第17話 わーわーわー、聞こえなーい、何も聞こえないよーつがゆう
ただ、その話をする機会というのは、案外すぐにやってきた。僕が全く予想だにしない形でだったけど。
きっかけは、ネタバラシから数日たった放課後の出来事だった。
「ふっ、ふざけんな! おまっ、そんな酷いことされたのかよ!」
掃除当番も終わって、笑菜とふたり生徒玄関に向かおうとした矢先、廊下から榎戸君のそんな怒号が聞こえてきた。
何事かと様子を見に行くと、そこには顔を真っ赤にして怒っている榎戸君と、それを見ておろおろとしてしまっている平井さん、さらには、怒る榎戸君をなだめようとする小岩君の姿があった。
……恐らく、榎戸君たちも事情を聞いたのだろう。正義感の強い榎戸君がああいう反応を示すのも自然だ。
「お、落ち着いてって、別に、僕はそこまで気にしているわけじゃないからっ」
「小岩が気にしてなくたってな、やっちゃいけないことくらいあるだろうが」
運動部(しかもプロ入り内定済み)と文化部、対格差もあって、今にも誰かを一発殴りに行きそうな勢いの榎戸君を小岩君が止めきることはできず、
「っ、最近酒々井がおかしかったのもそれが理由だったのかよっ」
小岩君の制止を振り切って榎戸君は僕らのいる方向にずんずんと歩き出す。
僕は、そんな彼の行く先に立ちふさがった。
「つっ、つがゆう?」「わ、渉くん、駄目だよっ」
僕と榎戸君の剣幕に、息を呑む女子ふたり。遠くから僕らのことを力なく眺める小岩君。
「……悪い、都賀。どけてくれないか」
「それはできない相談かな」
「……都賀は、知っていたのか? 小岩と酒々井のこと」
頬が紅潮するなか、なんとか冷静を維持しようと榎戸君は落ち着いた声で話す。
「……酒々井さんから、聞いてはいたよ」
「ならお前だってわかるだろ! あんなひでぇこと、見過ごせるかよ!」
「それで、どうするつもりなの? 千葉君たちに、一発くらいお見舞いしてやるつもり?」
「時と場合によっては、だけど」
「……となると尚更ここを通すわけにはいかないよ」
「なんでっ」
「暴力沙汰になんかなってみろ、榎戸君の内定だってどうなるかわからない。それに、そんなことしたって小岩君が救われるわけじゃない」
「黙って見ていろって言うのかよ! 俺の友達があんな目に遭わされたっていうのに!」
啖呵切ったはいいけど、あまりの圧に思わずたじろいてしまいそうになる。しかし、ここで屈してしまうと色々歯車がおかしなことになってしまうから、今一度足元を踏ん張って、僕は説得を続ける。
「……黙って見ていろとは言わないよ。ただ、あんな人間の風上にも置けない奴らのために、君の人生を狂わせる価値なんかないって言いたいだけ」
「……つまんない大人みたいなこと言うんだな、都賀」
「かもね」
実際、僕はつまらない人間だったわけだし。大学を五年かけて卒業して、行きつく先が無職。これのどこが面白い人間だと言うのだろうか。
「じゃあ、都賀は知っていた上で、何もしなかったって言うのかよ!」
「……考えがあったから」
「なんだよ、その考えって」
「ここでは、言えないよ」
小岩君がいる、この場で言えるわけなんてない。言ってしまったら、酒々井さんと小岩君が受けた思いが、全部無駄になってしまう。
「……いいよ、僕を殴りたいなら殴って」
けど、僕の目の前に立っていた榎戸君は、プルプルと握りしめていた拳を震わせるだけで、
「……俺らのこともあったから、都賀を殴るなんてできねえよ。でも……見損なったよ都賀」
それだけ言い残して、彼は僕らのもとを去っていった。
「あっ、わ、渉くんっ、待ってっ!」
背中を小さくしていく榎戸君を追うように、平井さんも走り出す。僕の真横を通過したとき、
「……ほ、本当に何か考えがあるんだよね……?」
不安そうに瞳を揺らしながら、そう残した。
「ご、ごめんつがゆうっ、私ちょっとふたりが心配だから行ってくるっ」
そして、笑菜もさらにふたりの後をついていくため、駆け出して行った。廊下に残ったのは、僕と小岩君のふたりだけ。
小岩君は、ゆっくりと僕の横にやって来ては、壁によしかかるように床に座り込む。僕もそれに合わせて、隣に腰を落とした。
「……知っていたんだね。罰ゲームだってこと」
「うん。……知っていた」
「……そっか、そうだったんだ」
