第20話 ……ほんと、いい意味で脱力させてくれますね、市川先輩は

 〇


 後夜祭が始まって三十分ほど。そろそろ出番が近づいて来た私は、グラウンドに特設されたステージ横のテントでひとり椅子に座っていた。

 周りのサッカー部員たちはこれから始まる自分たちのお祭りにワクワクしているみたいだったけど、私はとてもじゃないけどそんな気分ではない。


「……何人? 百人? 二百人……? そんなんじゃ足りないんじゃ……」

 テントから僅かに見える観覧スペース。そこにはたくさんの一般生徒がステージ上で行われるパフォーマンスに盛り上がっている。

 今から、私はあれだけの人の前で……。

 そう思うと、口から出ちゃいけないものが出てしまいそうになる。


「……だ、大丈夫? 酒々井さん」

 そんな私を心配する、平井先輩。さっきから私よりも緊張しているんじゃないかってくらい顔が強張っている。

「……吐けるなら今のうちに吐きたいくらいです」

「大丈夫大丈夫。言うのは一瞬だから、なんとかなるよー」


 反対に、市川先輩のほうはお気楽そうにのほほんとした空気感で、この間電車で話したときの真面目な先輩はどこに行ってしまったんですか、と聞きたいくらい。

 そして、緊張の種はもうひとつ。

 正志先輩が会場に来たら連絡してくれるはずの、榎戸先輩が、未だに何も音沙汰がないこと。


 説得には都賀先輩が行っているらしいのだけど、難航しているんだろうか。

 ……当たり前だよね。あんなことしておいて、話を聞いて欲しいなんて虫が良すぎるのはわかっている。このまま終わってしまうかもしれない。何もできないまま、学校祭っていう最後のチャンスも通り過ぎてしまうのではないか、そんな怖さが、私の心臓に早鐘を打たせる。


 けど、都賀先輩が作ってくれたチャンス、せめてチャレンジだけはさせて欲しい。外してしまうかもしれない。……だとしても、誰かだって言っていた。「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持ったものだけだ」って。だから、せめてチャンスだけでも……。

 サッカー部の前のグループが、そろそろパフォーマンスを終える頃に、テントに待ち望んでいた人が飛び込んで来た。


「──い、今、都賀からライン来たっ! 小岩、グラウンドに向かったって!」

 それを聞き、ひとまずホッと胸を撫で下ろす平井先輩。

 私も、少しだけ不安の種が取り除かれた。

 ……本番はここから。舞台は皆さんが整えてくれた。あとは、もう、私の問題だ。


「サッカー部の皆さん、そろそろ準備お願いしまーす」

 生徒会の役員さんが、舞台袖からそんな声を掛けてくる。それに呼応して、他の部員もぞろぞろと移動を始める。

 震える手足をなんとか押さえて、ステージに向かう。

「……で、では。行ってきます」

 そんな私を見送る、先輩たち三人。

 みんな、何も口にはしない。でも、きっと考えていることは同じなんだと思う。

 だから、それで十分だった。


 部内でもムードメーカー的な役回りをしている中盤の二年の先輩と、お堅く真面目で通っている新キャプテンのコントを皮切りに、次々とサッカー部部員による後夜祭のパフォーマンスは続いていった。幸いにして、とって出しのコントがかなり会場の爆笑を誘っていたので、空気は十分に温まった。その後もいくつかのグループを挟んで、


「はーい、サッカー部内で音楽が好きな面子が集まって結成しましたー。そしたら野郎ばっかりで華がないっていうことで、ボーカルには女子マネの子に参加してもらってまーす、よろしくお願いしまーす」

 とうとうやって来た、私たちの番。発起人のベースを持つ先輩がそう挨拶して、ステージの真ん中、マイクを握った私もみんなと合わせてペコリと頭を下げる。


 顔を上げて、客席を見渡すと、そこは一面人の海だった。当たり前なのかもしれない。わかっていたことかもしれない。でも、いざそれを目の当たりにすると、

 ……私、こんなたくさん人がいる前で、やろうとしているの……?

