕も僕とて、受験はする、ということにはしているので、一緒になって勉強に付き合っている。


 ファミレスで数時間集中して、なんとなくのお開きムードが漂った頃、僕はふと気になったことを尋ねる。

「そういえば平井さんと小岩君、それからはどうなの?」

「……え? それから?」

「どう、って?」

「彼氏彼女と」


 一応、僕が口を挟んだ関係ではあるので、その後の様子も知りたかった、っていう個人的興味からの、なんとなくの質問だった。だったのだけど、両名ともカァ、と微かに頬を赤くさせては、唯一のオーダーのドリンクバーのドリンクを一気に飲み干す。

「ふ、普通だよ、別に。それに渉くん、最近忙しそうだし」

「ぼ、僕も何も、話すようなことは特段」

「いや、上手くいってるならいいんだ」

 ただ、ここで変に話題を恋バナにしたのが良くなかったみたいで、


「逆に、都賀くんはどうなの?」「そ、そうだよ、都賀君こそ」

「「市川さんと、どうなの?」」

 逆に、ふたりから反撃を受けることになってしまう。

「……どうって言われても、ただの友達ですとしか言えないけど」

 潮目の悪さを感じつつ、僕は当たり障りない回答を口にする。


「で、でも、学校祭一緒に回ったんだよね、市川さんと」

「それに、夏休みふたりで遊んでたし」

「……それは、笑菜に誘われたからで。別に他意なんて」

「市川さん、都賀くんと一緒にいるときが一番活き活きしているし」

「っていうかそもそもいっつも市川さん都賀君と一緒にいるし」

「単にいじり甲斐があるだけとしか思ってないんじゃないかな」

 矢継ぎ早に放たれる平井さん小岩君の攻撃を、淡々とかわしていく。


 ……っていうか、もしかしなくても今日笑菜が誘われなかったの、これをしたかったから?

「ほ、ほんとのほんとに何もないの? あれだけ一緒にいて」

「んー、だってそのほとんどを他人の恋路に費やしたから」

「「その節は本当にお世話になりました」」

 でも、と平井さんがテーブルに両手をついて、身を乗り出すと、


「それとこれは話が別でっ。都賀くんたちも見ていてじれったいんですっ」

「……それ、平井さんが言っちゃう?」

「わ、私も人のこと言えないかもしれないですけど、ぜ、絶対市川さん、都賀くんのこと好きだってっ」

「気のせいじゃない? 笑菜っていつもあんなでしょ?」

「じゃ、じゃあ、都賀くんはどう思っているんですか? 市川さんのこと」


「へ? 腐れ縁?」

「も、もう、またそうやってはぐらかそうとして」

 努めて表情を変えないように答えた僕に対して、平井さんは不満そうに顔をしかめる。


「あんなに人の気持ちに聡い都賀くんが、市川さんの気持ちだけ気づかないなんて、絶対おかしいよ」

 ……おかしい、か。確かに、そういう意味で言えば、僕はおかしいのかもしれない。

 どんなに笑菜が、僕をからかうような言動をしても、意味ありげな仕草をしても、気にしない、見ていない、聞こえてない振りをし続けたのは、おかしいのかもしれない。

「……僕が人の気持ちに聡いわけないでしょ」

「……都賀くん?」

「……それに仮に笑菜の感情がそうだったとして、平井さんたちが僕らに絡む理由なんて」

「友達のお手伝いをしたいって気持ちに理由なんているの?」

 彼女の意思はシンプル、かつ直球だった。同席している小岩君も、同調するように頷く。


「私たち、都賀くんたちに残された時間はもう少ししかない。今しかないんだよ。今しか」

「それで、自分の足元を掬ってしまうとしても?」

「掬われたとしても、転んだ先がゴールラインなら大丈夫だよ」

 駄目だ、何を言っても引かないつもりだ、平井さんは。


「だっ、だからっ、このままなあなあになんて──」

 瞬間。窓の外から何やら大きな声が伝ってきた。

「あっ! 正志先輩だ、それに平井先輩に都賀先輩も」

 どうやら、部活帰りの酒々井さんが、帰り道に僕らを見つけたみたいで、足早にファミレスのなかに入っては、店員さんに「ドリンクバーひとつ追加でっ」と告げ、流れるように小岩君の隣に座る。