なら、教えてくれてもよかったのに、と続けてもおかしくなかったのだけど、何も言わずに小岩君は視線を床に向ける。
「……ああは言ったけどさ。割と本気で小岩君には殴られても文句言えない立場だと思うんだよね、僕」
「……はは、そんなことできるわけないじゃん。僕が都賀君だったとしても、言うかどうか悩むよ。それに、言われたところで、信じたかどうかわからないし。性質の悪い冗談くらいにしか、思わなかったかもしれない」
膝上で指先を遊ばせながら、か細い声音で話す小岩君。
「……それくらい、僕は楽しかったんだけどなあ。でも、酒々井さんのほうは、違ったみたいだったね」
違くなんてない。そう言いたい気持ちをグッと堪える。
これは、僕がいくら美辞麗句を並べて伝えたところで意味がない。酒々井さん自身が、自分の口で言わないと、届かない。
「……最初はちょっと変だなとは思ったんだ。今まで何も関わりもない後輩の子だったし、僕もつい誰かが近くで撮っているんじゃないかとか思ってた。でも、あまりにもさ、酒々井さんが本気に思えたから、本当のことなんだって思っていたけど」
それはそうだろう。だって、彼女は本気で君のことが好きなのだから。
「……でもまあ、やっぱりそうだよね。あんなに可愛くていい子がさ、僕みたいな奴のこと、本気で好きになるわけないよね。騙されちゃったよ。本当に女優とか、そっちの方面も行けるんじゃないかな、なんて。僕が言っても説得力ないか」
自嘲するように、彼はそうして話を締めた。
「……どうするの? これから」
「綺麗さっぱり忘れるよ。都賀君もさっき言っていたけど、あんな奴らのために人生狂わされるほうがどうかしている。もうなかったことにして、受験勉強と学祭の準備頑張るよ」
「……そっか」
「いい夢を見させてもらったんだ。うん。きっとそうだよ。何もなかった僕の高校生活に、一瞬でも華やいだ時間をくれたんだから。でも、そろそろ現実に帰らないとね」
よいしょ、と漏らしつつ小岩君は立ち上がると、
「予備校行かないとだから、もう行くね」
教室に置いてあった自分のカバンを肩にかけて、酒々井さんと決別する意思を見せるかのようにしっかりとした足取りで、彼は生徒玄関へと向かっていった。
しかし、その背中は、どこか少しだけ、寂しげな様子にも僕は見えた。
家に帰った僕は、特に何かをするわけでもなく、ただ自分の部屋でボーっと考えごとをしながら笑菜の帰りを待っていた。
自分で晩ご飯を用意してもよかったけど、そのへんの意思疎通を今日はしていなかったし、ラインを送ってもなかなか既読がつかないし、もし僕が作って笑菜が外で食べてきたりスーパーで出来あいの総菜を買ってきたりしたら何かともったいないし。
「……とは言うもののさすがにお腹が減ってきたな……」
最悪残っても困らないお米だけ炊いて何があってもすぐ晩ご飯にできるようにしておこう、そう思って台所に向かって、米びつからお米を掬いだし始めると、
ガチャガチャ、と台所すぐにある玄関の鍵が慌ただしく開けられる。見ると、息を切らした笑菜が顔を真っ赤にして部屋に入ろうとしていた。
「ご、ごめんっつがゆう、遅くなっちゃった……家の近くの食堂で野菜炒めとか餃子とかテイクアウトしてきたから、それでいい……かな?」
なるほど、彼女の両手には有名な中華食堂チェーンのロゴが印字されたレジ袋がふたつ。
僕は半分くらい自分の予想が当たったことに口元を緩め、
「おかえり。ちょうどよかった。これからご飯を急速で炊くところだったからさ」
彼女から、今晩のおかずが入った袋を受け取った。
「急速とは言え、二十分くらいはかかっちゃうから、先シャワーとか浴びてきていいよ」
「う、うん……そうする」
笑菜がシャワーを浴び終わったタイミングくらいで、ちょうど炊飯器からアラームが鳴り響いた。待っている間に笑菜が買ってきたおかずをお皿に並べて、インスタントの味噌汁用のお湯も沸かしておいたので、準備は万端だ。
「ご、ごめんね、今日は何から何まで任せっきりになっちゃって……私もお腹ペコペコだったから助かるよ……」
さすがに髪を乾かす時間まではなかったみたいで、濡れた髪のまま、バスタオルを首に巻いた状態で笑菜は食卓に姿を現した。
「別に全然。お米炊いてお湯沸かしたくらいだし。それより、あの後、何してたの?」