 そんな臆病な気持ちが顔を覗かせる。

「では、舞台袖から三年の先輩がさっさと始めろとシグナルを送っているので、一曲目いきたいと思いまーす。今年大ヒットした映画の主題歌から──」


 じわり、マイクを握る手が汗ばむのを感じた。クラスTシャツ一枚に制服のスカートっていう軽めの格好をしているけど、人の熱気のせいか、はたまた緊張のせいか、秋だというのにひとりだけ季節が逆戻りしている。

 背中からスティックが叩かれる音が響き、バンドの演奏が始まった。アップテンポで気分が盛り上がる軽快なナンバーで、しばしばテレビの音楽番組でも目にする機会があった。


 不思議と、曲自体は自然に歌うことができていた。上手い下手は置いておいて、普段のカラオケとほぼ同じ調子で、私は覚えた歌詞を紡いでいた。

 聞いてくれているみんなも、盛り上がってくれているみたいで、どこで用意したのかわからないけど、ペンライトを振っている人や、生徒会が配布した桜坂祭うちわを揺らす人、色々だ。

 それは、舞台袖にいる三人の先輩たちも同じ。

 ふと、私は観客席を見渡す。しかし、どこを探しても、一番来て欲しい先輩の姿は、見当たらない。まだ、向かっている途中なのだろうか。


 榎戸先輩も、部としての発表が始まるくらいのタイミングで都賀先輩が説得に成功したって教えてくれたから、時間がかかっていてもおかしくない。

 そうこうしているうちに、一曲目の演奏が終わり、ほんの僅かなMCの時間になる。と言っても、ほんとに一言二言感想を言うくらいのもので、水分補給も済ませたらすぐに二曲目だ。二曲目も終われば、それは、つまり、計画を実行するタイミング。


「……間に合う、よね……?」

「ん? どっかしたー? 酒々井ちゃん」

「え? あっ、すす、すみませんっ、なんでもありません、次行きましょうっ次っ」

 危ない危ない、ついマイクに本音を漏らしてしまった。

「はい、そんじゃあボーカルもこの後予定があるのか、巻きで行きたいみたいそうなので、二曲目いきたいと思いまーす。二曲目は──」


 二曲目は、今回一緒にバンドを組んだ先輩たちが好きなガールズバンドのもの。こちらもドラマのテーマソングになっていて、知名度は抜群。すぐにみんなも歓声を上げてくれた。

 ただ、二番に入っても、Cメロに入っても、最後のサビに入っても、先輩がグラウンドに姿を現さなかった。

 ……やっぱり、途中で気が変わったのかな、私の顔、見たくなかったのかな。

 次第に心の焦りは増していくばかりで、気がついたら、二曲目のアウトロに突入していた。


 もう一度、会場をぐるりと一瞥する。どんなに目を凝らしても、見つからない。

 どうしよう、これじゃあ……何もできない。

 PKを蹴ることすら、私に許してくれない。

 都賀先輩にも、悪いことをしてしまった。多分、一番私なんかのために走り回ってくれたのは都賀先輩だったのに。

 沈みかかった気分で、つい俯いてしまうと、


「っ⁉」

 存在するはずのない三曲目が、弾かれ始めた。どこか悲壮感漂うメロディで始まったそれは、私がカラオケで十八番にしているバラードで、けど、その曲は打ち合わせにはなかったはずで、

(どっ、どういうことですか? 二曲で終わりだったんじゃ)

 観客のみんなには見えないよう、半身になって後ろのメンバーに確認を取る。すると、リーダーのベース担当の先輩が、ニヤりと悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思えば、舞台袖を指さす。


 その方向には、「もう一曲やって時間稼げ!」と書かれたカンペを掲げた榎戸先輩が。当の先輩は生徒会の役員ふたりがかりで羽交い絞めにされてすぐにカンペをしまわされていたけど。

 しかし、始まった三曲目をもう止めることはできず、つまるところ、私に五分のアディショナルタイムが与えられたんだ。


(……あ、ありがとうございます!)

 心の内で榎戸先輩に頭を下げ、私は気を取り直して自分の十八番を歌う。練習はしていないけど、何度も何度も歌った曲なので、歌詞は覚えている。

 あとはもう、繋いでくれた時間を、嚙みしめるように歌うだけ。

 ゆったりとしたテンポの楽曲だったのが幸いして、かなり時間を使うことができていた。先輩の到着を待つ間も、私は別れが決まってしまったふたりの恋路を嘆く詞を、ありったけの気持ちを込めて歌っていた。