「何の話されていたんですか? 珍しい組み合わせですけどっ」

 正直、酒々井さんの登場に救われた。これ以上、平井さんたちに追及されていたら、ボロが出たかもしれない。頃合いと踏んだ僕は、そそくさと席を立っては、百円玉三枚をテーブルにそっと置き、

「じゃ、僕はそろそろ帰るよ」

「えっ、ちょっ、都賀くん、まだ話はっ」


 逃げるようにファミレスを後にして、街灯に照らされた駅前通りを駅とは反対方向に進んでいく。徐々に住宅街の色合いが濃くなってきて、辺りの雰囲気も落ち着いてくると、家の近所にある、僕が最初に目を覚ました公園に差し掛かった。

 暗闇にポツンと落ちるオレンジの光、そこに目線を向けると、


「……笑菜?」

 ひとりブランコに乗って佇んでいる腐れ縁の姿が、そこにあった。

「あっ、おかえりーつがゆう。遅かったね」

「……なんで公園に」

「初芽ちゃんたちと何の話してたの?」

「何って……そんなの、し、進路とか?」

 よいしょ、とブランコから飛び降りては、トントントンとけんけんぱの要領で数十センチ目の前から僕の顔を見上げる。


「えー? ほんとに、それだけ?」

「……それだけだよ」

「ほんとのほんとに?」

 近い近い顔近い近い。なまじっか顔の作り可愛いから緊張するんだってそれされると。


「恋バナとかしてないのー?」

「…………。してない」

「なーんか妙な間あったねっ。今」

 ああ、ほら。すぐにこうなる。一瞬で瞳を輝かせた笑菜が、さらに勢いよく僕にねえねえと絡んでくる。


「だーっ、もうしつこいって!」

「むー、だってお願いしたじゃん、私のことみんなと同じように幸せにしてくださいって。私のお願い聞いてよー、つがゆうの恋バナ教えてくれるだけで私幸せなんだよー?」

「だって笑菜は漫画の登場人物じゃないでしょ? じゃあもともと頼まれてた内容から逸脱するじゃん、だっ、だから近いって」


「いいじゃんいいじゃん、細かいこと気にする人モテないよー?」

「別にモテたいわけじゃっ」

 結局、笑菜の追及を振り切ったのはそれから一時間後のことで、都合夜の公園でそれだけの間僕らは至近距離で乳繰り合っていたわけで。

 今までで、一番疲れたかもしれない。


 それからだって、何か特筆するような出来事は取り立てては起きなかった。季節も次々流れて行って、秋も過ぎ、受験直前のクリスマスだって「メリークリスマス」の言葉のやり取りで終わった。僕らは本当に受験するわけではないけど、でもみんなが頑張っているときにふたりだけではしゃぐ気分にもあまりなれなくて、三学期の自由登校期間も、基本的には家で大人しくぬくぬくと温まりながら、映画やアニメを消化する日々が続いた。


 そんな、言ってしまえば怠惰な日々がちょっとだけ変わったのは、二月上旬のこと。

「初芽ちゃん、受験終わったみたいだから、お疲れ様会してくるっ」

 午前のうちから、慌ただしい様子で身支度をしていて、てっきり僕も巻き込まれるかななんて思ったりもした。


「あ、今日は女子会の予定だから、つがゆうはお留守番してくれるかなあ」

「え? あ、そ、そっか」

「それじゃ、行ってきまーす」

 どこか拍子抜けした僕は、しかし意識を机の上のカレンダーに向ける。


 三月九日。


 今しがた出かけていった笑菜の誕生日だ。ちょうど、あと一か月くらい、っていう時期か。

 現実でも、誕生日プレゼントはそれなりに贈りあっていた。いや、笑菜が毎年欠かさず僕のときにも何かしらの小物をくれるから、僕だけ何もっていうわけにもいかず。


 現実では当然笑菜とは別居していたから、もう少し近い時期に買いに行くこともできたけど、今は同じ屋根の下に暮らしている。僕がどこか買い物に行くって言ったら、笑菜のことだから尻尾を振ってついてくるに違いない。

