第16話 じゃあ、大勢には大勢だよ

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 それからの夏休み期間は、色々と学校を奔走する日々が続いた。過去の学校祭の内容の把握だったり、酒々井さんのクラス周りで最近あった出来事の調査だったり。

 一か月ちょっとの少しだけ長い夏休みが終わり、半袖のワイシャツに袖を通し、向かった始業式の教室。いつも通りの時間に笑菜と登校したつもりだったけど、もう既に何人かのクラスメイトは席について自習に励んでいた。そのなか、複数あった、荷物はあるのに生徒がいない座席。


 ……小岩君がいつも座っている席も、そのなかのひとつ。残りも、千葉君や彼の取り巻き達のものだった。

 その光景だけで、僕はおおよそ何が行われているかを察することができ、それは笑菜も同じで、痛ましそうに目を細めては、音もなく自分の机にカバンを置いた。

 ……これが最善。僕ができる最善のプランだった。


 軋む心に言い聞かせ、時間が経つのを待つ。朝のホームルーム間際になってようやく、満足気な顔をした千葉君たちが教室に帰ってきた。

 彼らから遅れること数分。気が抜けてしまったかのように真っ白な顔をした小岩君が、のろのろとした足取りで教室に姿を現した。


 そんな彼の姿を見て、笑菜は「ハッ」と音にならない声をあげて、沈痛な面持ちになる。まあ、無理もない。

 自らが作り出した設定とはいえ、登場人物がそのせいで傷つくのを見るのは、多少なりとも辛いものがある。ましてやそれを、僕という他人に解決を預けているのなら、尚更。


 同じく平井さんも、チラチラと小岩君の様子を振り返っては気にしているようで、「初芽? どうかしたのか?」「……ううん、ちょっとね」それに合わせて、近くの榎戸君も呼応して後ろを振り向く。