僕は真横に置いた炊飯器からそれぞれの分のご飯をよそい、笑菜にも手渡す。
「……い、色々、話したんだ。私が知っていること」
笑菜はご飯がよそわれたお茶碗を受け取っては、パチンと小気味よくお店で貰った割りばしを綺麗に割っては、「いただきます」と小さく呟く。
「……それって、酒々井さんのことで?」
「うん。小春ちゃんのこと。……だって、あのままつがゆうが榎戸君に悪く思われたままでいられるのは、嫌だったから」
「別に僕はいいのに」
「よ、よくないよっ……。確かに私はつがゆうに小春ちゃんと小岩君を助けて欲しいって頼みはしたけど、つがゆうが代わりに辛い思いをしてとは言ってない」
カタン、と持っていた茶碗をテーブルに置き、笑菜は真剣な面持ちで僕に訴え、
「みんなが幸せな結末のほうが、嬉しいんだけど。……そのみんなには、つがゆうも含まれているんだよっ。だからっ……」
コップのお茶を半分ほど呷ってこう続けた。
「……小春ちゃんが、本当は小岩君のことが好きなことも、あれが本当にやらされた罰ゲームだったことも、……私もそれを全部知っていたことも、榎戸君たちに話した」
「そっか。何も、笑菜まで僕と同じ悪者にならなくてよかったのに」
「……ふたりを見殺しにするって決めたのは、私だって同じだったから。……それを明かさないでみんなと話すのは、フェアじゃないよ」
自らが産んだ登場人物に直接詰られるかもしれない、という恐怖はどれだけのものだっただろうか。それは、僕には想像することしかできないけど。
「……榎戸君も初芽ちゃんも、わかってくれたよ。だから、きっとつがゆうの考えも理解してくれるはずだよ。初芽ちゃんも、もう引退はしたみたいだけど家庭科部で模擬店開くみたいだから、協力てきないか考えるって言ってくれたし、榎戸君も後夜祭のサッカー部のパフォーマンス、色々調整できないか試してみるって」
「……そんなことまで話していたんだ」
「う、うん。……だから、帰るの遅くなったんだけど、ね。余計なお世話だった、かな」
すると、笑菜は恐る恐る僕のほうを向いては、上目遣いで様子を窺う。
「そんなこと。ありがたいくらいだよ。おかげで、ふたりのことだけにこっちは集中できる」
偶然かそれとも運命か、ちょうどそのタイミングでテーブルの上に置いていた僕のスマホがラインの通知を告げる。
ロック画面に映っていたのは、酒々井さんの名前と、
『この間のことですけど、私、やります』
ここから逆転するための第一歩となる、そんなメッセージが。
「……どうやら、ヒロインのほうはやる気になったみたいだよ」
「へ?」
「酒々井さん。僕の案に乗っかるって」
「じゃ、じゃあ……」
あとは、傷ついたヒーローを、もう一度舞台へと引っ張り上げるだけ。
今日話した感じだと、なかなか簡単にはいかないだろうけど、それが、僕のすべきこと。
「小岩君、だね」
笑菜はほんの少しだけ、安心したのか表情を緩めてはお皿の上の野菜炒めをひとくち頬張る。
「……喋り過ぎて、冷めちゃったね。温め直す?」
「そうだね、そうしよっか」
そう言うと笑菜は立ち上がって、野菜炒めが乗ったお皿にラップをかけ、台所に置いてある電子レンジに入れる。
小気味いいレンジの駆動音が、部屋に響く。
大丈夫、ふたりだって、やり直せる。やり直せないといけないんだから。
少しだけ遅くなった晩ご飯は、家で作るより濃い味付けになっていて、でもそれが、今のちょっとだけ湿った感情になっている僕らには、いい塩梅になっていたのかもしれない。
その次の日。昼休みになり、笑菜と机を合わせてお昼ご飯を食べようとすると、ちょっとだけバツが悪そうな顔をした榎戸君と、そんな彼を温かい目で見ている平井さんが僕らのもとにやって来た。
小岩君に見られると何かと都合が悪いので、一旦廊下に場所を移動する。
「……ど、どうかした?」
「……そ、その、悪かったな、言いたい放題言って」
そう言うと、榎戸君は清々しいまでにペコリと頭を下げた。
「い、いや別にいいって、そんなに気にしてなかったから」
「……市川がさ、あんなに必死になって説得してくるから……聞かないわけにはいかなくて」
「え?」
「ちょ、ちょっと榎戸君、それはつがゆうには言わない約束っ……」
止まらない榎戸君の話に、突然慌てる笑菜。