「ってなると、チャンスは今日を逃すと次はいつかわからないのか」

 ……今日、買いに行くか。それに、冷静に考えたら、僕が笑菜にあげられる最後の誕生日プレゼントになるわけだし。早めに動いて悪いことはないだろう。


 そうと決まれば、すぐにでも出かけよう。善は急げだ。僕は部屋着から外向きの格好に着替え、カーディガンの上に厚手のコートにマフラーと、フル装備で二月の寒空広がる東京の街にひとり繰り出した。

 家の最寄り駅から特急電車で揺られること三十分。僕はあのクリスマスと同じ新宿駅に降り立っていた。


「……さて、何を買ったものか」

 新宿東口を出て、ひとまずフラフラと適当に地上を歩いてみる。……いつもだったら、何の気なしに本屋に立ち寄って、ちょっと可愛らしいブックカバーとか栞だとか探すんだけど、もうそれもあげつくしたというか、同じものをあげるのも芸がない。

「かと言って……ねえ?」

 予算も潤沢にあるわけでもないので、それこそ百貨店のショーウィンドウに並ぶようなブランド品なんかを買えるはずもない。……大学生のときでさえ買えなかったし。


 適当に目についたお店に立ち寄っては、予算オーバー、あまり欲しがらなさそう、ただの友達があげるにしては出しゃばりすぎているなどなど、色々な理由でボツにして次のお店へと移っていく。

 二、三時間新宿の街をフラフラして、なんとなく入ってみた雑貨屋さん。

「……あ。ここなら、もしかしたら」

 確証はないけど、もしかしたらここならいいものがあるかもしれない。そんな予感が走る。


 ……こんなところ、平井さんや小岩君に見つかったら、また言われるんだろうな。「本当に市川さんのこと、何とも思ってないんですか」って。

 何とも思っていないはずがない。……何の感情も抱いていない女の子を相手に、八年近くも友達を続けられるほど、僕の人間は出来上がっていない。


 確かに、一緒にいると疲れることがほとんどだけど、でも、決して嫌なわけではないんだ。本当は。嫌いじゃないから、こうして一緒にいるわけで。

「……髪飾りにシュシュ……ありっちゃありだけど、これも高校卒業のときにあげたんだよなあ……。たくさんあっても困りはしないだろうけど」


 言動が軽はずみなところも、表情がゆるゆるで見ているこっちまで頬が緩んでしまいそうなところも、絵のタッチが優しいところも、根っからの友達想いなところも、どれひとつとして、僕は嫌いではない。

「……ぬいぐるみとかはなあ、隠しておくのが大変だし……」

 そうだ。笑菜で嫌いなところなんて、あるわけがないんだ。

 この気持ちを恋と呼ばないのなら、きっと僕に恋なんてできるわけがない、そんな感情を僕は持ち合わせていたんだ。


 でも、それは決して表には出さないと決めた気持ち。何があっても、誰であっても、絶対に隠すと決め、心の奥底にしまい込んだもので。

「……グラス、か。笑菜、結構ジュース飲むの好きだし、あったらあったで喜ぶ……かも」

 だって、僕にその資格は、ないんだから。そんな資格、とうの昔に、失ってしまったんだ。


 棚に小奇麗に並んだグラスの列から、ひとつ気になったものをふと手に取る。

 黄色いチューリップの花の模様が一面に彩られていて、笑菜のほんわかとした雰囲気に似合いそうなイメージを抱く。

 執筆の合間でも、食事のときでも、おやつのときでも、寝る前でもいい、どこかのタイミングで使ってくれたなら、僕としても最期に贈った甲斐があったってことになるんじゃないか。


 値段も安くもなく高くもなく、適正価格。

 ……よし。これにしよう。

「ありがとうございましたー」

 レジも済ませ、プレゼント用に包装もしてもらったそれを僕は大切にカバンにしまい、人でごった返す新宿を駅に向かって歩き始めた。


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