 君のことを忘れたい、こんなに辛いのだったら、そんな類の歌詞が、私の口から零れていく。

 忘れたかった。辛かった。こんな思いをするなら、好きにならなければよかった。

 この高校を、受けなければよかった。

 そう思っていた。少なからず、約束の二週間が終わった直後は。

 でも、都賀先輩に知恵を貸してもらって、平井先輩や市川先輩には励ましてもらって、榎戸先輩にはこうして体当たりで時間を作ってもらって。

 たくさんの人に助けてもらって。


「──だとしても、忘れられるはずがないよ!」

 二番のネガティブな歌詞から一転、ラストでひっくり返る歌詞。

 初めて聞いた中学生のときはなんでこう思うのか理解はできなかった。

 今なら、少しはわかるかもしれない。

 無理だよ。本気で好きだったんなら、一か月にも満たない時間で気持ちを忘れられるはずなんかないんだから。


 そして、このタイミングでようやく、肩で息をして両膝に手をついて後夜祭ステージに、私が一番待っていた先輩がたどり着いた。

 三曲目のラストフレーズも歌い切って、囁くように叩かれたキーボードの音を最後に、一瞬、会場から音という音が鳴り止んだ。

 次のとき、一斉に大きな拍手と歓声が私たちに向けて放たれた。今までの人生で、味わったことのないものだった。


 私の後ろで演奏していたメンバーの人たちが、余韻を味わうようにゆっくりと後片付けを始める。舞台袖にいる役員から「なるはやで撤収してくださーい」という声が飛んでくる。

 ……ごめんなさい。もう少しだけ、私に時間をください。五分、五分でいいので。

 ステージに置いていたペットボトルの水を一気に飲み干し、私は手にしていた有線のマイクを握り直す。


「あのっ! すみません! 私にちょっとだけ、話をさせてください!」

 突然の叫びに、ざわめく会場。持てる楽器を背負って、ステージを降りようとしたメンバーも、何事かと私に目線を向ける。

「……え、えっと、五分! 五分で終わらせるので!」

 みんなの視線が一斉に私に集まる。歌っているときはあまり気にならなかったけど、いざそのときを迎えると、さすがに脈が速くなってしまう。

「そ、その、ある人に、言いたいことがあります!」


 そう言うと、客席からは「おー、告白かー?」「さっき言ってた用事ってもしかしてこれー?」といった声が聞こえてくる。

「ま、まあ、そんなところです。ちょっと事情があって、この場じゃないと伝えられないかもしれなくて」

 前置きもそこそこに、私は大きく深呼吸をして、先輩に言いたいことを少しずつ話していく。

「その人は、友達も多くないし、卑屈だし、お世辞にも、さっき歌った曲の映画みたいにキラキラした高校生活に近いとは言えないです」


 私が見る限り、ほんとに友達は榎戸先輩しかいなかったと思う。いつもひとりで登下校していたし、写真部の活動だって基本そうだった。お昼ご飯だって、移動教室だって、いつだってなんだって、先輩はひとりだった。

「そのくせ、お人好しというか、親切過ぎるっていうか、誰彼構わず困っている人に手を差し伸べて、自分は貧乏くじを引くっていうか、なんというか」

 時間に対するコスパが悪いというか、不器用というか。

「でも」

 一度タオルで汗を拭って、私は話を転調させる。


「……私も、そんなその人に救われたひとりです」

 それも、高校受験っていう、大事な日に。

「その人は、いつもやっていることだったので、特別でもなんでもなかったのかもしれないですけど、私にとってはそうでもなくて。結局、お礼を言うこともできないまま、半年近く経ってしまいました」

 私はすると、先輩がいる方向に体を向き直して、深々と頭を下げる。


「ほんとに今更ですけど、受験の日、助けていただいてありがとうございました。どれだけ感謝しても、しきれないです」

 ここまで話して、未だに誰に向けているか周りはよくわからないからか、「誰に言っているのー?」「教えてー」という質問が飛んでくる。私はそれに答えることはせず、話を続ける。

「……それなのに、あんな酷いことして、すみませんでした!」

 再度、さっきよりも深い角度でお辞儀をして、謝罪の言葉を叫ぶ。自分がしたことを隠しながら話を進めるのは、フェアではないので、何もかも言ってしまう。


「……罰ゲームで、嘘の告白なんてして、ほんとに、ほんとにすみませんでした」

 先輩に負わせた傷を考えれば、私だってこうしないと、筋が通らない。

 さすがに私が言った内容にはパンチ力があって、ざわめきは確かに大きくなり、ベクトルもネガティブな方向に向かっていく。

 話の本筋を理解した人も出てくる。つまるところ、千葉先輩やその取り巻き、はたまた、私を千葉先輩のところに連れて行ったクラスメイト。彼らの表情が、張りつく。


「その上で、言いたいことがあります」

 さあ、ここからが本番だ。ここからが、一番伝えたかったこと。伝えないと、いけないこと。

「……信じてもらえないかもしれないですけど。でも、今度は嘘なんかじゃないんです。全部、全部、最初っから、本当だったんです。私……私、酒々井小春はっ──」

 半年間、温め続けていた、あの罰ゲームの日、使わなかった言葉を、紡ごうとする。何度も何度も、授業中や電車のなか、はたまたお風呂に入っているときに寝る前にシミュレーションした言葉を、