「あんな普段はのほほんとした口調なのにさ、都賀のためにあそこまでやられると……やっぱりお前らって仲良いんだな」
「あのときの市川さん……見たことないくらい真剣だったもんね」
それに便乗する平井さん。
「わーわーわー、聞こえなーい、何も聞こえないよーつがゆう」
どうやら、僕のために必死になっていたことが知られるのが笑菜は恥ずかしいみたいで、なんとかふたりの話を聞かせまいと僕の両耳を手で塞ごうとする。
「……別にそこまで恥ずかしいことでもないじゃん」
「それとこれとは違うんだよーもー」
けど、逆にふたりに微笑ましいものを見る目をされてしまう。
「仲良いな」
「は、ははは、ま、まあ腐れ縁だから」
八年近く付き合いがある高校からの友達を、そう形容せずになんと呼べばいいか、僕はそれ以外の名前を知らない。
「それで、学祭のことだけどさ、サッカー部、後夜祭で漫才とかバンドとか、色々各自でやりたいことをやろうぜ、みたいな感じになっていてさ」
「へ、へえ……榎戸君は何かするの?」
「俺は何もしないって。第一、サッカー以外何もできないし。俺のことは置いておいて、そこで、最後に酒々井に時間預けようと思うんだけど、それでもいいか?」
本題に入ると、榎戸君は緩んでいた表情を引き締める。
「うん、いいと思うよ。でも、酒々井さん、最後だけに出るの?」
ラストにいきなり出てきて──っていうのも、なかなかなハードルだとは思うけど。
「あー、そこなんだけど、その前にバンドを入れるつもりでいるから、それに酒々井を放り込もうかなって考えていて。その方が、あいつにとっても楽じゃないかって思って」
「ステージで歌うってこと?」
「ああ。一度だけ、部の仲間でカラオケ行ったときがあったんだけど、酒々井めっちゃ歌うの上手くてさ」
ああ、なるほど。確かにこの間一緒にカラオケ行ったときもかなり上手いって印象だった。
「そのままの流れで、小岩にってなれば、勝算も上がるじゃないかって思って」
それに、言葉じゃ伝わらないことも歌にすればとはよく言うものだし。手段を多く講じておくのは悪い選択ではない。
「うん。いいんじゃないかな。名案だと思うよ」
「よし、じゃあそういう感じで進めるわ」
榎戸君の話が一旦落ち着いたところで、今度は平井さんがゆっくりと口を開く。
「え、えっとね、私も家庭科部で何かできないかなって思って……。学校祭でクッキーとかチョコレート作る予定らしいんだけど、酒々井さんにも、作ってもらおうかなって……思ってて」
「と言うと?」
「ば、バレンタインとは時期が違うけど、や、やっぱり男の子はそういうの貰えると嬉しいものだよね?」
平井さんに尋ねられ、男の子である僕と榎戸君は顔を見合わせては「まあ、嬉しいかも」と答える。実際、普通に嬉しいだろう。笑菜から貰ったら、何か入っているんじゃないかって疑うかもしれないけど。
「な、なら小岩君だって、酒々井さんが自分のためにお菓子を作ったって知れば、少しは酒々井さんのこと、信じてあげられる材料になるんじゃないかって」
確かに、「あれ、もしかして……?」ってなるきっかけにはなるかもしれない。それに、やらないよりこれもやったほうがいいだろう。
「でも、平井さん、もう部活引退したんだよね?」
「う、うん。けど、たまには顔出してもいいかなって思っていたし、酒々井さんには私が一緒に作ろうかなって」
「い、いいの? 受験勉強もあるのに」
「……都賀くんもだけど、小岩くんにも、私は助けてもらったから。これくらい、全然」
「……そっか。なら、それもやろう」
「わかった。早速、酒々井さんに話してみるね」
こうして、僕ひとりが描いていた学校祭の逆転計画は、いつの間にか三人も巻き込んだ形に姿を変えていた。
それもこれも、笑菜の尽力があったからと、もとをただせば。
小岩正志という人間の人柄が、周りの人物を動かしているから。
僕みたいな奴、と小岩君自身は言っていたけどさ。
気づいているか? いや、気づかれていたらそれはそれで僕が困るんだけどさ。でも。
そんなに悲観するほど小岩正志は、評価が低い人間じゃないよ。
でなければ、こんなに君のことを思って動いてくれる人が、いるわけがないんだからさ。
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