 しばらくの間、僕ら四人の視線は小岩君に注がれていたけど、担任の先生が出席簿を持って教室に入ってきたことを受けて、その視線は蜘蛛の子を散らすように霧散していった。


 朝のホームルームが終わると、僕は隣の席の笑菜に一声掛ける。

「ごめん、ちょっと始業式サボるかもしれない。何か先生に言われたら朝食べた賞味期限切れのプリンが当たりましたって答えておいて」

「えっ、つ、つがゆう?」

「あと、小岩君に何かあったら、よろしく」


 それだけ言い残し、僕は教室を出て、ある場所に早足で向かう。去り際、何か言いたそうな目で平井さんと榎戸君が僕のことを見ていた気がしたけど、一旦置いておくことに。

 階段をひとつふたつと上り、たどり着いたのは、屋上。

 扉を開け、左右を見渡すと、

「……やっぱり。いた」


 ひとり体育座りで壁にもたれている酒々井さんの姿が、そこにあった。頬には、涙の跡がくっきり残っていたし、手に持っているハンカチは目に見えて濡れていた。

「……都賀先輩、なんで」

「小岩君が顔面蒼白で戻ってきたから。きっと朝のうちにやられたんだろうなって思って」

 僕も彼女の隣に腰を下ろしては、ぼんやりと空を見上げる。すぐに一時間目の始業を告げるチャイムが響き渡る。


「……始業式、出なくていいんですか?」

「酒々井さんこそ」

「私は……いいんです。先輩こそ、平気なんですか?」

「平気か平気でないかって言われたら、平気じゃないかもしれないけど」

「じゃあ駄目じゃないですか」

「生憎にも、酒々井さんのことを助けてあげて欲しいって、頼まれているから」

「……へ? 誰に、ですか……?」

「そんなことより。……酒々井さんはどうしたいのかな」


 ここで笑菜、と答えてもいいのだろうけど、色々と厄介なことにもなりそうなので、話を逸らすことに。一コマ五十分しかないんだ。無駄話をしている暇は、そんなにない。

「ど、どうしたいって……」

「このまま、あの微塵も尊敬できない先輩の手のひらの上で踊らされて、自分の恋をなかったことにするのか、もう一度、小岩君とやり直したいのか」

 敢えてやや厳しい口調で問うと、すぐに答えは出てきた。


「……そんなの、やり直したいに決まっています。でも」

「でも?」

「……もう、嫌われたに決まっています。誰が信じますか? 一度嘘の告白をしたっていう人のこと」

 普通なら、そうだろう。僕だって信じられる自信はない。


「……まあ、いくら優しい小岩君と言えども、二度と口を聞いてくれないかもしれない」

「……じゃあ、無理じゃないですか」

「いや、まだ無理って決まったわけじゃない」

「……何か、あるんですか?」


 ひとつ、策は考えていた。

 これをすれば、もう一度、小岩君も考えてくれるんじゃないかって策を。

「あるよ。とっておきの秘策がね」

「……ほ、本当に、ですか?」

「それを話す前に。……僕の考えた案をすると、酒々井さんは、多分今日一緒にネタバラシをした連中を敵に回すことになるかもしれないけど、それでも大丈夫?」

 例えば、千葉君だったり。クラスメイトの女子生徒だったり。


「……そ、それは……っ……」

「もともと、罰ゲームを受けてしまったのが、そういう先輩に目をつけられて、嫌がらせのターゲットになるのが怖かったから、だよね?」

「な、なんでそれを都賀先輩が……」


「調べたんだ。酒々井さんのクラス、ひとりの女子生徒が休みがちになったのをみて、もしかしたらって思って。そしたらビンゴだったよ。千葉君の息がかかったクラスメイトが色々やったんだって?」

「……は、はい」


 多分、あの手のタイプは、他人が自分の思い通りに動くのが気持ちよくて仕方ないんだろう。だから、言うことを聞かない子には、自分の手を汚すことはなく、他人を使って追い込もうとする。

「まあ、誰だって標的にされるのは嫌だよ。酒々井さんが千葉君の言うことを聞いたのも理解できる。でも」

 僕は息を継いで、二の句を繋げる。


「……あんな奴らの顔色窺うのと、本当に大切にしたかった人の、どっちを選びたかったの?」

「それは……正志先輩のほう……ですけど」

「……だったら、怖いかもしれないけど、断るしかなかったんだ。それに、彼氏がいるとでも嘘をつけば、嘘告なんてしたくない理由になっただろうし」


 極端な話、小岩君以外に嘘告をするのであれば、ここまで話は拗れなかっただろう。何だったら、僕を売ってくれてもよかった。

「そう、かもしれないです……でも、そこまで頭が回らなくて」

「うん、過ぎたことは仕方ない。じゃあ、これから酒々井さんがすべきことっていうのは、至極単純なわけだ」

「単純、ですか……?」


「……申し訳ないけどね。酒々井さんが嘘の告白をさせられた時点で、ちゃんとふたりが付き合うには、一度こうするしかないって思ってたんだ。リセットってやつか」

「……そうなんですね」

「怒らないんだ。僕は酒々井さんを一度見殺しにしたって言うのに。助けようと思えば助けられたんだよ? ネタバラシをされる前に」


「……私に怒る権利なんてあると思いますか?」

「恨み言のひとつやふたつ言われるくらいは覚悟していたけどね。……どのしろ、ネタバラシをなんとか回避したとしても、スタートが嘘の告白だったことには変わりない。……たった今、自分を見殺しにした薄情な先輩を詰ることもせず自分の責任にするような酒々井さんが、その罪悪感に耐えられるとは、僕には到底思えなかった」

 僕がそう言うと、ははは、と乾いた笑い声が隣から掠れて聞こえてきた。


「……それもそうかもしれないですね。考えるだけでぞっとします」

「でも、今はもう嘘の告白っていうしがらみは完全に外れた。晴れて酒々井さんは自由になったんだ。じゃあ、もう一回小岩君に告白をすればいい」

「……簡単に言いますけど、都賀先輩、さっき自分でも言いましたよね、もう、私とは口を聞いてくれないかもしれないって」


「うん」

「そんな状態で、どうやって告白しろって言うんですか……?」

「別に、何も一対一で告白する必要はないと思うけど」

「……え?」

「口を聞いてもらえないなら、聞かざるを得ない状況にすればいいんだ」

「まっ、まさか先輩」

「……目には目を、歯には歯をって言うでしょ? じゃあ、大勢には大勢だよ」


 僕の言葉に、酒々井さんはおおよその言いたいことを察したみたいで、しかし、それを確たるものにするために、僕は温めていた策を、彼女に伝えた。

「つまり──」

「──っ、そっ、そんなことっ、でっ、できるわけがっ」

「……やるかどうかは酒々井さんの自由だよ。自力で解決できるなら、僕の案を捨ててもらっても構わない。小岩君のことを諦めるなら、それはそれでいいと思う。僕はただ、君に選択肢を提示しただけ」