「っ……」

 言おうとしたのに、土壇場で私は口ごもってしまった。

 なんで、ここまで来て、引き下がれない。あとちょっと、あとちょっとで全部言えるのに……! それなのに、頭でわかっていても、口が動いてくれない。

 沈黙が五秒、十秒と続き、間がもたなくなる。


「ぁ……あ……」

 単純なことなのに、どうして、どうして……! 焦りと恐怖と緊張が重なって、言おうとしていたことが言えない。そのときだった。

「小春ちゃん、こっちこっちー!」

 客席のほうからだった。聞き覚えのある声がしたので、そっちを向くと、


「……っ、な、何やっているんですか、市川先輩」

 マイクを通さず、ひとり呟く。

 ニンマリ笑みを浮かべた市川先輩が、両頬に人差し指をさしてニッコリマークを作っていた。このシリアスな場面に場違い過ぎる行動に、思わず笑みが零れそうになる。

 市川先輩の機転で、気持ちが落ち着いた。


 ……シミュレーションはもう忘れよう。みっともなくたって、不器用だっていいじゃないか。スマートに伝えようと思うから、何も言えなくなるんだ。

 それなら、いっそのこと。

「──私はっ、あの日からずっと、ずっと先輩のことが好きでしたっ!」

 マイクが割れてしまいそうなくらいの大声で、叫んでしまえ。

「受験票を見つけ出してくれたことも、そういうことを放っておけない性格も、自己評価が嘘みたいに低いところも」

 止まるな、止めるな、全部、全部、吐き出すんだ。


「私が付き合っているふりをしているときも、受験勉強の合間に私のために放課後を貸してくれたり、少しでも様子がおかしかったら気を使ってくれたし、そんな先輩を騙しても私のことを直接詰らなかったし」

 もう、あんな思いはしたくないし、させたくない。

「だからっ! だからっ! 先輩のそういうところが全部──」

 そこまで言うと、終始握っていたマイクを離して、


 ──私は好きなんですっ!


 出せる限界の大声を、肉声で、観客席の隅に立っている先輩に向けて、叫んだ。

「……以上で、終わります。時間を頂いて、ありがとうございました」

 最後にペコリと頭を観客席とステージ横の役員に向かって下げ、私はステージから降りた。呆気に取られているメンバーも、遅れてそれに続く。


 舞台袖に戻ると、生徒会は何か言いたげに私のほうを一瞥したけど、すぐに榎戸先輩が近寄ってきて、

「……よく言えたな、酒々井」

 労いの言葉を掛けてくれる。

「……全部、皆さんのおかげです。私なんて、何もしてない。皆さんがいなかったら」


「馬鹿言うなよ。あんな公衆の面前で告白なんて、普通の人間じゃできねえよ。それをやろうって考えた都賀も都賀だけど、実際にやってのける酒々井も凄いよ」

「酒々井さん!」「小春ちゃーん」

 ワンテンポ遅れて、市川先輩と平井先輩も舞台袖に飛び込んでくる。


「あとは、小岩の返事待ちか」

「……はい。でも、もう満足です。結果がどうなろうと、私は」

「だっ、大丈夫だよっ。あんなに必死な酒々井さんの姿を見れば、きっと小岩君だって信じてくれるよ」

「……そうだと、いいですね」

 やりきった。私は、やりきったんだ。先輩を好きっていう気持ちを、まっすぐ伝えることはできた。


 あんな絶望的な状況から、ここまで漕ぎつけることができただけで十分奇跡なんだ。これ以上、何かを望んだら、バチが当たってしまいそう。

「も、もう行きますね……。すぐ、指定した時刻なので」

「ああ、行ってこい、酒々井」「あとひと息だよ、酒々井さん」

 袖を後にする私を、口々に見送る先輩がた。


「小春ちゃん」

「な、何ですか?」

「顔、引きつっているよ? 笑って笑って。笑わないと、せっかくの可愛い顔が台無しだよー」

「っ……ほんと、いい意味で脱力させてくれますね、市川先輩は」

 また、助けられてしまった。


「行ってきます、皆さん」

 ステージから、次のグループの発表が聞こえてくる、確か、ダンスだっただろうか。ノリのいいテンポの曲を背に、私はひとり校舎へと足を進めていった。


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