 ズボンのポケットに入れていたスマホで現在時刻を確認する。そろそろ、始業式が終わる時間だ。僕はゆっくりと立ち上がって、お尻のあたりをトントンと叩き砂埃を払う。

「そろそろ行くよ。あまり長い時間サボると、先生にも怪しまれちゃうし。一応、賞味期限切れのプリンでお腹を壊したって設定だからさ、僕」

 ドアノブに手をかけて、酒々井さんの姿を一瞥する。


 入ってきたときは涙に濡れて、もうどうしようもなくなっていた感があったけど、今では多少まともな顔つきになっている。

「……覚悟が決まったら、ラインして。そのための協力は、惜しまないから」

 最後に、それだけを伝えて僕は屋上を去った。

 大丈夫、必要なのは、ほんのちょっとの勇気、それだけ。それさえあれば、たった今しているしんどい思いも、乗り越えられるはずなんだ。


 さて、念のためお腹をさすりながら教室に戻ると、早速笑菜が僕に話しかけてくる。

「つっ、つがゆう、どこ行ってたのっ」

「どこって、お腹壊してたからトイレの個室に籠ってたけど」

「そ、そういうことじゃなくて」

「……それより、小岩君の様子はどう?」

 少し声を潜め、周りに聞こえないくらいの大きさで笑菜の耳元で僕は尋ねる。


「ど、どうって……心ここにあらずって感じだったけど」

「……なら、まだ大丈夫かな」

「いや、大丈夫ってことはないと思うけど……」

「学校休むとかになったら急を要するかもしれない。でも、その感じなら……うん」

「……何を狙っているの? つがゆう」


 僕はまだ、しっかりと計画の概要を笑菜には話していなかった。そもそも実行できるかどうかも怪しいところはあったから。

 でもまあ、笑菜にだったらもういいか。そろそろ誰かに協力してもらわないと話が進まなくなるし。


「秋と言えば、高校定番のイベントがあるでしょ? 僕らは三年生だから、ほぼ空気みたいな扱いになっているけど」

「……もしかして、学校祭?」

「うん。狙うのは、学祭マジック」

 学園ものの創作物で事欠かさない学校祭。ラブコメから青春系のイベントまで幅広くカバーできるし、今回のケースもそうだ。


 残念ながら、この高校だと三年生は自由参加、っていう扱いみたいで、熱心に関わろうとする生徒は数えるくらいしかいないみたいだけど。秋開催だし、仕方ない部分もある。

「三年生はあまり真面目に参加しないよ? この高校の学祭」

 けど、勝算はある。


「部活展示なら、話は別でしょ?」

「……あ」

 小岩君がいる写真部は、部員がたったひとり。つまり、写真部として何か学祭で展示をするなら、小岩君がやるしかない。

「……去年だって一昨年だって、調べたら写真部は学校祭で展示をしていた。今年もその準備はしている」

 だったら、小岩君も学校祭に参加する可能性は非常に大きい。


「……あと、これは榎戸君から聞いたんだけど、今年はサッカー部が後夜祭に屋外ステージでパフォーマンスをするみたいだね。何をするかまでは聞いていないけど」

「……ま、まさか、つがゆう」

「うん。そこに酒々井さんを出演させる」

 あとは、言うまでもない。


 酒々井さんには正直リスクしかない。けど、一度裏切ってしまった小岩君の信用を一発で取り戻すには、これしかない。

 だから、僕がすべきことはシンプル。

 酒々井さんを説得して、さらに小岩君に後夜祭に参加してもらう。それだけだ。


「……つ、つがゆうって、実はドSだったりする?」

「え? いや、僕はただ、ふたりが上手くいって欲しいだけだよ」

「それにしたって、こんな方法、やらせるほうだって勇気がいるよ……」

「……それで失敗したんだったら、僕も酒々井さんも諦めるよ。でも、もうやらない後悔をしているのに、やって後悔することを恐れても仕方ないでしょ?」


 千葉君たちに反抗する、っていうことをしなかった後悔をもう酒々井さんは覚えている。そんな彼女だったら、きっと。

「……い、いつの間にか、そんなことまで考えていたんだ」

「一度、ふたりのことを放置して傷つけるって決めたんだ。……その後のフォローアップまで考えてなきゃ、ただの無責任の口だけ人間になっちゃうからね」


「じゃ、じゃあ、さっきって」

「まー、トイレに籠った後、たまたま寄り道した屋上でたまたま出くわした酒々井さんとたまたま少しお話をした、くらいかな」

「たまたまの主張が激しいよ」

 だって仕方ないでしょ。賞味期限切れのプリンに当たったんだから。たまたま。

 ……酒々井さんの説得は多分もう大丈夫だと思う。彼女は強い。きっと、立ち直ってくれるはずだ。


 問題があるとしたら、小岩君のほうだけど……。

 幾度となく小さくため息をつき、所在なさげにペンを回している小岩君。たまに片肘をついて頭を抱えたり、両手で目をゴシゴシと拭ったりと、あんまし落ち着きは感じられなかった。

 ……どこかしらのタイミングで、ちゃんと小岩君と話をしないといけないのかもしれない。


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